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福沢諭吉「子供の教育は余り厳ならずしてよき例を示すは則ちよき教なり」

こんにちは コウちゃんです。
 今回は福沢の演説を紹介したいと思います。福沢はスピーチを「演説」と訳し、その重要性を説き、自らも実践しました。彼の演説を集めた慶應義塾大学教授小川原正道氏の『独立のすすめ 福沢諭吉演説集』に所収されている演説から彼の教育論が垣間見えるものをいくつか紹介していきたいと思います。今回紹介するのが、福沢が40歳頃の明治9年の演説である「子供の教育は余り厳ならずしてよき例を示すは則ちよき教なり」です。


現代語要訳

 花が開くのに雨露が必要なように、子どもは父母の助けや教師の助けを借りて「発育」しなければならない。そこでその教育は厳しくするべきか優しくするべきかだろうか?どちらにしろ極端になってはいけず、「中庸を善とす」べきである。しかし、古いしきたりにとらわれすぎて時を誤ってはいけない。鉢植えの草木も成長すれば鉢植えの恩恵を受けられなくなるように教育は小さい子供の時は最も大切で容易でないものがある。

 それに加えて世が進むにつれて、教えることも多くなり、その時代に合わせて教育の方法も変わっていかなければならない。昔の人と現代の人と目的・骨格・知恵などが違う理由は医者・学者・役人と職人の能力が違う理由と同様である。医者・学者・役人など真理を求めて知恵を必要とする仕事をするものの頭脳は職人の様な肉体労働者より優れている。一方、職人と医者学者の筋力を比べれば職人の方が優れている。これは全て教育によって生まれる違いである。しかし、一般的に学者の子を職人にして職人の子を学者にすることは比較的難しいだろう。例えば、猿に人真似を教えると、人と近い真似はできるが人と同一のことは出来ない。犬に人真似を教えると猿に及ばないだろう。つまり、下等の人の子を上等の人間に育て上げることは、猿に人の立ち振る舞いを教えたり、犬に猿の行儀を教えるのと同じように容易にはいかないだろう。しかし、違う種である犬や猿を教育する訳でなく、同類の人の子に人のなすことを教えるのだから不可能ではない。子どもを教育するには家庭内の教えが大切であり、努力しなければならない
 人が成長した後、良い素行があるのも悪い習慣があるのも、皆その育った家固有の習慣を受けて生まれたものであり、幼少の時の習慣は一生離れない。子どもはその家の日常の動作や話し方、世間との交際の仕方などを父母の例を見て、聞いて自分のものにしていくのである。子どもの性質は白糸のようで、赤く染めれば赤くなり、黒く染めれば黒くなりいつまでも黒く、成長した後に受け取る教えは知識のみである。

 中には教育するにあたって常に厳しく、顔を見れば叱り、学校から帰った後も休日も勉強することを強いて、子どもを全く遊ばせないような人がいある。「これ書を読ましむるの一に注意して、心身の発育に注意せざるものというべし。」勉強についてばかり子どもを攻めると、かえって知識を得られないだけでなく、心身の発育を妨げて病気がちになってしまう者もいる。少年の間は遊ぶべき時間を与えず勉強ばかりさせ、立ち振る舞いや言葉遣い、ご飯の食べ方、箸の持ち方までいちいち厳しくするのは非常に良くない。世間には厳しい親の子どもに放蕩ものがいるのを見て見よ。むしろ厳しい教育をするより、親が良い例を示し、これを見習わせることによって教え導いていかなければならない。
 また真に子どもをよく教育しようと欲するならば住む場所も選ぶべきである。隣近所が悪い環境であるのは最大の害である。アメリカのニューイングランド地方には地価の高い所があるが、近隣の住民の素行が良く、人が好んで移り住むからである。子どもの教育を厳しくするよりも、周囲の社会が大切である

 演説の趣旨をまとめると、子どもを教えるタイミングを誤ることなく、教育は時代に応じて変わらなければならない、そうすれば世の中は世代が進むごとに進歩するので、現代の人はその子孫に教えるにあたって厳しくするよりも、良い手本を示し、教育の方法を高めれば、さらに後の世代の子孫もその恩恵を受けて幸福になることであろう。

考えたこと

①晩年まで一貫した姿勢

厳しく教えるのではなく大人が良い手本を示して導くべきだという教育観は前回紹介した『福翁百余話』所収の「文明の家庭は親友の集合なり」とも共通してますね。今回の演説が明治9年の演説なので、この姿勢は壮年期から晩年まで一貫していますね。保護者・教師も「人の振り見て我が振り直せ」で、子どもを指導する際にふと自分のことも振り返ると良いかもしれませんね。

② 後天的環境の重要性

 研究では子どもの学力に対する影響力は、下の記事のように遺伝が約50%、家庭環境が約30%、残りが約20%ともいわれてますよね。80%は親が与えるものですね。先天的な影響が半分なわけですが、こういう論説で現代人が気を付けなければならないのは「学力は!!」というところです。子どもの素行や人格については別ですよ。これらへの影響を数値化して研究したものは知りませんが、福沢の言うように後天的な影響がより重要であることは間違いないでしょう。もちろん学力だって「遺伝的な影響は50%しかない」と考えれば、子どもの可能性はいくらでもあります。遺伝は変えられませんから、出来ることをしてあげましょう。親が子どもにレッテルを貼らず、可能性を信じて、信じなくとも可能性をつぶさないように、出来る限り環境を整えてあげて応援することが大切ですね。

③ 「心身の発育」>「勉強」当たり前だけど、現代は忘れがち

 親御さんも子どもが小さいうちは「健康に育ってくれれば十分」という思いが強いと思います。しかし、成長してきて「成績」とか「受験」とかいう言葉が出てくると「勉強」に重点が置かれがちになってくるのではないでしょうか。
 教員をしていると、親が子どもに勉強しろと言いすぎたり、成績を責めすぎたりして、子どもの自己肯定感が下がり、勉強が上手くいかない家庭を見ます。ひどい場合には不登校の原因にもなります。

まさに「これ書を読ましむるの一に注意して、心身の発育に注意せざるものというべし。」です

今一度教育の原点に立ち返り、「心身の発育」>「勉強」という原則を忘れないようにしましょう。


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