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童話「約束」〜将来大人になるあなたへ③

3 一匹のアオガエル

 最近では、氏子でもないのに市内の山の近くにあるこじんまりした神社によくお参りします。そこは日本では最古の道と言われている「山辺やまのべの道」の道沿いにあります。神頼みをしているんでしょうと聞かれたら、はいそうですと答えるしかないのですが、お参りするようになってから、ちょうど半年経った一昨年(2021年)の7月8日のことでした。青蛙が一匹僕の目にとまりました。 

 鈴の下に鈴緒すずおが垂れていて、内側にある賽銭さいせん箱を囲うように木の枠があるんですが、ちょうど僕のへそのあたりに手摺てすりがあって、そこにちょこんと座っていたのでした。僕はしばらくその青蛙を見入ってしまいました。そしていつものように二礼二拍してお参りしたのでした。 

 その青蛙は、おそらくシュレーゲルアオガエルという種類だと思います。後にも先にも一度だけでした、そんなことがあったのは。 

 僕たちの生活の中で「気付きずき」と言われるものが時々あったりするけれど、僕たちにあることを思い出させたり、又はえてあることをしないように導いているなんていうことがあったりします。「虫の知らせ」という言葉にも似ています。僕たちにある事を見せることによって気付かせているのですね。きっと青蛙もそんな存在ではないかと思うんですよ。

 昔の人はたくさん子供を産んだので、僕の父かたは八人兄弟だし、母方は七人兄弟でした。僕の叔父さん叔母さん、従兄弟いとこもたくさんいるわけですが、父の姉は二人の夫との間にそれぞれ子供を一人ずつもうけました。再婚前に生まれた方の子供は既にこの世にいないのですが、その従兄の人はずっと理髪店を奥さんと二人で営んでいました。中学生の頃には時々立ち寄ったりもしていましたが、当時の僕の印象はその女性は余り関係が薄いせいか遠い存在でした。正直言うと何だか冷たい印象でした。後年こうねん母と久し振りにうかがうと、びっくりするくらいに昔のような人ではなくなっていて、笑顔も見れたので驚きました。その人が、亡くなって直ぐに旦那だんなさんのお墓に行くと、ちょうど青蛙が自分を待っていたようにいたというのです。それがどうも不思議でしようがなかったと言い、いたく感動した様子でした。その蛙は、自分にとって旦那ではないかと思ってしまったというのです。 

 似たようなことは、庭先に飛ぶアゲハ蝶や釣りに行った際に出くわした蝶々でさえも、そのように僕は感じたことがありました。それは亡くなった父だったり、それ以外の人だったりすると思いますが、そんなの迷信というかも知れませんが、人はいずれ死ぬ存在であるが故にそんな気付きを誰かが与えてくれているのではないかと僕は信じているのです。

 買い物をした駐車場でほんの少しの間に眼鏡めがねを失くしたことがありました。直ぐに気づいて舞い戻っても眼鏡は二度と出てきませんでした。数年前にも渓流釣りに行った時にすごい突風が吹いて河原に置いていた釣り竿一式を入れた高価なバッグが失くなっていました。ずっと川下まで探したけれど見つからなかった。

 そういうことがある度に僕は思うようになりました。きっと交通事故にうことを誰かが防ごうとそう気付かせているんじゃないかと。あなたはまだ若いから信じないかも知れないけども、信じるとか信じないとかではなく、実際に帰るのが遅れたことは事実ですから。

 三十五と付き合っていた当時僕たちの周りに不思議なくらいパトカーが、いろんなタイミングで現れることがありました。 

 さっき言った大台ヶ原山の山深いところとか、海釣りに行った兵庫港の突堤とっていの辺りとか。そして最近記念日のあの奈良公園の崩れかけた壁のところに向かって一人で歩いていたら、何とパトカーが向こうからやって来るではありませんか。昔と違う点は、二人のお巡りさんはマスクを付けていたということでした。あなたは考え過ぎとか無理に結び付け過ぎとか言うに決まっています。 

 確かにそうかも知れませんが、僕はそんなつまらないような小さなことが、気を付けていなければ見逃すようなことが大事な気がしているんですよ。

 世の中には偶然乗り合わせた旅客機が墜落したり、たまたま見に行ったライブショーがテロリストにより凄惨せいさんな状況に変わってしまったなんてことも実際に起こり得るんだから。旅客機が落ちるのはおそらく機体の欠陥のせいでしょうけど、テロにしても墜落事故にしても僕たちはあらかじめそれらが起きることを予想してそこに近づかないようにするなんてことは非常に難しいことだし、不可能に近いんです。

 だから人間は、運不運により人生を左右されることになるのだと思っています。あなたも実は最近そんな風に思ったこともあったんじゃないですか?

 去年の12月25日にちょうど僕は大阪で映画を見に行っていたのですが、梅田のビルの中のエスカレーターに乗っている時にケータイに連絡をもらいました。それは、僕が今住んでいる町の神社を管理している人からでした。僕は氏子でもないその神社に「鈴緒すずお」を付けて欲しいとお金を出して頼んでいたのでした。その日は、新しい鈴と鈴緒を交換する日で、石上神宮いそのかみじんぐうというそこの神社より大きな神社の神主さんを呼んでまつってもらっていたのでした。数日して僕はその新しくなった鈴緒と鈴を見に神社に行きました。青蛙こそいませんでしたが、きっと神様も喜んでいると思います。


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