無添加書道は、ぼくの生き方! 遠藤夕幻(ゆうげん)さん
"素直に感じたことを素直に書く" 無添加書道とともに家族を大切に、いつも自分らしさを表現されている遠藤夕幻(ゆうげん)さんにお話を伺いました。
プロフィール
遠藤夕幻:書道で家族を養っています。
『無添加書道』という言葉を掲げ、自分の生き方やこれまで生きてきた “姿勢” を大切にしています。
目の前に起こった出来事を、在るがままに受け取り、なにモノにもとらわれずに素直に書くことが、ぼくにできる御役目であり自己表現の方法だと思っています。
すべては、繋がり巡っています。
書くことは生きること、生きることは書くこと。
夕幻書道教室:代表
著書:あなたがいたからできたこと(自叙伝&作品集)
武蔵野美術大学:臨時講師
宮城県石巻市雄勝町:硯職人 復興支援活動
* 日本書道専門学校 卒業
* 日本全国各地に作品を書き残す
* 被災地にて書道を用いた支援活動を展開
* フジテレビにて書道講師として出演
* 雑誌や新聞に多数記事を掲載
* ロゴや看板など作品を多数手がける
記者 よろしくお願いします。
遠藤夕幻さん(以下、夕幻) はい。よろしくお願いします。
「遠藤夕幻(生業:書道)」
記者 夕幻さんは書道家としてどのような活動をされているのですか?
夕幻 実は、最近は書道家ですって名乗らないようにしているんです。誰かに紹介されるときは「書道家の夕幻さんです」って、わかりやすくていいと思うんですけど、自分からは名乗らないようにしています。なぜかと言うと、自分から、その人の持っている「書道家」のイメージの枠にハマりに行ってるなってことに気づいたからです。
「書道家」という言葉から連想するイメージは、人それぞれ違っていて、ある人は書道教室をやっている人、またある人は書道のパフォーマンスをやる人だったり、さまざまです。それらは全部、僕の側面であり、他にも色々とやっているんですが「書道家です」って言っただけで、みんな納得しちゃうんですよね。つまり、それぞれの限定的なイメージの枠に収めてしまうんです。
遠藤夕幻は、遠藤夕幻でしかないことは、自分が一番よくわかっているので、自分からイメージのなかにハマりに行くのをやめようって思ったんです。なので、最近は「書道が生業です」という事実だけを言うようにしているんです。
記者 無添加書道という言葉が印象的なのですが、どのようなものなのですか?
夕幻 無添加書道は、僕のライフワークというか、生き様のようなもので、とても大切にしている言葉です。その意味をひと言で説明してしまうと「素直に感じたことを素直に書く」ってことなんですが、添加物を加えない素の書道(書道の本質)を表したくて使っています。肩書きに捉われず、上下関係やお金にも左右されることなく、自由な精神性をもって生きていく。僕の生き方そのものでもあります。なので、書道家という肩書きも、書道家に対するイメージも僕にとっては添加物に過ぎないんです。
「自分らしさを出すこと」
記者 どんな夢やビジョンを持っていますか?
夕幻 パッと言われて思うことは、これからどこを拠点に暮らしていこうかってことです。一つの場所に拘らずに拠点を何か所か持って、例えば、夏は北海道で、冬は東京など、その時々で今必要なところに行くみたいな。そんな暮らし方をしてみたいです。
あと、妻や息子と身近にいる大切な人たちや、もっと言えば、僕に関わってくれた全ての人がどういう風に笑顔になって、どんな流れでこれからの未来ストーリーを創っていくのかということにもの凄く興味があります。
自分に関わってくれている全ての人たちが笑顔になればいいですね。
記者 どのような笑顔なのか、もう少し聴かせてもらえますか?
夕幻 「自分らしさ」を出していることです。例えば、赤ちゃんだったら、泣きたいときに泣いて、ウンチしたいときにウンチすればいいし(笑)そんな風に、妻は妻らしく、息子は息子らしく、僕は僕らしくです。
イメージで言うと、ギュって萎縮している状態ではなく、開放されている感じですね。その為には、まずは自分を開放して、家族を大切にすること。そうすることで、近くの人からどんどん開放感が伝わるから、必然的にその循環がひろがると思うんです。なので、まずは自分が満たされていることが大事だと思います。
「妻が気づかせてくれた母からの愛情」
記者 どんな心のあり方や認識の変化が今の活躍につながっていますか?
夕幻 3年前のおふくろの死ですね。すごく大きく変わったのは、おふくろが亡くなった後なんですけど、自分は母親から愛されていたんだってことを自覚できたことです。
僕は母子家庭で育って、実は、それまでずっと疑問に思っていたことがあるんです。僕は母親に望まれていた子供だったのだろうか? って。
子供のころは辛い記憶ばかりだったんですが、あの辛い記憶は結局何だったんだろうかって問うことがあったんです。
そしたら、あるきっかけで、妻が僕のことをすごく叱ってくれたことがありました。「十月十日もお腹の中にいて、あなたを産んでいるのに愛してないわけないじゃないか」って。僕は、例えば、丸い器があったとして、その器をぜんぶ愛で満たしてもらい、溢れるくらいまでになって、はじめて愛されているって自覚する人だと教えてくれたんです。
うちのおふくろは不器用だから、丸い器なのに三角とかハート型のものを入れようとして、器の中には、ほんの一滴しか愛が入らなかっただけなのに、丸い器は満たされていないし、溢れてもいないから、僕は愛されていないと思い込んでいただけだったということです。
「お母さんのやり方がただ不器用だっただけで、ちゃんと愛が入ってるじゃん」って言ってくれたんです。その時、僕はもの凄く号泣しました。たった一滴かもしれないけど愛には変わらないって。ただ自分の受け止め方や捉え方が母親とあっていなかっただけで、母は母なりに、毎日たくさんの愛を入れようとしてくれていたんです。
それから、過去の辛い記憶がぜんぶ塗り替えられたというか、完全に生まれ変わるレベルで変わりました。最高の自己肯定のようなものが入ったんです。
自分が変われば全てが変わるってことなんですが、それに気づかせてくれたのが妻なんです。
「2つの美しさが融和する時代」
記者 これからのAI時代に求められるニーズは何だと思いますか?
夕幻 自分が自分であることを自覚しているってことが、人間とAIの違いだと思っていて、これから求められるニーズだと思います。
僕は、遠藤夕幻であるという自覚をもっていますが、さらには、自分は人間であるとか、ひとつの生命体であるっていう自覚を持っているかどうか。これからは、己は何者なのかって問いに明確に答えられない人は、淘汰され、埋もれてしまうと思うし、仕事も無くなってしまうんだと思います。
記者 どんな美しい時代を創っていきたいですか?
夕幻 僕は、美しいとは何かってことをすごく考えた時期があるんですが、美しいには2種類あると思っています。
人工物的美しさと、自然物的美しさです。
例えば、職人さんがつくった工芸品だとか、美術的な絵画とかは、人工物的な美しさを出していますが、山とか川とか、自然物的にただあるだけで美しいってものもあるじゃないですか。この2つの美しさは、一緒の部分もあるし、明確に違う部分もある。だから「美しい時代は?」って聴かれたときに人としての究極を求める美しさなのか、自然に回帰していく美しさなのか、これは大きな命題でもあります。
僕は、例えば、今までに人が研鑽して築き上げてきた技術などは取り入れた上で原点に戻り、自然回帰できるような時代が理想だと思っています。僕のなかの美しさは、人工物と自然物が融和しているような状態なんです。
それは、その人がその人らしく、自分らしさを出している状態とも一致します。そんな時代を創っていきたいですね。
記者 2つの美しさが融和して、全ての人々が、思う存分に「自分らしさ」を出して生きていけるような、そんな時代が創れたら、本当に素晴らしいですね。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
遠藤夕幻さんに関する情報はこちら
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◇ホームページ
◇夕幻書道教室のご案内
◇遠藤夕幻の活動紹介ページ
【編集後記】
今回、インタビューの記者を担当した、見並、坂中、山田です。
今年、お子さんが生まれたばかりということで、途中、写真を見せてくれたり、妻やご家族をとても大事にされる姿には、まさに無添加書道の生き方が現れているように感じました。ありがとうございました。
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