「はぎはらけいた」です~自己紹介のタ~
おはようございます。
天気は良いのに風が強いため冬物の上着を着ている、パラスポーツコーディネーターの萩原圭太です。
風が強くて歩いてて困ります。
これまでの自己紹介はマガジンにしているので、読んでみてください。
他の投稿と被っているかもしれないけども、マガジンのカバー写真をつけました。
落ち着いて地元に帰れたときに、たくさん写真撮ってきたいな。
ざっくりなプロフィール~
1999年(平成11年)9月14日に生まれた現在二十歳。北海道の田舎生まれで、現在札幌在住の大学生。
昨日の話は、入院することになって時間がたくさん生まれたことで、様々なことを考える時間になったこと。それによって、退院後の高校生活が変わっていったという話でした。
今日はその入院中に考えたことの続きと、その後のアクションについて書いていきたいと思います。
昨日書いたのは、生徒会役員に立候補しようという話でした。
その他に考えたのは自分の所属していた野球部含めて、高校野球に対しての疑問・不信感のようなもの。地元地域に貢献したいという気持ちだったり、現状の高校生活の不満というか危機感のようなものを感じました。
生徒会役員に立候補する一番の理由は、昨日の投稿にも書いたとおり地元に貢献をしたい、学校単位で何かやっていきたいからでした。
単純にそれだけ動くほど自分はできた人間ではありません笑
当然他にも理由はあって、大学進学に有利になるのかなぁとか、疑問・不信を抱いていた野球部と距離を置きたいとか、数少ない友だちの数人がすでに生徒会役員をしていて一緒に過ごす時間を増やしたい等、色んな理由が絡んだうえでやろうと思ったわけです。
それと入院中に決めた・考えたことが、できるだけ悩みを共有すること。どうしても言えない・言いたくない内容はもちろんあったものの、自分一人で抱えられるものじゃないと気づいたので、親とか信頼できる先生に話そうと決めました。(我ながら良い判断だったと思う)
抱え込んでいたままであれば、自分の中のキャパシティーが限界を超えてどうなったことやらと思います。
昔の自分に言っても仕方ないものの、今の自分から見たらもう少ししっかり自分の考えていることや意思をぶつけてみたら良かったなと。
今であれば、批判を恐れず大胆に攻めていっていたことでしょうね笑
当時はまだ弱かったなと思います。
明日は自分が感じた野球部についての話をする予定です。高校野球については以前の投稿で触れたこともあるので、そういった話を改めて書こうかなと思っています。
高校編が凄い長くなりそう(元から何となく分かってはいた)
今日はここまでです。
自己紹介という名の自分の背景・ルーツを辿る投稿、まだまだ続きます。
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