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人生いろは 『よ』         寄り道しながら自分らしい人生を


『寄り道』はどこかに行く途中で道草を食う、何かの目的を達成する途中で違うことに時間を費やすことです。 世の中どういうわけか忙しくなって、無理、無駄、むらをより少なくして、効率よく時間を使っていくことが善、寄り道は余計なものとなってきています。
 
人生って計画通りにはいかないことが多いです。 何かに向かって一生懸命やっていて、この予想外のちょっとした事で躓いてがっかりすることの連続です。 でも、本当にそれが躓きだったんでしょうか? おかげで、あんな人に会えた、こんなことを知ることができた、さらには、その躓きのおかげで、以前と違う自分がいる、そういう事ってありますよね。
 
私の最初の寄り道は、父が突然バンコックに赴任すると決めた時です。 高校1年の終わり頃でした。 折角私立の女子高に入れてもらって友達もできて本当に楽しく、受験勉強して大学に入って、、、という道を歩んでいました。 今の時代だったら、お父さんだけ単身赴任すればいい、母も行きたかったわけではないので、と言う事になっていたでしょう。  当時はいやいやだったので、今考えると本当にもったいないことをしたと思うくらい、ダラダラすごして、折角のチャンスを受け止めていなかったんです。 回り道のせいで、大学に行くのが一年遅れました。 数学のレベルや日本語のレベルは低く留まりました。 獣医になりたいという小さな希望はあきらめることになりました。 英語力は少し上でしたが、アメリカや英国に自主留学した人たちよりずっと低い習得でした。利点を感じていなかったです。でも、今顧みると、その回り道のおかげで、いろんなものを見せてもらっていたんです。積極的に受け止めなかったにもかかわらず、この寄り道のおかげで今の私があるんでしょう。
 
突然寄り道を強いられると、どうしていいかわからなくなることあります。 その寄り道を柔軟に受け入れらるようになるにはどうしたらいいんでしょう。 自分で常にちょっとした寄り道すればいいんじゃないでしょうか。 目標に向かっての道、方法以外の所もちょっと覗く、ちょっと立ち寄ってみる、ちょっと余計なこともやってみる、そうしていくうちに、自然と視野が広くなるような気がします。
 
例えば、健康のためのジョギングやウオーキング。 ヘッドホンして好きな音楽聞きながら時間内に自分の心拍数あげて、わき目もふらず。 もちろん、あのイベントで走るんだなんて言う目標があって頑張ってるんです。 でも、毎日同じ道を走ったり歩いていても、まっしぐらじゃないと誰かとお話ししたり、道にある草木を発見したりして、何かちょっとゆとりが生まれる。 ましては、そのおかげで新しいアイデアが沸いてくる。 そんなことないですか。
 
毎日忙しいので、時間ギリギリの日程表のなかで、動いています。時々、ちょっと時間の余裕があっても、いつもの通りこの時間に出てこの時間に到着が当たり前。 ちょっと変えて、寄り道してみてはどうでしょう。 同じ家から駅までも新しい発見があるかも。 同じ駅から駅の間で途中下車してみたら、へーこんなところあるんだ、、、とか。 ほんの少しの時間で毎日の同じ行動に変化がでてきます。 変化は刺激だと思うんです。 日常が退屈だと感じることが少なくなるんじゃないかと。
 
人生には、「想定外の事態」が次々と降りかかってきます。 目標に邁進は素晴らしいです。 でも、寄り道を強いられた時、ストレスにするんじゃなく、挫折だといら立つんじゃなく、これもありかなと受け止める余裕がある事って大切だと思います。 それって、寄り道を経験していると当たり前になると思うんです。 思い通りにならない事ってたくさんあります。 それを、余裕で寄り道大歓迎と思っていると大したことじゃなくなります。 また、 寄り道を当たり前にしていると、深刻な想定外の事態に遭遇した時、パニックせず受け止めることができるんじゃないかと思います。 
 
人生は思わぬ偶然の連続です。 無駄な事、寄り道をしながら生きていくと余裕が出てきて、急な流れに押し流される感じ、いつも何かに強いられている感じがなくなっていくと思います。 自分の中に主体性が培っていって、どんな偶然も自分の糧にできるようになるんじゃないかと思うんです。 大きな目で時間の流れを感じることができるようになるんです。
 
人生は積み上げるものではなく、つなぎ合わせるもの。 回り道、道草してしまっても、それも一つと人生に組み込んでいけたら、味のある人生になりますよね。 いつもギリギリの時間や気持ちで暮らすんではなく、寄り道しながら歩んで、変化のある自分らしい人生を培っていきたいと思います。

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