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選択される学校(6)〜不登校と学校〜

安心できる場ではない学校

学校をとても楽しいと感じる子どもはたくさんいます。
一方で、そうではなく、学校がとても「不安な場所」だと感じる子どもも少なからずいるのです。

どちらが良い、悪いではありません。これはどう感じるかという違いなだけです。楽しいと感じる子どももいれば、不安だという子どももいる、ただそれだけのことです。
感じ方の違いということです。

次の動画でもお話ししていますが、家の方が安全だと感じているのです。


みんなと話すことが楽しくて、何の不安も感じることのない子どもにとって、学校は楽しくて仕方がないところだと思います。ですから、家に帰っても、お母さんに学校であった話を延々と楽しそうに話してくれるのだと思います。

お子さんが不登校になったお母さんに話を聞いていると、学校にこういうイメージを持っていることが多炒めに、そうでないことが歯痒かったり、悲しかったり、学校に行けないことにイラだったりしていることが多いです。

学校に行けない子どもはというと、見かけは別に普通にすごしているように見えています。子どもによっては不安だとか怖いという意識をあまり持っていない子どもも多くいます。

ところが、子ども達は無意識に不安を抱えていることがあります。安心できないでいるのです。その時に、何かしらのきっかけがあると、それが顕在意識に出てきて、「不安だ」「怖い」と思っていけなくなることがあるのです。

中には、顕在意識下に出てこないけれども、お腹が痛い、頭が痛い、あるいは、「とにかく行きたくない」という表現だけで泣き叫ぶ子どももいます。この子達は、不安や恐怖が顕在意識に出てきていないので、言葉にならない代わりに、体に出ていたり、何かしらわからないけど「行きたくない」という思いだけが出てきて動けなくなるのです。

このどちらも、大人、特に先ほどお話ししたように、学校に楽しいイメージを持っている大人からすると、到底、理解できないのです。はっきり「わからない」「なぜ?」「何が嫌なの?」と思ってしまうのです。

熱が出たり、頭が痛くなったり、下痢をしたりしている子ども達が、「もう今日は学校に行かなくていいよ。ゆっくり家ですごそう。」と言ってもらって、学校に欠席連絡をしてもらうと、嘘のように治ることがあります。

以前、お預かりしていた子どもがこのタイプで、最初、面談の時にお母様から「この子は嘘つきなんです!仮病で学校を休むんです!」とお聞きしていました。子ども自身は、お母さんの横で小さくなっています。自分は嘘つきじゃないとも言えなくなっていて、自分でも、もうどうしていいかわからない状態でした。

そのくらい、行かないと決めると、体調がよくなるのです。

なぜ、そんなことが起こるのか。

大人になって、私たちは忘れてしまうことがあります。
子どもってどんな子どもでも、大人よりは純粋で感じる力が強いのです。だから、頭で考えるよりも先に体で感じてる「不安」「恐怖」は言葉にできなくても、体には出てくるのです。

なぜなら感じているからなんです。不安、怖い、などと感じるから安心できない場所になっているんです。だから、頭で理解する前に、体が反応してしまい、動けないかったり、体に症状として出たりするのだと私は考えています。

証拠とまでは言えませんが、私が出会ってきた子ども達には、周りの同年代の子どもよりも感受性が強く豊かで、非常に敏感な子ども達が多いのは間違いありません。

最近では、HSPやHSCなんていう言葉もありますが、それに該当するかどうかはわかりませんが、不登校をする子ども達には、たいへん感受性豊な子ども達が多いのが私の30年の実感です。

大人よりも強い感受性の子ども達が「不安」「恐怖」などを感じるのはなぜでしょうか?

これには、「村のコミュニケーション」しかできない日本人が「街のコミュニケーション」をしようとしていること、そして、そこに「評価」というものがあることが関係していると私は思っています。

そのことは、また、お話ししたいと思います。

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