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シリコンバレー型ではない日本的なイノベーションはありえるか?「出羽守バイアス」を「平熱の愛国心」で置き換えていくにはどうすればいいか?

Photo by Louie Nicolo Nimor on Unsplash

お久しぶりです、倉本圭造です。

今回は、最近あった二つの出来事をもとに、「無理ない範囲の平熱の愛国心」っていうのが大事だよなと思ったという話をします。

その「二つの出来事」って何かというと、

・昨日やっと「校了(本作りの作業が全部終わって印刷所に回ること)」になった僕の新刊の仕事

と、あともう一つは

・「文通の仕事(後述)」で繋がってるクライアントの人が昨年末に起業して、シードラウンドの資金調達に成功したんですけど、その彼の「意味ある仕事をしたい」という事へのこだわりに感銘を受けた話

の2件なんですね。

両方とも、『話がはやいツーカーに理解できる範囲の人間関係の中だけ』でやっていたらできない「意味のある広がり」を目指して苦労している話・・・という感じなんですが、そういう苦労をなんでやってるのかというと「愛国心」としか言えないようなナニカだなあと思っていて。

変に誰かを攻撃するとかでなく、「やりがい搾取」的に使い潰されるのでもなく、もっと「平熱にできる」レベルでの愛国的行為・・・みたいなのをちゃんとやっていくことがこれからの時代大事だよなと思った・・・という話をします。

そしてそういう「平熱の愛国心」的なものをキチンとバックアップしていくことによってのみ、「出羽守」vs「保守反動」みたいな極論の罵り合いを超えて社会全体を前向きに変えていくことが可能になるはずです。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「文化が違う」世界とあえて一緒にやる意味がある時がある

昨日やっと新刊が「校了」になりまして、とりあえずものすごくホッとしています。

アマゾンの予約もはじまっています。電子書籍は多分少し遅れて出ますので、よかったら久しぶりに紙の本はどうですか?(勧誘 笑)

昨年末の以下の記事で書いたように、

僕とは「文化」がかなり違う「雑誌」出身の編集部の人たちと、険悪になったわけじゃないにしろ相当真剣にやり取りを続けて、押し込んだり押し返されたりするのを諦めなかったことで、以前このnote有料部分で初期段階の原稿を公開した時とは「全然違う」本になったと思います。

こういうやりとりって凄い疲れるんで、もっとツーカーに理解しあえる人との間だけでやった方が短期的には完全に合理的ですよね。

ただ、「川の対岸にいる人」とあえて時間を使って、お互いの違いに苦しみながら忌憚なく押したり押し返されたりすることで生まれる価値というのはやっぱりあって。

今回の本は、結果として「僕と文化的に近い人」とだけでやっていた時には絶対できなかった一般的なわかりやすさ、キャッチーさに編集してもらったと思っています。

で、そういう「文化が違う世界との対話を諦めない」ことの意味について、僕の「文通」のクライアントが最近起業した話でも凄く共通する問題があるなと感じたんですよね。

2●「シリコンバレー型」とは違う日本的なイノベーションはありえるか?

僕は経営コンサル業のかたわら、「文通」をしながら色んな個人の人生を考えるという仕事もしていて(ご興味があればこちらから)、そのクライアントには上は60代、下は20代、老若男女色んな職業や立場の人がいるんですけど。

その中に、30代のソフトウェアエンジニアのIくんという人がいまして、彼が共同創業者として起業した会社が昨年末に資金調達に成功して、「まあとりあえず一年間は色々とチャレンジできます」みたいな感じになってるんですね。

で、僕が言うのも変なんですが、Iくんは変な人なんですよ。いや変というか、「謎の愛国心がある」というか。

Iくんは理系の院卒で、その気になったらシリコンバレーに行って年収二千万円ぐらい貰うことも可能なタイプだと思うんですけど、なんか「ITベンチャーだけが栄えてそれ以外の社会が衰退する」タイプのイノベーションに凄い批判的なんですよね。

で、新卒で入った会社を辞めてから、日本の製造業のDX分野で起業を模索して、色んな仮説を持って製造業のヒアリングを個人で続けたりする中で出会ったベンチャーに初期メンバーとして入って、そこそこは成功しかかってたんですけど。

でもなんかその後、

「これはこの会社単体ではそこそこ成功するかもしれないが、日本の製造業の為になるとは言い難い。結果としてそういう仕事が本当に大きくなることもない」

…みたいな事を言い出してやめちゃって、その後さらに個人で色々と模索を続けたあげく、「今度はちゃんと”意味がある”仕事ができるんじゃないか」というビジョンで再度起業することになったんですね。(今度は”共同創業者”になった)

「製造業のDX」分野とか言われても”経営”関係に興味ない人は??って感じかもですが、もともとシリコンバレー型に「凄く勉強がデキル人たちだけが全部決める」設計だと、日本の会社の「土着性」とうまく合致しなくて普及しないっていう問題意識は僕も結構持ってたんですよね。

それは単に、「日本の会社が頭が古くて時代の流れについていけてない」からだという側面も勿論あるんですが、一方で僕のクライアントの中小製造業では、「既製品の業務ソフトウェア」を無理やり入れようとしたら現場の事情と全然合っていなくて会社が潰れかけたみたいな話もあって。

「シリコンバレー型のスマートな設計」自体が、「現場側の工夫の余地」を一切奪ってしまうような設計思想を内在させてしまっているのではないか?みたいな問題意識は一応ある。

そこで、

「あと一歩”日本の現場”側の事情を汲み取ったソフトウェア」があれば、「IT系の会社だけが栄えてそれ以外の社会が衰退する」ような関係性とは違う社会変革が起きるかも?

というのは、前から僕もイメージとしては思ってたんですけど。

ただ「そういうのあったらいいのになあ」って僕がたまにつぶやく程度のビジョンを、

・「実際にやっちゃう30代の実力あるエンジニア兼起業家がいる」
・「形としてはそこそこ成功しそうになっても理想とズレてると言ってやめてやりなおす」
・「あくまで理想を追ってやりなおす」ビジョンに仲間も資金も着いてくる今の東京の現状

は、結構素直に「良い時代になったなあ」と思っています。

それが本当に、シリコンバレー型ではない「日本的に意味のあるイノベーション」に繋がるのかどうかはまだわからなくて、単に過剰な理想主義で自滅するだけに終わる可能性も勿論あるんですが。

ただ、ちゃんと「現時点の仮説」を理解して一緒にやってくれるクライアントも見つけられているらしく、とりあえずはその会社と真剣に協業しながら、(将来的な拡張を見込みつつ)その一社の個別例をとにかく深く掘っていって本当に「かゆいところに手が届く」ソフトウェアを作れたら、その先には普通と違う可能性が生まれるはずだと思って応援しています。

以下の記事とかで紹介したピーター・ティールがしょっちゅう言ってるように、

最近のアメリカはどんどん起業家界隈のジェントリフィケーションが進みすぎて、Airbnbぐらいの時期にはよくあった「実際にナマに色々苦闘した結果ポロリと出てくるもの」をベースに徹底的に横展開するみたいなイノベーションが沈黙しがちな気がするんですよね。

もっと「良い大学を出た凄い勉強ができる人たちの集まりがはじめから理屈だけを押し通してできたビジョンに最初から大金が集まる」みたいなのしかアメリカでは生まれづらくなっていて、そういう世界の可能性も勿論ありえるけど、ちょっと片手落ちな感じもするので。(そういう過剰な理性万能主義をバランスするために、逆側のトランプ派のバックラッシュを生み出していると思う)

逆に、「ツーカーに話せる範囲」の「外側」と苦労して協業して、そこのナマのぶつかり合いから生まれてくるプロトタイプを横展開する時にはじめて、「資本主義の創造的破壊のパワー」を思う存分使います・・・というパターンが必要とされている可能性は高い。

まあ、「一匹見かけたら何十匹いると思え」みたいな話(笑)でいうと、僕が直接的に繋がっているIくんが一人いるってことは、たぶん日本中に「そういう境界線上の分野」をなんとか堀り抜いて「ナマのイノベーション」を生み出そうと努力している人は結構いるんだろうなと感じています。「キャディ株式会社」みたいな超すごい発想の例も出てきてるしね。

なんとか「意味のある変化」に繋がっていってほしい。「古い社会」が持つ価値を全否定して騒ぐ結果押し合いへし合いになってどこにも進まなくなる「意識高い系」の文化を、「あたらしい意識高い系」の文化で置き換えていってくれたらと期待しています。

3「色々と諦めないと理想を追えない社会」は不健全だからこそ

Iくんのケースを見ていて希望が持てるなと思うのは、彼があまり「無理」をしていないところなんですね。

「理想をあくまで追い求める結果、経済的・社会的にものすごく苦労する」例って日本に結構あるじゃないですか。逆に「経済的・社会的にものすごく苦労する」ことなしに理想など追えないのだ!というような思い込みすらありそうな。

僕、自分の場合は結構そういう「理想主義が過ぎて漂流しちゃう」みたいな人生を送っているくせに、他人がそういうことをやってると「大丈夫?」ってついつい思っちゃうんですけど(笑)

ただ、本人は結構ケロリとしているというか、彼ぐらいのエンジニアスキルがあれば、食い詰めたらフリーランスで十分やっていけるし、「本当に意味ある仕事をしたい」というビジョンを現場レベルで実地にちゃんと積み上げていけばそれに答えて出資してくれるベンチャーキャピタルも東京にはあるし、みたいな感じで。

なにより良いなと思ったのは、ここ4−5年そういう感じの「日本社会的にはよくわからない模索」を続けながら、ちゃんと最近マッチングアプリで相手を見つけて結婚してるとこなんですよね。

また、子供が出来たら家事分担もフェアにやりたいと思っているんで、やり方を考えなくちゃなんですよね・・・みたいなことを言っているところで。

大学時代の同期の大企業づとめと比べて何か我慢していることと言えば、マンションが買えないことぐらいですかね・・・

…みたいな感じで、この程度なら、「自分の理想をあくまで追求できる幸せ」「成功したら青天井の報酬に繋がる可能性」を考えたら十分割に合う投資だと言えそうですよね。

4●「出羽守」の言うことを聴いていても日本の問題は解決できない

今の日本に存在するあらゆる「問題」について言えることなんですが、単に「出羽守」的に

・欧米ではこうなのに日本はこうだからほんとダメだよね
・GAFAじゃこうなのに日本の会社はこうだからほんとダメだよね

・・・みたいな話ばかりしていても解決できないんですよね。

勿論情報として知っておいて参考にすることは大事で、「過去の日本の栄光の思い出」に引きこもって何もしないでいたら衰退まっしぐらではあるんですけど。

ただ、前提条件が違いすぎて、日本は欧米じゃないし、日本の会社はGAFAじゃないんで、「同じこと」をやれって言ってもできるわけがない。

身長2メートル20センチのバスケットボール選手と、ぎりぎり180センチの選手じゃやるべきことが違って当然で、「なんで彼らみたいにできないの?」とか言ってたって何も解決しない。

なので、「自分たちの個別の問題」について、自分たち独自の解決策をちゃんと練り上げてくれる存在が必要になってくるんですけど。

ただなんか、今の時代の風潮から言うと、

「そんな事ができる実力がある存在は、当然倍の給料もらってGAFAに行っちゃうよね。だから日本ってもうダメなんだよ。」

みたいな発想になりがちなんですけど、なんか、その発想自体がかなり現実性がない四捨五入しすぎている想定だと思うんですね。

というのは、

シリコンバレーに行ってエンジニアの楽園で年収二千万円もらって日常的な理不尽もなくて・・・という生活A

vs

日本の会社で上司が全然理解がなくて理不尽なことも沢山言われるし給料もGAFAの半分以下で、それでも愛国心のために当然深夜まで働いてくれるよね?という生活B

という二者択一になってたらそりゃね!前者を選ぶしかないでしょ!ってなるんですけど。

一方で、

シリコンバレーで年収二千万だけど、その程度じゃまともな家も買えないぐらい物価が高すぎるし英語大変だし暮らしやすさで言ったらやはり東京がいいなと思うし、そもそも自分程度だと”シリコンバレーの平均的なエンジニア”にしかなれず、ソレ以上登っていこうとするとなんだかんだ外国人であることの天井もありそうだしという人生A

vs

在宅勤務で暮らし慣れた東京であまり理不尽な思いもせずに働けているし、結婚もできたし子供も育てていけそうだし、確かに額面給与はシリコンバレーの半分以下、3分の1ぐらいかもしれないが東京で楽しく暮らしている分には現状まあいいかだし起業が成功したら大きく報われるはずだし、なにしろ”自分にしかできないチャレンジ”をやれている満足感は非常にある人生B

…という二者択一のどちらがいいですか?という話になってくれば、後者を選ぶ人もそれなりにいるはずですよね。

大事なのはこの「ちょうど良さ」をいかに適切に保つ努力をみんなでやるか・・・みたいな話で、これは「出羽守の言うこと」をただ聴いてても実現しない

勿論「今の日本の不甲斐なさ」に対する「なんとかしなくちゃ」という思いから「出羽守」ムーブメントもあるのだ・・・というのは理解できなくもないですが、そういうのを額面通り受け取ってても何も前向きな出来事は起きないので。

ただ、そこで「自分たち独自の本当の問題解決をしたい」と思ったら、個人としての人生の幸せみたいなのは全部手放さないといけなくなります・・・というのでは、やはり「よっぽどの変人」しかその問題解決に取り組めなくなりますよね。

だからこそ、あくまで「自分の人生を使い潰すほどの無理はしないが、自分の仕事が”日本という場”にとって良いものになるように工夫していこうとする」みたいな「平熱の愛国心」的な試みをいかにバックアップしていけるかが大事だなと思っています。

そしてこういうのは、最近喧しい「日本の学術予算をどうやって増やすか」みたいな話でも大事なはずで、ハーバードと同じことを東大がやれって言ったってそもそもも前提条件が違いすぎて無理があるので、「アメリカじゃこうなのに日本はダメだよね」って言ってるだけじゃ解決できない。

しかし日本の予算感において、「なんとか成立する配分」を適切に個別具体的に考えていくことなら可能なはずで、実際に日本の博士課程でちゃんと研究している人の待遇は10年前と比べればかなり上がってきていると聞きます。(逆に、過剰に理想化されがちだった海外の事例が、実際には本当に恵まれた一部のケースのみであることがわかってきたりとか)

勿論現状でも完璧には程遠いわけですけど、「給付金だけで十分な生活をさせることは難しいかもしれないが、高給な塾バイトを週イチぐらい入れられるような条件にすることで実質的に研究に集中できるようにしてやる」とか、そういうレベルの細かい調整をやりきれれば、なんとか希望が見えてくるはず。

大事なのは「出羽守」の言うことを聞きすぎることなく、かといって過去の延長に引きこもることなく、個別具体的に「ちょうど良さ」を実現していく工夫を積み重ねることなんですよね。

5●サンフランシスコ市のスラムに心を痛めつつ、不動産投資の利率に血眼になる「すごく良い感じの人」をどう考えるか

僕は個人的に、若い頃はここ20年世界を席巻していた「シリコンバレー型の社会変革」みたいなのに魅力を感じるタイプではあったので、何人か古い友人もいるしし、ツイッターでも色んな『シリコンバレーで暮らしてる人たち』をフォローしてたりするんですけど。

彼らを見ていると最近は結構頻繁に、「個人の生活としては何の不満もなく報われている」感じになりつつ、一方でお膝元のサンフランシスコ市とかの一部が物価高になりすぎて、貧困層が大変な生活をしているのを間近で見て心を痛めている様子を見かけたりします。

アメリカの最近のインフレってちょっと日本からすると羨ましい部分もありつつ、一方で貧困層はアレで暮らしていけてるのかな?本当に物価に連動して給与は上がってるのかな?というのは日本から見ていても心配になるところがあって。

そういうの「全然気にならない」タイプの人も勿論いるんですが、やはりある程度日本人的な感性があれば、例えば引っ越しするとなって呼んだ業者さんに支払った額が「え?これだけ?」ってなると、このアメリカの物価でどうやって暮らしているんだろう?とか想像しはじめちゃって心を痛めている人をよく見るんですよね。

彼らは個人レベルで見るとものすごく良い人っぽい人格をしていることが多いし、個人レベルでのキャリアアップ、個人レベルでの資産形成、そしてたまに社会問題に心を痛めてみる個人レベルの「良心」みたいなものまで考えると、「個人レベル」で見たらとにかく最善を尽くして「善なるもの」を目指して生きているところがあると思うんですけど。

一方で、そういう「個人レベルでの純粋さ」だけをベースにすべてを組み上げていくことの合成の誤謬みたいなものとして、サンフランシスコ市のスラム部分とIT系新興富裕層とのとてつもないギャップ・・・みたいな世界が生まれてしまう。

一方で、この記事で書いてきたIくんのチャレンジを見ていると、「最初の最初」の段階で、「狭い意味での”個”の枠組み」を超えたところでの色々の模索をちゃんとやる事で、後に全く違った展開が生まれるということがありえるんじゃないか?というような希望を感じるところがあります。

もちろん、とにかく「個」ベースで押し切って世界的IT企業を作り上げるアメリカ型のダイナミズムの方が、日本のように緩やかにみんな一緒で衰退していくよりは良いのだ、という発想は一方でありえます。

だから「単にナアナアに衰退する日本」がいいというわけではないんですが、ただアメリカのやり方はアメリカにしかできないことでもあるんですね。

アメリカのIT企業が結果としてやりがちな、古い社会の共同体を破壊して社会不安を引き寄せつつGAFA的存在だけが栄える・・・みたいなのの持続可能性が結構問題になりつつ時代ではあるので。

逆に「最初の一歩」のところで、ちゃんと「個の文化だけで閉じない」というか、「対岸にいる日本社会の古層の部分をしっかり協業するすり合わせをやる」ことで、その先に全く違った「大きなイノベーション」「経済的転換」を起こせる未来を引き寄せたいわけですよね。

「最先端IT」が「古い社会」を破壊せずイーブンに協業できる関係性を持ったまま「大きな転換」が起こせるようになれば、それ自体が「世界のどこにもないオリジナルなイノベーション」ということになるはず。

逆に言うと、こういう「古い社会」と「IT」の境界線上みたいな分野でちゃんとオリジナルにシナジーが生み出せるベンチャーが出てくるようになれば、「古い社会」が「グローバルな変動」を拒否する必要が根本からなくなるので、その時はじめて日本は「アメリカ型の創造的破壊ベンチャー」を社会の中で許容できる道も見えてくるはずなんですよ。そっちはそっちでもっと頑張れよ!って話は明らかにあるんで、結局「活かしあい」に持ち込めるかどうかなんですよね。

「出羽守」さんの言うことを一応聞きつつも流されずに、こういう「平熱の愛国心」で具体的な課題を一つ一つ乗り越えていく動きを積み重ねていきましょう。

長い記事をここまで読んでくれてありがとうございました。

ここ以降は、

「モーツァルトに学ぶ”自分軸”で生きるという事の意味」

みたいな(笑)話をします。

突然やな!って話で恐縮なんですが、最近音楽サブスクサービスで「モーツァルトの交響曲を1番から全部聞く」ってことをやったんですよ。

「交響曲」っていう形式は欧州のクラシック作曲家の中では大事な「定番の形式」なんですよね。で、ベートーベンの「第九」とかみたいに、作られた順番に番号が振られている。

モーツァルトの「交響曲」は41まであって、40と41が別格に有名で、30番台にも結構有名なのがチラホラあるんですが、数が多いので一般的な知名度が低いものも多い。ベートーベンみたいに9個しかなければ、「全曲演奏」みたいな企画も成立しますけど、41個もあったら「全曲演奏」もしづらいですからね。

ただ、そんな企画CDだったらまずマニアしか買わないけど、音楽サブスクだったら「気が向いたら聴いてみよう」ってできるから、こないだ「41本全曲演奏」ってのを聞いたらなかなか色々と思うことがあったんですね。

で、そうやってモーツァルトが若い頃作った、”番号が小さい”方の作品を聞いてると、

「ここの部分、死ぬ直前で作ったあの有名作品に出てくるアイデアの萌芽って感じだな」

みたいなことがよくあるんですよね。

「死ぬ直前に作った定番曲」では壮大な絵画の一部分でポロッと出てきて大事な役割を果たしているような「部品」が、若い頃作った作品では「メインテーマ」として大事に扱われているようになっている。

後世の「完成品」をイメージしながら聞くと、なんか「部品」でしかないもののために一曲全体を前フリに使ってしまっていて、「無駄」が多いと感じる部分もあるんですけど。

ただ「当時のモーツァルト的に精一杯やった」結果がこれで、そういうのを積み重ねた結果が40番とか41番とかになってるんだなあ、というのは非常に勉強になりました。

要するに、「自分軸で生きる」というのは、若い頃からずっと「同じこと」をやり続けているってことなんだなあ、と思うわけです。

でも「同じことをずっとやってる」んだけど、それがだんだん進化してきて、若い頃「全力を尽くした完成品」だったものが、そのうち「もっと大きな絵の一部品」になったりしていく。

なんかやっぱ「そういう風に生きたいですよね」みたいな気持ちを持ってる人って読者の人にもいると思うんですが、ただこういうことやってると、「その時点その時点でのクライアント(あるいは”とりあえずの就職先”みたいなもの)との関係」と「自分軸の一貫性」との関係・・・みたいなのって色々と相互調整が難しい問題がありますよね。

「その場その場での事情」と向き合いすぎて自分の軸が壊れても良くないし、かといって自分ひとりで引きこもっていてもなんかちょっと発展性がないし・・・みたいな感じで。

モーツァルトの人生って、それぞれの時代のクライアントの要求を一応は飲み込みつつ、でも自分の軸がそれで破壊されないような距離感を調節し調節し・・・ながら流浪の中で生きていくうちに壮大な作品に発展させていった感じだなあ、と思っていて、それは結構現代社会に生きる我々も勉強になるなと思っています。

というわけで、ここ以降は、モーツァルトの若い頃の作品みたいな話から、クライアントとの関係も含めて「自分軸で生きる」ということはどういうことか、みたいな話について考えます。

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