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人生いろは 『ほ』 誇る        自分を誇り、人を褒める


毎日の日常はいつも変わらず、私の人生って本当に退屈。そうでしょうか? 人生それぞれ、みんな違うんです。 自分の毎日の中で何か誇れることを見つけたら、そして、それを話して褒めてもらったら、変わってくるんじゃないでしょうか。 
 
「自分の中で誇れることって何ですか?」
私ごときにそんな特別な事ないです。私はいつも普通ですから。 
本当ですか? 
 
『誇る』と言う言葉で連想するのは、自慢、うぬぼれる、思い上がるでしょうか。あんまり感じの良い言葉じゃないですよね。 特に、私たちは『謙虚』を美徳として育てられているので、それとは程遠い言葉です。 ですから、「私なんかには、誇ることなんかないです」と言うことになるんですよね。
 
でも、英語圏の中で暮らしていると、「I am proud of you. I am proud of my son. I am proud of myself」とよく耳にします。これを、「私は誇りに思います」と訳すると、ちょっと何か感じが違う感じがするのは、私だけでしょうか。
 
自分のことや身内のことは『謙虚、謙遜、控えめ』に表現するのが私たち。でも、言われなくても、相手のこと、相手がしたことは『敬意、尊敬、尊重』する。それで、社会がうまく動いているんですね。
 
ただ、自分が一生懸命やったことや、達成したこと、それが、社会的にはあまり価値のないものであっても、「アアやったー!」って、自分で思っていたことないですか。 それを、友だちやパートナーに話しましたか? 自慢するほどのことでもないし、おこがましいからって話さなかったんじゃないでしょうか。
 
自分のことは話さない、そんな習慣がついていませんか? 自分中心に見えてしまいそうだし、私のことなんか聞いてもしょうがないから。 話したって分かってもらえないから。 彼/彼女、忙しそうだし悪いから。
 
でも、自分のことだけど話ができる人ってとても素敵です。 そして、それを聞いてくれる人がいるって素晴らしいことだと思うんです。 
 
先日、若いお嬢さん(20代後半)が家にいらっしゃいました。 彼女は、ボーイフレンドとか家族に全く興味がなく、彼女との会話の中で、「私はSMSで自分の感動とかシェアしてます」って。 ソシアルメディアの中の世界が中心で、携帯電話を手放さない感じでした。 MMSやSMSももちろんいいです。 とても、便利で多くの人とつながりを保つことができるから。 特に、物理的に遠くに離れて暮らしていると、とてもありがたいメディアです。
 
でも、文字じゃなくて、話すことの大切さを最近つくづく感じるんです。 自分が達成したちょっとのことを、話すと、相手は「やったね! よかったね! すごいね!がんばったね!」って、褒めてくれますよね。 そうして、自分を誇りに思う。 これが、英語圏の “I am proud of you” “I am proud of myself” 。 そうすると、自分の中で次のチャレンジが浮かんでくる。 ルーティーンの日常にちょっと味が出てくると思うんです。 
 
この習慣は、小さい時から家族の中で作っていきたいものだと思っています。 家族での会話ってとても大切。 子供たちが、今日あったこと、聞いたこと、思ったことを話す場、そして、それに耳を貸す余裕。 小さなことを褒めてあげる機会。 それが、子供たちへの最大のモチベーション。 そして、大人も自分の周りのことを話す。 子供にこんなこと言っても、じゃなくて、それなりの自分を子供に見せることって大切だと思うんです。 大人の世界が身近になり、どんなことでも、聞く耳ができてくる。 両親が誇らしくなる、それは、自分への誇りにつながるんじゃないでしょうか。
 
そう、自分の内側を話す相手がいることの大切さが薄れているような気がします。 自分の世界で自分を誇り、褒めることも大切です。 もっとそれが高まり、強まるのは、それを直接共有してくれる人がいること。 

家族や友達は自分の内です。 でも、話さなければ心の内は見えません。 何か誇らしいことがあったら、話して褒めてもらう。 または、その反対で聞いて、褒めてあげる。 そういう家族、夫婦、親友との関係を作っていくと、自分の人生がもっと味のあるものになるんじゃないでしょうか。 自分の日常ってとっても素晴らしいんです。

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