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セカンドハンドパラダイス!埋め立てゴミは1%!?スウェーデン の環境意識はどう作られたの?


スウェーデンって聞くと何を思い浮かびますか?
北欧家具?IKEA?マインクラフト?ボルボ?Spotify?


いや、セカンドハンドショップでしょう!


まずはこちら。世界ではじめて、商品全てがリサイクル、リユース、アップサイクルのものを売っているショッピングモールがある。その名も「Retuna(リトゥナ)」


広大な敷地の中に、街のリサイクルセンターとモールがある。搬入がすべからく楽チン。14ものユニークな企業がテナントとして入っており、商品もバラエティに富む。売り上げも右肩上がり、2020年に最高益を出した。


エシルストゥーナという人口6.7万人ほどの街にモールはある。今では年間300件の視察が来ていて、鉄鋼業の衰退を環境共生のまちづくりに移行して見事復活した街として知られているとのこと。まちづくり関係者の方にもヒントになるかもしれない。


エシルストゥーナについての詳細は、下記の方のブログを発見したので、関心ある方はどうぞ。


サステナビリティ先進国


地球サミットでのスピーチが記憶に新しいグレタ・トゥンべリさん、プレネタリーバウンダリーの概念を作ったヨハン・ロックストリームもスウェーデン出身。


ゴミ排出の99%がリサイクルされ、生ゴミはバイオエネルギーに変換される。たった1%だけが埋め立てゴミ。2016年当時、世界ではじめて石油を使ったエネルギーをゼロにすると宣言し、今現在約半分以上のエネルギーが再生可能エネルギーでまかなわれている。 SDGs指標でも世界一をとったり。サステナ先進国なのです。

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実際住んでみて、一番はじめにいいなって思ったのは、缶などを回収してくれるスーパー。缶自体にデポジットが設定されていて、自販機みたいなところにいれるとクーポンで戻ってくる。そのままでスーパーで使えるシステム。そして、街のいたるところにセカンドハンドショップがある。

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自分が住んでいた街の中心部でSecond Hand と検索すると、10店舗くらいでてきた。人口5〜6万人の街でこれだけ需要があったりする。日本でいうメルカリ見たいなBlocketっていうサイトやFacebookを使っての売買も盛ん。(日本ではまだ?みたいなんだけど、facebookで販売ページが作れる。主に地域ごとに販売ページがあって、そのページにポストすることで売買ができる。自分も自転車を購入してみました。)


けど、生ゴミの回収は二週間に一回だし、リサイクル系などのゴミは集荷場まで自分たちで出しに行かなきゃいけなかったり、日本のゴミ回収システムと比べるとめんどくさいところもあったけど。(自分が住んでいた街とエシルストゥーナでは、違うところもあったので、地方自治体にもよる。)


スウェーデン、環境意識の高まり


北欧っていうことでもともと持ってるイメージとしても環境意識高い。セカンドハンドショップのにぎわい、リサイクルのデポジット制度など、ゴミのシステムなど、サステナビリティに熱心な国という印象を受ける国。


一方で、個人的に一緒に住んでたスウェーデン人を見ると、あんまり意識の高さは感じられなかった。ゴミの分別がけっこうむちゃくちゃだったから笑 でも、話をしてみると環境への配慮は理解しているし、集荷場で仕分けをするから、家ではまいっかなのかも。話をしてみると、しなきゃっていうより当たり前っていう感じがする。うーむ、どういうことなんだろうか。


なので、どういう歴史のもと、今にいたるのか気になった。スウェーデンに数十年在住してる日本人と地方議員のスウェーデン人の友達に詳しく話を聞いた。


意外な事実としては、ちょっと前まで環境への意識っていうのはそこまで高くなかったらしい。エコ=ちょっと高い。高いのに、クオリティは低いよねっていう見方で、ホテルなんかでも取り組みをしているところは、質が低いのはちょっと、、、と敬遠の対象だった。それじゃ、なぜ意識が高くなっていったのかっていうのは、少し歴史をさかのぼる必要がある。


環境意識が高まっていった歴史:はじまりは戦後特需

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時は、第二次世界大戦。スウェーデンが選んだ戦略は中立政策。フィンランド側からは、旧ソ連軍。デンマーク側からは、ドイツ軍などから上司からも部下からも圧迫される中間管理職のような状態を守っていた。功を奏したのが、中立を守っていたことでインフラが壊れなかったこと。のちのち、戦後の特需に繋がる。


これってどこかで聞いた話。そう、日本と同じだ。
第二次世界大戦以降、戦争の特需にのって「もはや戦後ではない」ともてはやされたとき。戦争すると、やっぱりどこかが儲かる。話をもどして、インフラが壊れなかったこともあり、スウェーデンは戦後の特需にのって、国が発展していった。

そして、発展していって起こることも同じ。
そう、公害なんです。日本の4大公害も経済発展によって巻き起こった。スウェーデンでも経済発展によって、様々な公害が起こった。内閣府が戦後に世界状況をまとめていて、そのサイトにはこんな風に書かれていた。

スウェーデンでは戦後大都市への人口集中が著しく,家庭の汚水が問題化しており,また工業排水では最も問題の多い紙・パルプ工場のほかに,新興の化学工業その他の公害型産業による水質汚濁も起っているし,農薬の使用も問題化している。さらにバルト海も汚染されてきており,その対策を検討するため,デンマーク政府がソ連,フィンランド,スウェーデン,ポーランド,東西ドイツなどの沿岸諸国に対して国際会議の開催を提唱している。(内閣府)


内閣府もだけど、スウェーデンのSwedish Enviromental Protection Agecyにも歴史がのっていた。車の数が1959年には100 万台だったのが、9年で倍になった。人口が現在で一千万人の国なので、当時としてはかなりの台数。


インフラが壊れてなくて、復興特需、経済発展も他の国より早かったことで、環境へのインパクトも早く出てきた。なので、いち早く環境負荷への議論が進んだ。


なぜ議論がちゃんと進んだのか。

環境意識が高まっていった歴史:議会体制と目からウロコのフレームワーク

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インタビュイーによると、議会の体制じゃないかと話していた。スウェーデンは与党が強いわけでなく、与野党の勢力が入り混じっていて、「対話」をしながらバランスのとった政策を決定してきた。めいめいの意見を取り入れ、多様性を担保してきたからこそ、環境政策があとにおいていかれなかった。


また、少し主観になるが、自分の大学院のプログラムを作ったカールヘンリク博士の話をリンクさせる。環境意識を考えるときに一般的に出てくるのが、経済と環境の関係はトレードオフになってしまう見方。その議論に希望を見せたのがカールヘンリク博士だった。


博士は、経済政策と環境政策は相反しないコンセプトのフレームワークを世間に発表した。トレードオフだと思ってたのは、相反しないとなったら目からウロコ。王室や自治体のサポートも受け、大きなムーブメントとなった。その後、サステナビリティの研究が進むにつれて、むしろビジネスに様々な観点から有効であるということもわかってきている。


フレームワークを学ぶゲームも開発され、スウェーデンの子供がいる家庭に全戸配布されることにもなった。博士は89年にはこの考え方を取り入れたナチュラルステップという団体を設立。さらには、学問の世界でも広めるために、大学院のプログラムまで作った。


環境意識が高まっていった歴史:まとめ+スウェーデン、森への意識



戦争があったことでインフラが残ったことで、経済発展が早かった。
そのことで、環境へのインパクトが出始めたので、議論が早くされた。環境意識が高まりをむかえるのと同時に、環境と経済を両立するサステナビリティのフレームが発表されたことも一助となり、システムがまずは整っていったというのが一連の流れ。


もちろん、個別に突っ込んでかなきゃいけないし、おそらく教育的なところもある。インタビューなので、主観で語られていることだから、前後することや違うところ、メンションないところもあるとおもうので、さらなる学びは必要。

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写真は、ストックホルムにある世界遺産の墓地「スコーグスシュルコゴーデン」森の中にあって、気持ちがいい墓地なんてはじめてだった。


スウェーデンの森は、とにかく明るい。そして、すぐそこにあるって感じがする。フィーカ(おやつタイム)のブルーベリーだって、近くの森からとってくる。僕が住んでいた家の大家さんは、自分だけの秘密の場所があるっていって森の中に散歩によくいっていた。


スウェーデン人の考え方に、人間は死ぬと森にかえっていくっていう概念があるらしい。なので、森が大切だっていう意識があるという話をきいた。そんな大切な森が、公害によって、酸性雨や汚染されることへの危機感が環境意識への高まりや議論を進めた要因じゃないかっていう見方もある。そのことが世論として、議会にも影響したんじゃないか、と。


森が大切だっていうことがそもそもの根底にあって、環境意識が高まり、システムも整っていったり。文化だってセカンドハンドを使うっていうところにまで繋がってくるってなんだかステキだな。


次回、セカンドハンド文化を支えるLoppis(ロッピス)を紹介したいと思います。







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