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家出



束縛されることは
誰しもが嫌いではない


昔の婚約者に家出のように夜会いに行った時、私は父の車で家が何処だかわからないので、連れて行ってもらった

私は車イスの運転は得意だが
車の運転は出来ません

衝動的に
何処かに行きたかったり
逃げたかったり…

いつも父の足の車が必要なのです

その当時はもちろん車イスではなかったけれど、未だに自分の中で疑問なのです

家出のつもりなのに父に送ってもらっている自分

最近
リハビリで近所のお弁当屋さんに行った時、当時のことを何となく思い出し、ぼんやりとした記憶の線が繋がったような
※実は311の頃の記憶がごっそり抜けたままなのです

東日本大震災以前と当時はスマホもなく、パカパカのケータイはインターネットに繋がっていませんでした

お弁当屋さんに自分の足で入った時、ここのイートインスペースで食べた記憶があるけどいつのことだか思い出せなかったのです

今回足を踏み入れると極寒に感じる私に、暖かさが舞い込んで来て
「あぁ、そういえば辿り着いたのはここだったのかな‥」カレーを食べた記憶は、家出したはいいが公民館では座っていて居眠りしてたら警備員さんに何度も怒られ、何処か泊まれる所はないかと駅前にビジネスホテルが数軒あるので入ろうとしたら断られたのか、無知と言う幼さは情けないを通り越して、自分の無力さにどん底に突き落とされた

何で素泊まり出来ないのかがわからなかった私

ふらふらふらふら辿り着いた先が、暖かいお弁当屋さんの中のイートインスペースでした

カレーを1人で食べて落ちついたのか、そのまま家に帰ったようです

「イートインスペース利用時間8時から22時」

この看板に
あぁ、夜中じゃなかったのか‥

私の家には子供の頃から門限がありませんでした
鍵も開けっ放し、父は必ず昼休みに帰って来て、夜も同じ時間に帰って来る
私が夜中に犬の散歩で居なかろうが、バイトで夜中に帰って来ようが、朝帰りしようが、鍵を閉められたり怒られたりしたことがなかったのですが、今年の春に初めて父に怒られしばらく外出禁止令を食らったのです

「(夜中の)コンビニは行っていい😔」

何でこんなことになったのか、何処に書いたのか探してもないので省略するが、父が私の外の交友関係をほぼ知らなかったので、今年はそこを擦り合わせる話を父と沢山しました

地元80年と50年は私と彼の年の差22才よりも、話を縫い合わせることが大変でした

小学校も中学校も友人関係もほぼ同じ(父の同級生や仕事関係の子供と私は同級生が多い)なのでややこしい

最近聞いて嬉しかった話は
小学校に通うと学校の通りにあったパン屋さんに寄って、2枚の食パンにあんこをたっぷり塗って挟んでもらったのがお弁当だったのが、美味しかったし嬉しかったのが、私もとてもほっこりしたのです

田舎の極貧暮らしだった母の幼少期の話と違い、心豊かな成長期を過ごして来た父…その当時からの交友関係も未だにに続いていて顔が広い

私は多分中身は父に似たんだと思う

今父と安心して暮らせること
多分昔から変わらなかったけれど
ここまで辿り着くのにとても苦労を背負って来ました

父の車の免許更新がまだ1年先だったことを知り、今年いっぱいだと勘違いしてめちゃめちゃ焦っていた自分‥

甘え性な所は変わらないのかな

父が私に甘えているのが本当なんだけど、こういう関係が家族なんだろうな




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