出勤!中間管理職戦隊ジェントルマン 第5話 保身と防衛 【9,10】
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【 9 】
大量のエスエナジーを浴びてアルケウス化した人間は、その欲望を満たすことだけが行動原理になる。破壊欲なら物体を壊し続け、承認欲なら人々の賞賛を浴びることを希求する。そしてアルケウスの元になった人間が充足感を得られたとき、エスエナジーは凝縮され、元の人間もろとも結晶となるのだ。
その結晶は、それぞれのタイプに応じた色を帯びている。
攻撃と対立(破壊欲)・赤色
承認と顕示(顕示欲)・青色
獲得と保持(収集欲)・緑色
支配と優越(支配欲)・紫色
保身と防衛(保身欲)・黄色
これらの結晶を大量に集めると、爆発的なエナジーを生み出すことがわかっている。それは物理法則を超え、特定の物質を消滅させたり、他の物質と入れ替えることができると言われている。しかもその影響は、地球上のあらゆる地点に同時に及ぼすことができるのだ。
ただし理論の段階に過ぎず、運用は現実的ではないというのが阿佐ヶ谷博士の考えだ。それだけの爆発的なエナジーをコントロールする手段は、少なくともいまの技術力では不可能なはずだった。
*
「けけけけ!」
トンネルを抜け、地上駅である昭和島駅を通り過ぎると、ふたたび高架になる。軌道高度が低いうちに距離を詰めたナンコツとトリカワポンズは、アルケウスのふくらんだ尾が数メートル先に揺れているのを見て、飛びかかろうとした。ちょうど高架駅である流通センター駅にさしかかっていた。
「けけっ!」
そのとき、アルケウスが素早くホームへ飛び移ったかと思うと、すかさず球体になり、バウンドし始めた。
「くそっ、しまった!」
まず、ホームの中程でスマホに集中していた男性が標的になった。アルケウスは勢いよく地面に着地すると、その弾力を利用して男性の臀部を突き上げた。跳ね飛ばされた男性はふわりとホームドアを乗り越え、ふたつの軌道の隙間から、11m下の地面に向かって落下を始めた。
「まずい!」
トリカワポンズは飛び込み競技の選手のように、軌道上から飛び降りた。
激突まで1mというところで男性をキャッチしたトリカワポンズが見上げると、次々と人が降ってくるのが見えた。トリカワポンズは抱きかかえていた男性を手放して、次の落下地点に入る。
ホーム上にいる人々をひとしきり落とし終えたアルケウスは、捕らえようとするナンコツの手をひらりと躱して、ふたたび軌道上に戻る。そして「けけけ」と馬鹿にするように逃げていった。
「トリカワさん! 大丈夫ですか!」
ナンコツが地上を見下ろす。
見ればトリカワポンズの周りには、人々が地面に寝かされていた。どうやら全員受け止めたようだ。
「さすがです。トリカワさん」
「ナンコツ、おまえはそのままレール上を追え。俺は地上を走ってヤツの前に出る」
「なるほど。挟み撃ちですね」
「海までに追いつくといいんだがな!」
ナンコツは、トリカワポンズが残像を残して走り去ったのを見届けると、軌道上を踊るように逃げるアルケウスを目指して、足を踏み出した。
【 10 】
流通センター駅のある平和島の東側には、京浜運河が南北に伸びている。そして北側には勝島南運河という短い水路があり、京浜運河に接続している。そこが平和島の北の終端だ。東京モノレールの軌道はその勝島南運河を渡り、となりの勝島へと繋がっている。勝島は、大井競馬場のある人工島だ。
アルケウスは今まさに勝島南運河に差しかかろうとしていた。トリカワポンズは猛スピードで地上を走り、平和島の終端まで来ると、大きく膝を曲げて跳躍した。弧を描いて飛ぶトリカワポンズは、くすんだ海水を湛える運河を眼下に見ながら、アルケウスの頭上を飛び越え、橋梁のちょうど真ん中に降り立った。
「けっ!」
軌道上に突然現れたジェントルマンに、アルケウスは驚き、小さく飛び跳ねた。
「けけっ!」
方向転換しようと背後を振り返るが、そこにはナンコツが迫っている。
「けけけけ!」
挟み込まれたアルケウスは逃走を諦め、両腕の盾のなかに潜り、小動物姿から黒い球体に変化した。モノレールの軌道上に、バスケットボールサイズのそれが、音もなく佇んでいる。
「うまいこと、挟み撃ちにできたな」
「ええ。うまくいきましたね」
「この状態のときに攻撃すると、他人に跳ね返ってくるよな」
「ええ。ダメージをなすりつけてきますね」
「卑怯な野郎だ」
トリカワポンズとナンコツは、5mほどの距離を保ちながらアルケウス越しに会話をしている。運河の上を風が通り、ふたりの髪を揺らすが、黒い球体は微動だにしない。
「ナンコツも、必殺技を自分でコントロールできるようになってきたか?」
「ええ。サングラスに導かれるというよりは、自分の意思で」
「天空橋で、博士からアドバイスをもらったのを思い出したよ。このタイプが最も嫌がることは、人前に引きずり出されることだ、と」
「なるほど。保身に走れば走るほど追求が厳しくなるような環境ですね」
「心当たりがあるだろ。経理部長さん」
「ええ。そちらこそ。人事部長さん」
両者のサングラスが銀色に輝きだす。トリカワポンズは十字架のように両腕を広げ、ナンコツは道頓堀グリコのポーズをとる。ふたりの全身が、銀色の輝きに包まれた。
大井競馬場側には銀色の十字架が、平和島側には銀色のグリコが、アルケウスを挟んで光り輝いている。
最初に必殺技を放ったのはナンコツだった。
激しい発光は大井埠頭全体を包んだ。
その光のなかで、アルケウスを覆う球体の半分が大きく震えだし、いくつかの亀裂が入ったかと思うと、そのまま霧のように飛び散って消えてしまった。
アルケウスは左腕の盾を失った。
続けてトリカワポンズの必殺技が炸裂する。
ふたつの光が重なり、それは一層激しさを増した。
右腕の盾も同じ末路を辿った。震えだしたあと、亀裂が入り、そのまま霧になって消滅してしまった。
光が収まったとき、アルケウスは身を守る盾を失ったことを知った。
「け、け」
自身の尾でも追うかのように、その場でくるくると回転するアルケウス。両側から、ふたりのジェントルマンがその間合いを詰めてゆく。
「……け」
寒さに耐える小動物のように縮こまる。
「さんざん悪さをしたくせに、いまになって何を怯えているんだ」
「他人は傷つけても、自分が傷つくのはイヤだなんて、虫が良すぎるんじゃないか」
アルケウスは小刻みに震えている。ふたりの間合いが詰まれば詰まるほど、その震えは大きく、情けないほどになってゆく。
「安心しろ。すぐ消し去ってやるから」
「ふたりとも、ちょっと待った」
それは意外なほどに聞き慣れた声だった。
ナンコツの背後に阿佐ヶ谷博士が立っている。
「博士?」
「どうやって?」
モノレールの軌道上に直立する博士の姿勢は、いつになく背筋が伸びていた。運河を通り抜ける風が、白衣の裾をはためかせている。
「気づきませんでしたか? モノレールに並走している首都高羽田線をタクシーで移動してたんですけど」
「気づくわけないじゃないですか」
「後部座席でキャラメルマキアートを飲みながら、ナンコツのへっぴり腰を横目に見てましたよ」
「スタバに寄る余裕があったんですね」
「天空橋で、怖いお巡りさんに薬剤を吸わせたら眠っちゃったんで、仕方なくコーヒー買ったんです」
「”仕方なく”の使い方わかってます?」
「で、そこの橋脚から登ってきました。メンテナンス用の足場があったので」
「意外とアクティブなんだなぁ」
アルケウスが逃げるそぶりを見せたが、トリカワポンズが睨みを効かせたので再び縮こまった。
「さて、ナンコツ。ちょっとどいてください。私はそのコに話があります」
「アルケウスに……話?」
ふたりの視線が博士に注がれるなか、アルケウスの正面に立った彼はにやりと口角を歪めた。白衣の裾が、まるで旗のように風に踊っている。博士の犬歯は、その白衣よりも白かった。
「……取引をしよう」
*
「た……大佐」
グルグルに讃えられた水は、熟成の浅いウイスキーのような黄色をしている。それを見つめていた白霧島は、戸惑いを隠そうともしなかった。
「阿佐ヶ谷博士が現れて、直々にアルケウスと対峙しています」
大佐はなにも言わない。
「あの人は、なにを考えているか……わかりません」
「……白霧島」
「はい」
「ホムンクルスを出そう」
*
アルケウスが欲望の権化である以上、この個体は責任転嫁そのものが行動原理であり存在意義だ。そして欲望を満たせば結晶になる。
「ここで我々に消滅させられるよりも、保身欲をまっとうさせてはどうかな?」
アルケウスは博士の言葉をじっと聞いている。
「条件を飲めば、見逃してやる」
縮こまっていたアルケウスは、顔を持ち上げた。耳にあたる部分がピクピクと動いている。
「キミは、人々の認識を歪めることができる。特定の人間に責任をなすりつけて、自分は無傷で逃げることができる。そうだね?」
その細長い頭部で、小刻みに頷いているように見えた。
「では、キミが具現化してから犯したあらゆる罪について、なすりつける対象を変更してほしい」
博士はスマホに表示させた写真を、アルケウスに差し出した。後ろ足で立ち上がってそれを覗き込んだあと、アルケウスは「けけ」と笑った。
「ありがとう。あとは思う存分、身を守るといい」
「けけけ!」
アルケウスは隣の軌道にさっと飛び移ると、大井競馬場方面へ走り去っていった。
「博士……いいのか?」
「かまいませんよ。目には目をです」
「ヤツがまた悪さをするんじゃ」
「いや、大丈夫でしょう。この取引こそ最大の保身ですから。じきに結晶化して、活動しなくなるでしょう」
「結晶化させまいとして戦ってるんじゃないのか」
「基本的にはそうですが。仲間が奪われたままでは引き下がれませんから。ところで、トリカワポンズ、ナンコツ、周辺でホムンクルスが具現化中ですよ」
「なんだって?」
確かに目を凝らしてみれば、黒い霧が集まってきている。徐々にそれが濃くなってゆき、消化器大の人型が形成されていった。三人を取り囲むように、その数はざっと50体はあると思われた。
「さぁふたりとも、私をしっかり守ってください!」
博士が両手を広げる。白衣がより一層、風にはためいた。
「なにしろ私の戦闘力は、ゼロですから!」
*
グルグルの水槽が一瞬、フラッシュを焚いたかのように強く輝いた。そうして、その光がおさまったとき、水は黄色から無色透明に戻っていた。
「大佐。どうやら」
「うん、結晶化したようだねェ」
黄色い水が無色に戻ると同時に、グルグルの底に小指の爪ほどのサイズの石が現れた。琥珀とも黄水晶とも見えるそれは、透明な揺らぎの中で、周囲の光を反射して格別の美しさを放っている。
アルケウスの結晶化に成功したのは、新生ジェントルマンの活動開始以降、初めてのことだった。
「やりましたね!」
「そうだねェ。白霧島のおかげだねェ」
「これで黄色は満タンです」
「やっと一色満たせたねェ。残るはあと四色。長い道のりだねェ」
「少し見えてきましたね……我々の時代が」
「だけど、あの男の行動が、いまひとつ不可解だねェ」
「阿佐ヶ谷博士ですか。たしかに。でもあの人の行動はいつも読めませんから」
ハイボール大佐はしばらく腰に手を当てて思案していたが「考えてもしかたがないねェ」と呟いて顔を上げた。
「黒霧島のバイトが終わる頃だから、みんなで一杯やろうじゃないかねェ」
「いいですね! 結晶化祝いに!」
「連絡しておいてくれるかねェ。彼に」
「了解……え?」
スマホの画面を見た瞬間、白霧島は凍りついた。
「……ウソだろ」
「どうしたのかねェ」
「いやあの。黒霧島が、逮捕されました」
第5話 保身と防衛 完
参考資料:日立-アルウェーグモノレール特集、東京モノレール
電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)