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「自己肯定感を育てるたった1つの習慣」読了

読書を習慣化してはや数週間
この間に大きな出来事があって読書をおろそかになったりとか
漢字の読み書きが大の苦手がしっかり読めているのか未だに不安ですが、
ようやく2冊目を読了しました。

ただ、読んでいてもためになるのか解らなく、なぜか早く読まないといけない心の焦りみたいなものを感じていました。
また、数々の疑問点や未解決事項が生まれました。

まずはじめに、この本は私みたいな人をベースにしていないと思われました。
初めてのnoteに書いたように私は心を侵された自殺未遂者であること。
また、私自身がこのような本に斜に構えてしまう節があるのも原因と思われます。

しかしながら「相手が不機嫌になるぐらいになっても平気な心構えでいる」や、「相手の不機嫌な言葉をうまくかわす」、「鏡に映った自分をほめる」など、精神がぐちゃぐちゃな私ではなく、ちゃんとした心と身体が整ってワンランク上の自分にするための本の様な気がします。
なぜなら、こんなことできるわけが無いからです。できたら私は不安障害者です等言わなくてすむからです。

そして、一番許せなかったのが「失敗してもいい」っと投げ掛ける所でした。
私は私に相手に失敗してその人の命を救えなかった、殺してしまったに等しい人です。
この「マイナスの記憶」は決して「忘れることにしました」では済まされないからです。

また、「読む」から「自ら実行する」までのプロセスができない人へのアプローチやフォローがまるでありませんでした。
これは本という媒体である以上仕方の無いところでもあるのかもしれません。私がこの本に今までかいてきた質問を問おうとしても返事が返ってくるわけではありません。

では、植西 聰さんは本当は誰にこの本を読んでほしいのか。誰がどの様な目的のために手にとってほしいと思って執筆したのか。
私ではないとしたら私はこの本に対してどの様にまとめれば良いのか考えました。

「植西さん、私はこの本に出会うには、あまりにも早すぎたのかもしれません。なぜなら本に書かれている「育てるための一歩」に対してのこの本は背中を押してくれませんでした。それなら投薬治療の方が絶対的な効果があります。
植西さん、私はこの本に出会うには、あまりにも遅すぎたのかもしれません。私はこのような現在や過去があります。今更変えることなどできません。例えるなら、あとは海底をどの様に進むべきか考えるだけで必死なのです。」

最後にこの本で唯一私の心に響いた言葉がありました。
読書は100冊読んで1つの言葉を見つける途方もない作業と聞いたことがあります。
その言葉を見つけたので紹介します。(インドの言葉だそうです)

「お前は人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」

P.S.
この本もそうでしたがある本も現在急ピッチで読み進めています。
たぶん、面白くない、為になら無い等の理由で早く終わらせいしまいたい精神が発動しているのかもしれません

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