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休日朝食日記 Vol.13

おはようございます(もうそんなん時間でもないか、、、)

今日も食日記ご覧いただきありがとうございます。


今日の朝食

9:00に目を覚ました。
即座にシャワーを浴びた。
水を軽く1リットルはがぶ飲み。
掃除、洗濯、アイロンがけ。
一息ついた時間は12:00。

昨日まで多忙な日々だった。

仕事に夢中になれることはそれは幸せな日々。
失うものなんて何もないメンタルだし、実際に得ているものの大きさに、失っている時間など少しも感じられない今の自分には、多忙なんて感じられなかった。

ただ、体は正直で、渇望した体は食べること、眠ること、満たされることに全力で、昨夜ははち切れんばかりの食べ物を胃袋に抱えたまま眠りについた。
空腹を感じる余裕もなく。

その末路がこれ。


もはや載せて大丈夫なのか?レベルのコンプラギリギリ残骸。

デザートにと、バニラアイスクリームにいただいたラスククランブルをたっぷりと混ぜ込んでいただいた絶品。
それを美味いと喜んだ以降の記憶がない。

そんな朝でした。



今日の日記

仕事の充実と人生の充実度は人によって違う。

プライベートと仕事をしっかりと分けている人がいれば、仕事に夢中になる時間が人生の充実度になっている人もいる。
僕は圧倒的に後者だ。

ここで天職について考えてみたくなった。

先日連勤続きお疲れモードの僕が姉と電話した。
やっと7/11連勤が終わったんだよねーなんて呟いた。

俯瞰してみると働きすぎだし、姉からも同様のリアクションを貰った。
確かに働く以外の余暇がほとんど無く、帰宅後に楽しもうなんて考えればすぐに0時を回ってしまう(YouTubeで時を刻んでしまった、、)。
世間一般からして(姉の意見をそう捉えるとすると)働きすぎなのは重々承知している。

ただ、ものすごく楽しい、やりがいがある。

そう思えている僕は、少しも大変だなんて思ったことがない。

目まぐるし過ぎる毎日に、ジェットコースター並みの速度で月日が過ぎていくことに驚きを隠せないのは事実だが、それでも充実度(つまりは幸福度)は120%であるからただただ天職なのだと思う。

しかし、天職という言葉が隠してしまう危険性も同時にある。

つまりは、身体の疲弊。

こればかりは嘘をつかない。つけないのだ。

この連勤、寝不足だった事実は認めざるを得ないし肩こりも経験したことのない重さだった。

両親はいつも言う。
体だけは壊すなよ、と。


天職でも、どれだけ楽しくても、そこまで気が向いてこそ社会人なんじゃないかと思う。だって仕事のある人生はこれまで生きてきた人生よりも遥かに長く続いていくから。

そう綴っても、きっと僕はまだまだがむしゃらに天職をまっとうしてしまうのだろう。

だから、せめて今日書きまとめたことを振り返る時間だけでも作ることから始めるとしよう。

全ては自分の人生のために。

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