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人生いろは 『は』 発見 小さな発見で人生をエキサイティングに

『発見』とは、「発見とは、まだ知られていなかった、わからなかったものを見出したりすること。」 感覚的に、発見って、「コロンバスが新大陸を発見した、」のように、今まで誰も知らなかったことや、特に重大なことがわかった時に、主に使われています。でも、私たちの小さな人生の中で、自分にとっての『発見』ってたくさんあると思うんです。

小さい時は何でも新しくて、珍しいですね。初めて、チョコレートを食べた時の感動、「こんなにおいしいものがあるんだ!!」って。 これも、発見ですよね。大人になるにつれて、経験を積み重ね、毎日が日常化して、すべてあたりまえになっています。『発見』とはまだ知られていなかったものを見つけ出すことです。必ずしも誰にも知られていないことではなく、発見した人にとって初めてであれば良いと言えそうです。

でも、新しいことがなくて、久しぶりに会った友人に「最近どうしてる」と聞かれても、「別に、、、、」っていう会話になっていませんか。 毎日同じ時間に起きて、型通りの朝の支度、会社、帰宅、子供、旦那、友だち、いつも同じ顔にあって、同じ会話して、発見なんてとんでもない。

毎日ルーティーンを繰り返して、発見とか新しいことってない。 本当ですか? 私たちってつい、知っている心地よい範囲にいることを選択しているんじゃないかしらって、思うんです。だから、何も探していないのではないんでしょうか。 

発見の言葉の意味に戻ります。 発見は「見出す」「見つける」「突き止める」「嗅ぎ付ける」つまり、探していなければないことなんです。
違う目線で自分の生活を見てみると、毎日って絶対同じじゃないですよね。ちょっと違う『あっ!』。 小さな発見を見ることのできる生活、それをすると人生がより一層輝いてくるんではないでしょうか。

何かに気づくと、また、新しいことが始まります。 そうすると、日常にちょっとだけ変化が起こってきます。 皆、そうして生活しているんです。 でも、そうやっていると気づかないだけ。 

私が、このニュージーランドに来る前は、ボラボラと言う小さな島に10年住んでいました。 知っている人は主人以外いない生活・周りがしゃべっている言葉がわからない生活でも、主人の仕事を手伝って24時間一緒でしたから、自然に入っていけました。発見と気づきの毎日でした。 

でも、ここに来た時、旦那は8時5時の仕事に就いたんです。そうすると、彼が朝出かけていくと、私は全く知っている人もいないので、一人っきりで声も出さないと言う一日だったんです(その頃はソシアルメディアがまだなかった)。 旦那が返ってきたとき、彼は新しい仕事のチャレンジがあって、いろいろ説明してくれます。 トンチンカンでしたけど、徐々に専門的なこともわかってきました。 私は、と言うと何もないじゃないですか。 でも、それではつまらないので、散歩に行って何か話すことないかなと探す毎日でした。 道で見たもの、あった人やワンコ、結構毎日話す種には欠かせなかったんですよ。

そう、小さなことでも気づいて発見する。 それだけじゃなくて、それを誰かに話す。 そうすると、毎日同じじゃないと確認できるんですよね。 「こんなことテレビで見て、へえっと思ったんだ」それは、自分にとって発見。 それを、パートナー、家族に話して、その発見をシェアするんです。

そう、話すことで自分が発見したことに気づくんです。 こんなこと話してもつまらないし、彼・彼女には関係ないから、と言って話さない習慣がついていませんか。 話すことで、自分への気づきになる。相手の自分に対する興味、好奇心、理解も自然と、水が土地に染み渡るようにじわじわと浸透していくのではないかと思うんです。

反対も言えます。 子供たちやパートナーが、友だちや仕事仲間、外で会ったことを話しても、関係ないと聞き流していませんか。 関係なくないんです。 あなたの家族・友だちなんですから。 彼らの出来事、出会いは私のものと同じ。 彼らが発見したことは私の発見。そして、それを話している彼らも、その発見に気づくんじゃないでしょうか。

小さな日常の中の『発見』に気づくことで、日常にワクワクが起こり、グレーの毎日に色がついてくる。 そして、それを話すことで、二人・家族の絆が強くなってくる。

小さな『発見』を見逃さない毎日。 そしてその、小さな出来事を『話す』(聴く)毎日。 エキサイティングで素敵な人生はそうした積み重ねの毎日だと思います。

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