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第69弾「ちゃうちゃう(Hocus Pocus Tricks)」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

69曲目はこれ。ちゃうちゃう(Hocus Pocus Tricks)。本当は英語で作りたかったのだけど、一旦諦めて日本語にしました。あたし、思うわけですよ。どんなに仏頂面なあのひとも、どんなに正論を振りかざすあのひとも、心の底では「新しいなにか、胸をときめかせてくれるなにかを、めちゃめちゃ求めている」ことを。不機嫌そうなひとほど、斜に構えているひとほど、実は、誰よりも強く『光』を求めている。そういうことを、思うのです。

「ちゃうちゃう(Hocus Pocus Tricks)」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

みんな 退屈しているよ いつも 心待ちにしているのさ
この 胸を ときめかせてくれる あたらしい「何か」を

無駄に無駄を 重ねたい ばかになれないなんて つまんない
ほら 勘違いしているだけ ばかじゃないひとなんて いない

うれしくて 声を あげちゃう 涙だって 出ちゃう
このね 思わず 何かしちゃう この感じ
なにしちゃう? 恋しちゃう? ちゃう? ちゃう?

ご都合ならいいぜ だけど ご機嫌わるけりゃ やらない
ほら 俺を 震わせてちょーだい 楽しませてきょーだい

かなしくて 声 なんて出ない 涙だって 出ない
でもね たまらず 何かしちゃう この感じ
意気地ない? 懲りてない? 出ない? 出ない?

みんな 退屈しているよ みんな 心待ちにしているのさ
この 胸を ときめかせてくれる あたらしい「何か」を

それが何か まだ 誰も知らない だから 俺たちが
それを カタチにしてあげちゃう この魔法
覚えちゃう? 使っちゃう? ちゃう? ちゃう?

うれしくて 声を あげちゃう 涙だって 出ちゃう
これね 思わず 何かしちゃう この感じ
目指しちゃう? 主演しちゃう? ちゃう? ちゃう?

※※※ 動画では諸々をすごい間違えています ※※※

だからね、あたしらみたいな人間【表現者】は「胸をときめかせるなにかを、まだ、誰も知らないけれども、それが生まれた途端に『そうそう、それが欲しかったんだ!』ってみんなが思えるようなものを、カタチにすることがお仕事」なんだと思う。こう言っちゃあれだけど、みんな、退屈しているのだと思う。生きるのがつらいとか思っちゃうこともあるけど、あれは「つらいんじゃなくてつまらないだけ」だと、思うのよ。いまの自分とか、いまの仕事、環境や、人間関係に、飽きちゃっているのよ。だって、楽しいことに出会えたら、胸がときめくものに出会えたら、どれだけ貧しかろうが、どれだけ世間的に惨めな状態に置かれていようが、確実に、幸せになるもの。

あたしら、全員、バカだと思う。だから、バカだと思われることを気にする必要もないのだと思う(とか言いながらあたしはすごい気にするけど)。だってさ、冷静に考えると、あたしたち、この瞬間も「いつか死んでしまうこと」を、忘れているじゃない???いつか死ぬってすごい大事なことだと思うけど、でも、簡単に忘れてしまうじゃない???それで、まるで永遠に生きるかのように日々を無駄にしたり、なんとなく過ごしてしまったりするじゃない???別に、それが悪いことだとか言いたいわけじゃないの。そうじゃなくて、あたしたち、デフォルトが『バカ』なのよ。だって、バカじゃないと、あまりにも生きるのが苦しいから。忘れることができるから、あたしたち、呑気に生きることができるのよ。懲りずに生きることができるのよ。

こうあるべきとか、こうでなければならないとか、自分や他人をガッチガチに縛ってしまうこと、なあい???あたしには、あります。そういうときの自分って、なんだかすごい窮屈で、なんだかすごいつまらない。限定的で、閉鎖的で、排他的。でもさ、自分がすごいいい感じのときって、乱暴にまとめると「なんでもありなんだな、人生!」って気持ちに包まれているときだと思うの。そういう時って、笑えって言われたから笑うんじゃなくて、いつの間にか『笑っちゃっている』ものだと思う。最高に面白いときも、自分の意思を超えて『思わず声をあげちゃう』『思わず涙が出ちゃう』くらい、頭よりも先に、体が反応をする。あたしが大事にしたいと思うのは、この感覚。思わずなにかをし『ちゃう』、この、ちゃうちゃう感が大事だと思うのよ。

たとえばあたしは夕日が好きで、夕日を見ると「うおー!」とか叫んで、思わず走り出しちゃう。海も好きだから、海に着くと「うおー!」とか思わず叫んで、思わず走り出して、思わず写真とか撮っちゃう。この感じ。この感じが大事だと思う。歌わなければならないから歌うというより、いつの間にか体が歌を歌っていた、自分が「歌う」と意識するというよりお、体から歌があふれてきた、この『あふれだす』って感じが、大事だと思うの。人間、ボロ雑巾ではないのだから、絞り出すことばかりしていたら、カラカラのボロボロになってしまう。でも、あふれだすことをしていたら、きっと毎日が豊かになり、毎日が潤う。甘いと言われようが、あたしは、あたしにそういう人生を望む。そうじゃなければ、あまりにも生きることが酷になるから。

全然関係ないけど、あたし、過去にいろいろあって左目が見えていないのね。一応、目は開くのだけど、基本的に見えていないの。だから、どうしても動画に残すとガチャ目っていうのかな、左右の表情が対象にならない。そのことを悩んだ時期もあったけど、でも、色々な人に会ってたら、意外と結構な数の人が「実は、自分も片目が見えないんです」とか「実は、自分も片耳が聞こえないんです」とかって言うひと、いることがわかった。そうするとね、あれだけ嫌だ嫌だと思っていたコンプレックス(?)みたいなものが、なんだか『連帯を生むために不可欠なもの』みたいなものに、様変わりするのよ。片目しか見えないことを『隻眼』なんて言うけれど、なんだか、こういう言葉にするとかっこういいわよね。ひとかどの見識、って感じ。


あたしは浮き沈みが結構あるから、浮いているときはいいけど、沈没しているときは沼の底の底にいるような気持ちになる。自分なんかいない方がいいとか、誰も自分のことなど必要としていないのだとか割と簡単に思うんだけど、そういうときに「別府に来てください!」とか言われちゃうと、もう、救われちゃう。すごいうれしい。温泉があるのもうれしい(竹瓦温泉最高!)。お寿司を食べれるかもしれないこともうれしい(なぜならば、ここ最近飴ばかりを舐めていたから)。人生、差、ね。闇があるから光がある。苦しみがあるからよろこびがある。落ちている時期はしんどいけど、落ちている時期があるからこそ、あがった瞬間のよろこびとでも言えばいいのかしら、それが数倍増しになる。あたしは大袈裟な人間だから、すぐに「生きててよかったー!」って、なる。優しいひとに出会えると、まだまだ人間界は捨てたもんじゃないなあって思えるし、まだまだ生きていきたいって思う。

明日の別府のイベント、奇跡的に来れるひとがいたら、是非来てちょーだい。夕暮れ時を、波と、星と、声と、音楽で過ごすだなんて最高じゃない。その後の予定は未定だけど、誰かがどこかに呼んでくれるならそこに行くし、特に呼ばれることもなければ土にでも海にでも(いつか)還ります。あたし、小林一茶の「死に支度、いたせいたせと、桜かな」って句が好きなんだけど、なんだか最近この言葉をおまじないみたいに唱えている。死に支度。なぜだろう、この言葉を思うと落ち着く自分がいる。最近はずっと海にいるのだけど、海にいる人間なんて、自分ひとりなのよね。夕日とかすごい綺麗だと思うのに、なぜ、それを見ているのは自分ひとりなのだろう。みんな、テレビを見ているのかしら。夕日より、テレビの方が面白いのかしら。とか、そういうことを考えるとキリがないから「実は、あたしも海とか夕日が大好きです!」って言うあなたと、出会えることを楽しみにしています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月13日(木)19時~20時@大分県別府市「田ノ浦ビーチ」

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。もし、人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけたら最高にうれしいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!