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【第五話】主婦が独立〜大嫌いだったパンを食べた途端に感動に包まれた〜

《私の人生を大きく変えた、小さなお店》

百貨店で一緒に働いた友人から
「美味しい」
と誘われて行った小さなお店。

その店が私の人生を大きく変えるなどとは思ってもいませんでした。


その小さなお店こそがその後、有名になる。。。


【モスバーガー】


だったのです。


パンが嫌いだった私。
その私はモスバーガーの【モスチキンバーガー】を口にした時、感動したのです。

今まで私が食した事のあるハンバーガーとは段違いだったのです。
柔らかく風味のあるパンに
ジューシーなチキン。
全てが注文を受けてから店内で作る。
その体制と清潔感。

当時の私はただの主婦、フランチャイズと言う言葉さえも知らなかったのです。

【これって誰がやっているのですか?】
私は尋ねました。

フランチャイズが何かもわからずそれを聞くことさえ出来なかった私でした。


自分でもこの【モスバーガー】のお店を出店できる事を知り、

「こんなお店を自分でやってみたい!」


そう思い、心が躍りました。

モスバーガー、初めて食べたそのお店は大阪の今福店だった。
この思い出のお店は後に私が買い取る事になったのです。

《モスバーガーをやる!》

心に決めた私。

しかし
親戚中から反対。
主人も大反対。


当然だと思います。
何の経営経験もないただの主婦である私。お店を出店するには多額の資金が必要になります。


諦めきれなかった私は銀行へお金を借りる交渉を1人でしたのでした。


しかし、私では借りる事は出来なかったのです。

私はモスバーガーについて熱く語りました。


親身に聞いてくれた銀行の担当者さん。
担当者さんもモスバーガーの快進撃の話を調べて、私を応援してくれたのです。
モスバーガーの可能性を信じてくれた担当者。

結局、ただの主婦である私は3500万円ものお金を銀行から借りたのでした。


当日まで主人には内緒w


主人が休みの時に、担当者を家にこっそりと呼びました。そして寝ている主人を起こしてその席にw

黙って口も開かずハンコだけをおしてくれた主人。

【しょーがない奴だ!】

私は追い出されても仕方がない。
それでも私は夢を諦めたくは無かったのです。
優しい主人は、ここでも私のわがままを応援してくれたのです。


大反対だった主人が最後は私を応援してくれたのでした。


息子に連れて行って貰い、車で走り回って店舗の候補地を探したのでした。

貸し店舗やビルのオーナーにもモスを熱く語った私。

モスバーガーの店舗に適した、私がやりたいところは、お金が足りなかったのです。


必死で店舗を探して歩いた日々。



なかなか適した場所が見つからなかったある日、大和川を越えるといきなり家賃が下がったのです。

私は何もなかった。



走りながら一つ一つ「知識」を、「知恵」を付けながら前に進んだのでした。


モスバーガーのフランチャイジーとしてモスをやるには、
(株)のモスフードサービスの社長の面談が必要だったのです。
社長に認めて頂けたら、社長がオーナー希望者と【握手】をしてくれる。
それが合格のサインであると私は聞いていました。

オーナー、店長の年齢は40歳までだと聞いていました。

当時、50歳を目前に控えた、ただの主婦の私。

モスバーガーにかけるその熱い想いをラブレターに込めたのです。


運命の面談。


その日のうちに、社長が私と握手をしてくれて、やっとスタートラインに立てたのです。

感動しました。。


ただの主婦だった私。
運動が苦手で、行きたかった学校にも行けなかった私。
何の経験も知識もない私が、情熱だけで新たなスタートラインに立つ事が出来たのです。

50歳を目前とした私。


多くの人が退職を前に、将来を考える年齢かも知れない。
多くの事を諦めはじめる、そんな時期である人も多いだろう。

しかし私は、毎日ラッシュにもまれて、家族を支るために出勤する主人をみて、
「定年後は私が働いてあげよう」
と思って、新たなスタートを決心したのです。

《年齢》等ただの《年輪》に過ぎない。
思い立った時こそ、タイミングである!



と、85歳の今になっても私はそう思っています。
遅過ぎる事など人生において何もないのです。


ここからモスバーガーの人生が始まったのです。


もうバタバタの中で1985年11月20日に堺市に小さな25坪の店をオープンしました。


ドキドキとハラハラのお店のオープン。


私の心配とは裏腹に【沢山のお客様】に来て頂けたのです。
老若男女、多くのお客様に喜んで頂けたのです。

私が感動したあの日のように、ハンバーガーを頬張る人々の多くの笑顔を見ながら必死で働いたのです。


やりがいのある仕事でした。毎日が必死で、そして楽しかったのです。


次男と一緒に始めたモスバーガー。その後、長男もビジネスに参加してくれて、いつしか家族で事業に邁進していたのでした。

【ママはお仕事が好きなんでしょ?】

娘にはそう言われてしまったのですが。。。。

それから33年
私はモスバーガーをやり切ったのです。


▶次のお話しはこちら

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◆【エピローグ】

◆【第一話】私とは?裕福な家庭で何不自由なく育った私〜生まれ育ち〜

◆【第二話】私の結婚観〜結婚してから好きになるもの、と言う母の教え〜

◆【第三話】華麗なる主婦生活〜上流階級?の主婦たちの生活とは?〜

◆【第四話】必要とされる喜び〜人のお手伝いから仕事を始めた私〜

◆【第六話】私を支えてくれた次男の死〜拡大戦略と初めての失敗・転機〜

◆【第七話】時代の変わり目。そしてコロナによる大打撃〜事故で生死を彷徨った私〜

◆【第八話 最終回】85歳の私のこれから〜人生が終わる瞬間まで、現役で働くことが出来るのは「インターネット」だけ〜

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