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【12限目】子どもとつながる大切にしている言葉

2020.6.18

四月の新しい出会いの時。同じ時代に生まれて出会った不思議な縁をいつも感じています。この縁を一年間大切にしたいという思いで、毎年スタートしていました。

ほほえみは、子供とつながる不思議な力があると、7時間目の(授業でたいせつにしたいこと)書きましたが、子供と出会った日も笑顔からの始まりです。


「はい。○○○○先生。」

初めて会った日。まず私の自己紹介とあいさつをします。それから出席をとります。私に返事をするので、子供達に、私の顔を見て手を挙げて、「はい。〇〇○○先生。」と、返事をして下さいと話します。

そして、元気に挨拶をした子には、「元気いいね。」、ちょっとはにかみ屋さんには「よろしくね。」と、一人ひとりに声をかけていきます。最後の子が終わるころには、みんな同じクラスでこれから一緒に頑張りましょうという気持ちになります。

朝の会では、「おはようございます。〇〇○○先生。」 帰りの会では、「さようなら。〇〇○○先生」と、言って、一日を終わります。帰りのあいさつの後、ジャンケンで勝った人から、さよならして帰ります。最後に残った子供たち(4~5人)は、一人ずつ私とジャンケンして帰ります。時には、負けた人から帰る日もあります。子どもたちは楽しい気持ちで帰っていきます。


「目のアンテナ下さい。」

以前、新任の先生と一緒に学年を持った時、授業をみせてもらったとき。子どもたちに大切な話を聞いてほしい場面で、「目のアンテナ下さい。」と、言うのを聞きました。

すると、みんな先生の方を見て、聞く姿勢ができていて、そして、目のアンテナが先生に届いたところで、先生の話が始まりました。

それから私も「目のアンテナ下さい。」を、よく使います。時どき「耳のアンテナ下さい。」と、言うときもあります。授業を進める中で、とても効果的なこえかけになっていました。


「だ~るまさんがころんだ」

入学式の担任あいさつで、子どもたちに向けてのお話はよく聞いていたのですが、保護者へのお話の時に少しざわざわしてきたので、「だ~るまさんがころんだ。」と、言いますと、みんな私の方を見て、ピタッと、止まったのです。

普段の遊びでやっている事なので身についていたんですね。授業中で急に静かにしてほしい時に「だ~るまさんがころんだ」を使うと、ピタッと止まります。

5年前からは、書写と図書の授業をしていたので、学年が進むにつれてほとんどの子が「だ~るまさんがころんだ」を経験しているので、どの学年の子どもも、ピタッと止まってこちらを見てくれます。

面白がる子は言われた時のポーズをそのままの形にして立っていたりして楽しんでいる子もいます。急な放送が聞けないときなどは、「だ~るまさんがころんだ。」はとても助かる合図になりました。


「ワッカリマシタカ?」

書写の授業の始まりで、一時間の進め方や書くときの気を付けるところなどを説明した時に、確認のために、外国の方が言うような言い方で「ワッカリマシタカ?」と、言います。

最初はうなずいていたんですが、ある時、元気のいい男の子がと、「ワッカリマシタヨ~。」と、言い。みんなで大笑いをしました。それから、私が「ワッカリマシタカ?」と、言うと、みんなから「ワッカリマシタヨ~。」と、返ってくるようになりました。

給食の放送の時間に「先生インタビュー」というコーナーがあり、1月の初めに私へのインタビューがありました。放送委員の質問に答えるという進め方でした。

おせちは食べましたか? おせちは何が好きですか? スキーに行きましたか? 最後に、みんなに言いたいことは何ですか?と、言う質問で、「みなさんは一人ひとり違っていて同じ人はいないので、違っているところは自信をもって、自分の得意なことや好きなことを見つけたら、それをしっかり勉強し、その事が世の中の人のため役に立ったらいいですね。頑張ってください。これで、○○○○先生のお話は終わります。」「ワッカリマシタカ?」と、言って終わりました。

後で、何人かの先生からと、給食中でしたがみんな声をそろえて「ワッカリマシタヨ~。」と、言っていましたよと聞いて、子供って楽しいなあ、面白いなあとおもいました。

時には、無理やり「ワッカリマシタヨ~。」と、言わせるみたいで、ちょっと気になるところもあるのですが、子供たちとのつながりを感じているので、続けていました。子どもとかかわる中で共通に理解しあえる方法の一つとして、こんな言葉があってもいいかなあと思っています。


「ありがとう。」

10時間目(教師一年目から学んだこと)にも書きましたが、思ったことは相手に分かるように伝えてきました。子どもたちがいろいろな場面でお手伝いをしてくれたり、助けてくれたり、嬉しい気持ちにしてくれたりしたときは「ありがとう。」と、気持ちを伝えています。

習字の時間に教室に行きますと、何人かのこどもが寄ってきて、バケツ持ってこようか?練習用紙配ります。ゴミ袋を机に貼ります。黒板にお手本を貼る子。私が使うビンに水を汲んできてくれる子。バケツの下にシートを引いてくれる子。また、授業が終わったら、バケツの墨の水を捨ててくれる子。ゴミ袋を捨てに行ってくれる子。私の大きな二つのバックを持って行ってくれる子。

そんなお手伝いをしてくれる子供たちに「ありがとう。助かったよ。」と、伝えていたら、こんなお手伝いが日常になっていました。

それもほとんどのクラスがこんなことになっています。「ありがとう。」の力はすごいです。言われた方も嬉しいんでしょうが、言った私もとてもうれしい気持ちが返ってきます。

子どもたちがが、喜んで、進んで働いている姿を見るときそれを喜んでいる私がいました。いい仕事をさせて頂いたなあと、この経験は私の人生を豊かにしているように思えます。言葉の一つ一つが、人をつないでいくんですね。


2020619 書道

「恬無欲」
~恬(てん)として欲無し~
平気にして欲がない


【編集担当より】
このnoteをきっかけに、ブラインドタッチを覚えた母ですが、週を重ねるごとに文章量が増えていっているように思います。70を超えてからでも、いつでも新しいことにチャレンジするのに遅いことはないんだなと思います。だんだんと記事を書くのにも慣れてきたようで、息子としてはうれしいような、寂しいような気がします。

油絵から書に変わったようです。実家に飾ってあった、恐らく自筆のものだと思います。「平気にして欲がない」というのは、よい言葉だと個人的に思います。ただ、noteの写真に自筆の絵や書を載せたい気持ちは、果たして欲がないといえるのでしょうか。反対の表現になりますが、欲のある人は長生きすると考えています。まだまだ元気に活動することでしょう。

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