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ものの価値

ものの価値を知っていると
世の中の平均がわかる

ここで言う「価値」とは
個人の価値観や
個人的に価値があるものとは
違います

ものを見る目は
幼少期に育つのでしょうか?

物事を浅くしか見て来なかった人には永遠にわからないのでしょうか?

父は
食べれれば使えれば
何でも一緒と言う人です

美味しいの違いとか
鮮度の良し悪しとかがわかりません
(本人はわかっているのかもしれません)

好き嫌いがないからでしょうか

「あの人は嫌い」
「この食べ物は嫌い」

こういう思考があんまりありません

相手に合わせ過ぎてしまい
「何だか言いくるめられたような気がする」
こんなことがよくあるのです

あの人が良いと言ったから良いのだろう
あの人が悪いと言ったから悪いのだろう

こういう感じなのでしょうか…

父は職人なのに
ものの価値がわからないと言うことはかなりの欠点です

伝統工芸や伝統技術の職人だったらアウトです

忙し過ぎてやっつけ仕事をして来てしまったからこんな風になってしまったのでしょうか

ここまで書いていて
まるで自分のことを書いているような錯覚を少し感じました。

もしかしたら父は
子供のままなのかもしれません

よくいえば純粋でピュアピュアなのです

そして時々
天から降って来たような言葉を言うのです

もっと良く言うと
ものの見方の範疇がないのです

道徳とかがよくわかっているのです

それなのに
残酷な面もあるのです

以前に言われたことで気になっていてずっとわからないことがあります

「月の状態がいい」

ホロスコープを見てこれがわかるらしいです

月=幼少期の自分

父と私は満月に近い生まれです
父は月齢13
私は月齢14

男性で月の状態が良いとお母さんのことをよく聞く良い子らしいのですが、それが生涯こびりついて「女の人の言うことをよく聞く人」
女性に振り回される人と言うことらしいです

父は算命学だと
主星が玉堂星です

みんなが羨む玉堂星です

ある算命学の先生が
「私も玉堂星が欲しかった」
なんて言っていたから持っていたら徳のある人生が約束されているのかもしれません

でも中殺されているので
玉堂星の良さがあまり出てないか
倍加されて濁流のようになっているのかもしれません

玉堂星は知識を底なしに貯めることが出来ます
そして知識だけではなく
食べ物やお酒も底なしになるみたいです

大食い大酒飲みだったんです

人の話もずーっと聴いていられるし
長い長い映画もずーっと観てられます

私がずっと引っかかっていることは
「月の状態がいい」という言葉です

「私の状態は悪いのかいな」

言われた時にこういい返せば良かったのでしょうか

ものの価値の話からだいぶ反れてしまいましたが

ものの価値がわからないと
人のものを勝手に捨ててしまったり、人を人と思えなくなる心がない人に育つ

価値観が一緒とかそういう問題じゃありません

時代に合ってない生き方をしてしまうと、自分を押し通してしまうただのワガママになる

「おでん嫌い」

何故か私にだけ父は言い母が作ったものの中でこれだけは食べれません

私が作っても
やっぱりほんとに苦手みたいで途中で食べるのをやめてしまいます

人の心の中は基本全てはわかりません
でもその手がかりになるものが
生年月日だったり
タロットカードだったり
カラーセラピーなのです

「お父さんカラーセラピーやる?」

「やらない」

私がやっているTCカラーセラピーは、家族の中で簡単に出来るものとして最初は作られました

言いたいけど言えない
相手が何を考えてるかわからない
どう伝えていいかわからない

こういう時に身内やグループ内でやると意志の疎通がスムーズになるのです

そしてこれが習慣になると
外の生活、社会的に生きづらくなくなるのです

この話に終わりが見えて来ないので、最近楽しみに見ているNHKのテレビドラマ「VRおじさんの初恋」に多分影響されて色々と考えているのかもしれません

恋を知らないまま
人と関わらないまま
死んでいくと言う選択

幸せと言うものを感じたことがない人の物語

人に価値を見出すと言うことは
見出されることよりも難しい

自分の心が動くか動かないか
どうしよもない思いに突き動かされるか

人を好きになると言うことは
人を愛することとも違う

心が動くか動かないかが人の幸せの手がかりになるのかもしれません

あなたの幸せは?










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