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特別でなくていい

子どもの頃、特別でなければ愛されないと思っていた。
跡を継ぐことができないわたしは、必要のなかった存在だと感じていた。

存在を認められるには、特別であろうと決めていた。
特別褒められる、特別いい子でいようと決めていた。

実際は女性でも跡を継ぐことはできるし、わたしが純粋に継ぎたいと思ったことはなかったけど。

「いい子」として認められなければ意味がない。
でも、どうしても「いい子」として認められなければ、「かわいそうなわたし」を作り出した。

不幸自慢も優越コンプレックス。

「こんなに弱いわたしを放っておくの?」
「こんなに傷ついているんだから、傍にいて。」
言葉にすることを避けていた葛藤は、言葉にすると自分の闇が見えた。

自分の居場所がなくならないように、必死だったんだろうな。

人生は競争ではない。
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの。
理想の自分ではなく、現実の自分を受け入れることを、自己受容という。

岸見先生はそう仰っていた。

わたしが今、目を向けたいのは、ここ。
自己肯定感が低い、と思ってたけど、自分に都合のいい隠れ蓑にしてた。

昨日届いた、NHK「100分de名著」ブックス『アドラー 人生の意味の心理学―変われない? 変わりたくない? 』

変われない? 変わりたくない?
人生は、変えられる。
それを妨げているものの正体は・・・
初めて知ったとき、あまりの衝撃にフリーズしたことを覚えてる(笑)

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