童話「約束」〜将来大人になるあなたへ②
2 クリスマス・ツリー
僕は小学生の時に田舎暮らしをしていて、家の直ぐ裏が山で、クリスマスが近づいて来たら早速樅木を切りに山に入り、適当な大きさの樅木を見つけて、持って行ったノコギリで切って運ぶのが習わしになっていました。ツリーは自分の背丈くらいの樹でした。家に帰って、鉢にその樅木を植えて飾り付けをするんです。昭和30年代でも、点滅するイルミネーションはあって、それを樹に巻きつけたり、綿を引っ付けたり、折り紙などで飾り付けをする程度でしたけど、完成すれば我ながら満足いくものでした。
父がパット・ブーンやビング・クロスビーというアメリカの歌手のシングル・レコードを買ってきていて、家にあったプレイヤーでよく聴きました。今ではレコードやカセットテープやMDの時代ですらないんだけど、その代わりケータイで音楽専用アプリで検索したら直ぐに聴ける便利な時代になりました。
そういう僕が今でもツリーを出して、11月の中頃になれば窓の近くに設置して、いろんな飾り付けをしていると言えば、あなたは信じるでしょうか。確かにしなかった年もあったかも知れないけれど、気がつけば今でも同じことをしているのですよ。「会いたい人に会えますように」っていうことかな?それは今は三十五が僕の元に戻ってくれる気がするからなんです。
クリスチャンでもない僕が、復活祭とか奇跡を信じるなんておかしいと思うのですが、そうしないわけにはいかない。
そんな僕を見て三十を越した息子がどう思っているのかは知りません。
そのツリーの飾り付けの中で、以前よりいくつか増えた物があります。丸いボールはこれまで五センチ径の球でしたが、十センチ径の球が加わっていたり、他にも布製の靴下だとか子供がよく付けたいような物があったりします。それは一度小さな女の子がいる女性と付き合ったからでした。その人ともおよそ一年位して別れることになってしまいましたが、ツリーだけは残りました。その人と一緒にいると悪いところばかりがお互いに見えて喧嘩ばかりしていました。本当に物凄い勢いで喧嘩した時分があったんですよ。あれは大阪の十三という所でタクシーがズラっと並んでいたところで僕たちは大喧嘩を始めたんですよ。次第にタクシーは一台一台と徐々に後ろに下がって行くのが見えました。後から考えれば笑えるんですけどね。ディズニーランドに連れてってやった時にも喧嘩しました。そして気まずい思いをさせたその罰ゲームとして、帰りの八景島の遊園地で当時あったブルーフォールという、かなり上空まで上がってから真っ逆さまに落ちるという乗り物に乗せられました。あんな怖い乗り物に乗った経験は初めてで二度と乗りたくはありません。一瞬死ぬかと思いましたが、何とか生き延びております。
もうお分かりでしょうけど、いつかパートナーが出来たら、なるべく相手の良いところを見るようにして下さいね。それと一つ歯車が狂ったら機械が空回りしてしまうように、調整しなくては前に進めなくなってしまう。
きっと彼女とは相性が悪かったのだと今から思えばそう思います。相性が良ければ、少し喧嘩しても直ぐに仲直りするでしょうし、離れていても相手のことが気になるものです。
そのせいか、三十五は「今何しているの?」とよく聞いてきました。相手のことが気になるからだと思います。もし三十五と一緒に暮らすことができたとしたら、部屋に毎年一緒にクリスマス・ツリーを着飾っていることでしょう。天井に這わせるイルミネーションと共にね。
あなたは信じないかも知れませんが、僕には子供が二人いるんですが、小さい頃にクリスマス・プレゼントをいつも二つずつ用意していたんですよ。それは、一つはサンタさんからのプレゼント。そしてもう一つがパパからの物でした。
もちろん違う物ですが、一度初めたら最後、彼らが物心つく頃までやっていたということです。それが彼らの心の中にどういうふうに残っているか知る由もありません。というのも娘とはもう15年も会っていませんし、息子は一緒に住んでいてもそういうことを聞ける年齢ではもうなくなっていますしね。
僕が子供の頃は、物はそれほど豊富ではなかったですが、何か寒くても充実していたというか、四人家族の家庭は暖かかったと思います。貧しくても明るい家庭はあります。
雪が降って、家々の屋根には雪が降り積もり、窓ガラスは曇り、一家団欒の温もりがある家庭でした。そんな子供の頃に感じた思いをもう一度味わいたいのかも知れません。
12月のクリスマス・イブの日。その日も三十五との思い出があって、二人で午前中にユニバーサル・ポート駅の改札の所で落ち合って、園内を見て周り、昼は近くのホテルで食事をして、昼過ぎには出ました。園内でいるよりも、二人で梅田でゆっくりしたかったからです。思い出といえば、いちばん思い出になる一日でした。
旧約聖書には贖罪の日というのがありますが、僕は定年退職して、息子と一緒にアジア旅行をしたことがあります。最初のカンボジアのシェムリアップという街で、夕食を始める前に改めて彼に謝ることに決めていました。何故なら自分のせいで妻と別れることになり、子供たちにも迷惑をかけたからです。
彼は黙って話を聞いていましたが、そうしないでいることが出来なかったので勇気を出して自分の気持ちを彼に伝えたのでした。贖罪になったかどうか分かりませんし、彼がどう捉えたのかも分かりませんが。
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