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今よりいい自分、今よりいいところがあると思って何かを目指すということ

普通、一般的には自己成長や進歩というのは「いいこと」だとされていると思う。
成長しない人間はダメ!みたいなとこってないだろうか。

もちろん自分を高めることが「悪いこと」だとは思わないし、それって楽しいことでもあるけど、好きでそうしてるかどうかの問題は大きいと思う。
成長することがいいことだと疑うこともなく無意識にいつも頑張ってるってことは現代人にはありがちなんじゃないかと思ってて。
頑張ってることにさえ気が付かずに走り続けてるというか。
というか、私がそうだったのだけど。

私は、今の等身大の自分を置き去りにして、何かいい者になろうとしたり今よりいいところに行こうと無意識になってしまっているときがまだある。
これ以上でもこれ以下でもない、これなんだということをついつい忘れてしまいます。
気付くきっかけは「なんか居心地悪いな」という、ともすれば見逃してしまいそうなほどのささやかな不快感です。

「まだある」と書いたのは昔は私自身がバリバリの成長思考で、理想のライフスタイル叶えてナンボっしょ!と思っていたけど今はもうそうではないのに、という意味です。

何かを手に入れた先に安心や充足感があるのではないし、何者かになるから幸せになるのでもなければ、今よりいい自分になれさえすれば心からの満足感を得られるのでもない。

そのようにして得られるものは一時的な達成感であったし、それは砂漠で飲むビールのようなものなので、またすぐにのどが渇くしもっと強い刺激が必要となるから、またそこからより一層早く走り続けなければならず、そして無限に上には上がいるのでその天井には終わりがないのだと知ったときはたいそう絶望しました。

昔に自身が思い描いていた「今よりいい自分」「今よりいいところ」に確実にいけた体感があったときにその場所にいた自分は、当初と変わらない満たされない自分でした。

その時心底思った。
幸せというのは条件ではないって本当なんだということ。
今よりなにかがよくなればということは、真の満足や充足とは本当に関係がないということ。
私はあまり賢くないので、体験して初めて痛感しました。

あの時の絶望と気づきは、自己成長的なベクトルから私を真逆の方向へと向かわせました。
なのにも関わらず、気づくと無意識に今よりいい何かを探している自分に気が付きます。

探しているものはいつもここにあるものです。
それは探していないときに、いつでも差し出されていることに気が付くものでもあります。

でも何度か垣間見た程度ではすぐにそのことを忘れてしまいます。
それにその無自己の体験を、顕現の完璧さを目の当たりにすることをまた求めていたり常にそうであり続けたいと思っている自分がいることを発見します。

でもそれってさ、目指すものが違ってもまた何か今ではないところを目指して追い続けていることには違いないんじゃないかとも思う。
探すから見えなくなることを知っているのに探してしまう。
何かを目指しちゃいけないとかの話ではなくて、です。

「なる」ものでもなければ「GET」出来るものは何もないんだけど。
でもやっぱり「得たい」という人間の欲求って果てしないなあと思う。
凡夫だからしょうがない、って諦めることもできるかもしれないが諦めきれない自分がいる。

今度は不足感の補充ではなく菩提心だと思いたいけど、結局目指してることには変わりないよな、と思う。
なんか話が逸れてしまった。

精進あるのみです。







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