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映画紹介#002「メメント」(2000・アメリカ)後編

後編はネタバレありで、映画の内容について自分の印象に残ったこと、気づいたこと、感想、好きなシーンなどについて話していきます。

前編はこちら


とんでもない映画を勧めてしまったんじゃないかと気が気じゃない。
でも、世の中、理解を超えたことがいっぱいあるものだから、分からないという苦しみも一つの経験と思って、楽しんでもらえていたら嬉しい。
作品のことを気に入ってくれたのなら尚嬉しい。

そんな願望を込めてお届けする今回の記事は、
前回にも増してネタバレ全開です。
結末を知った上で観賞後に読むことを前提として話しています。




【クリストファー・ノーラン監督】

この作品の監督はイギリス出身の映画監督クリストファー・ノーラン。
『メメント』を成功させて今やハリウッドの一流監督となった彼は、その後も「時間」を扱った知的で壮大な映画を作り続けている。

代表作は、バットマンをシリアスなトーンでリアルに描いた『ダークナイト』三部作(2005〜2012)、渡辺謙とレオナルド・ディカプリオが共演した『インセプション』(2010)、宇宙を舞台に時空を超える父と娘の絆を描いた超大作『インターステラー』(2014)、第二次世界大戦で実際にあった撤退作戦を臨場感たっぷりに見せる『ダンケルク』(2017)、時間が逆行する世界で人類滅亡の危機に立ち向かうスパイ映画『TENET テネット』(2020)など。
(どれも『メメント』よりは遥かに観やすいです。)

来年には、原爆の父と呼ばれた理論物理学者・オッペンハイマーを題材にした新作の公開が控えている。今後もますます目が離せない。




【物語の構造】

『メメント』が他のどんな映画とも一線を画する唯一無二の特徴が、そのややこしすぎるストーリー展開。
映画を観ながら頭の中で逐次、時系列順に並べ直していかないと、出来事の対応関係が理解できなくなるから、観ていて結構疲れる。
(自分はこの映画を何度も観てるけど、正直いまだにシーンとシーンの繋がりがよく分かってないところがあったりする。)

空気の存在と同じくらい当たり前すぎて普段意識しないけど、
ヒトって時間経過の中で物事を認識しているんだなと改めて思う。
雨が降ったから、地面が濡れていることは理解できるけど、
地面が濡れているから、雨が降るとは理解できない。

この映画はそんな原因と結果が逆転した世界に観客を突き落とす。
ちょっと不思議の国のアリスみたい。

でも全ての出来事が繋がって、全体の構造が分かれば「なるほど。そういうことだったのか」とそれなりの納得感は得られる。
うまく説明できているか分からないけど、まずはこの映画の構造を簡単に整理してみようと思う。



『メメント』はカラー映像の場面と、それよりもさらに過去の出来事が語られるモノクロ映像の場面の大きく2つから成っている。

カラーの場面は、出来事が時間を遡るように結末から発端へと逆の順序で語られていく。
映画は、レナードがテディを殺害する場面から始まり、その次にレナードがテディを殺しに向かう場面、テディが復讐すべき相手だと気がつく場面…といった具合に、出来事のまとまりごとに時間が過去へ過去へと戻っていく。

(ちなみにオープニングシーンのみ、シーン自体が逆再生になっている。いきなり「えっ?」ってなる。)

カラーの場面の間には必ずモノクロの場面が挟み込まれる。
モノクロの場面はカラーとは違って、時間の流れ通りに進んでいく。
このモノクロの場面はレナードの状況を観客が理解する助けとして機能し、さらにここに登場するサミーの話が物語の重要な鍵にもなっている。

最終的に、未来へ向かって進むモノクロ場面と、過去へと戻るカラー場面が接続することで、全ての出来事が時間軸上に一直線に並んで一つの物語として完成する。


時間を編集すると、物事の見え方は変わる。
映画は、単に時間を記録するだけじゃなくて、時間を並べ替えたり、時間の進む速度を変えたり、進む方向まで変えることができる。
『メメント』はそういった映像ならではの表現を駆使して、全く新しい形のストーリーテリングをやってのけた革新的な作品だ。
クリストファー・ノーランの頭の中がどうなってるのか覗いてみたい。




【テディ】

この映画に登場する人物は、第一印象とは全く別の顔を持つ人間ばかりだ。
主人公レナードは自分自身(と観客)を騙していたし、バーで働くナタリーはレナードを利用してトッドを殺そうとする。モーテルの従業員も部屋を2つ貸してレナードを騙していた。

中でも、全てがつながった後で振り返ってみると、最も認識がひっくり返る人物はテディだろう。
初めて観たときには、ついに見つけた妻殺しの真犯人で、信用できない人物という風にしか見えない。
何も覚えていないレナードの前に度々現れ、まるで友人であるかのように親し気に堂々と接する姿は、なんて大胆で卑劣な殺人者なんだと思わずにはいられない。
「レニー!」と呼びかける笑顔に裏が感じられてゾッとする。
「あんたが憎んでる殺人鬼は、ずっとそばにいるんだぜ」と嘲笑いながら、犯人探しを間違った方向へ向かわせようとしているよう。


でも実はそうじゃなかった。
真実を知らされたレナードが現実から目を背けるために、テディを犯人に仕立て上げていたのだ。
テディは麻薬捜査官で、レナードを自己の利益と捜査のために利用していたに過ぎないことが判明する。
しかもテディはレナードと妻が襲われた事件の担当刑事で、彼の協力を得ることでレナードは真犯人を既に殺害していたことが明かされる。

テディが放つ得体の知れない不気味さは、レナードが書いた「やつの嘘を信じるな」という、たった1行のメモと、冒頭で観る復讐の場面にミスリードされた観客が勝手に作り上げたイメージだった。
確かにテディはあまり良い人ではない。とは言え、少ない手がかりから推測して見た姿が本当である確証はどこにもない。

それは現実でも同じで、テレビやSNSで話題になっていることや物議を醸す人たちのことを自分たちは一体どれくらい分かっているのか。
こういうことをする人だからとか、みんながそう言っているからとか、わずかな情報から無意識に全体像を決めつけて、思い込んではいないか。
自分の心を注意深く観察すれば、今、見えているものとは全く別の可能性に気がつくことができるかもしれない。




【改ざんされる記憶】

劇中、レナードは「記憶は当てにならない。事実に基づいて調査している」ということを言うけど、彼自身当てにならない記憶に突き動かされていることが徐々にわかってくる。
それに、事実を記録しているはずのメモも書いたときの認識の反映にすぎず、終盤で起きるように意図的に改ざんされることもある。
読むときだって読みたいように、自分の都合の良いように解釈する。
客観的、論理的、科学的に物事を判断するって思っている以上に難しい。
結局、人間は自分の見たいように世界を見ているのかもしれない。


ただ、記憶が書き換わることが役に立つことだってあるはず。
辛い過去の記憶も時間とともに薄れたり、現在の解釈が変わることで少しずつ心の傷が癒されることもある。
そういう意味では過去は常に現在によって書き換えられているとも言える。

レナードにとって最も辛い過去は、妻が襲われたことではなく、自分が妻を殺したという真実だった。
だから「あれは自分のことではなかった。サミーのことだった」と記憶を意図的に書き換えることで自身を守ろうとしたのだろう。
それほどまでにレナードは妻を心から愛していたということか。
(興味深いのは、このときのレナードは既に記憶障害を患っているはずだということ)


サミーの話に加えて、レナードは自身の妻が死んだ理由について「暴漢に襲われ殺された」と記憶を書き換えたことで、妻の殺した犯人への復讐に人生を賭けるようになる。

アドラー心理学には、過去の原因が現在の自分を作っているのではなく、現在の目的に適う原因を過去の記憶から持ち出しているという考え方がある。
アドラー流に解釈すると、レナードは妻のいない世界を生きる目的として復讐に生きることを選択したのだろう。

レナードは自分にとって都合の良い情報を集めることで、永遠に続く「探偵ごっこ」に逃げ込んでいる。
テディにもらった警察の捜査資料にもあえて欠落を作った。

だから、もしかしたら、最初に真犯人を殺害したときに「復讐を遂げたと刺青を彫る」とすぐにメモしなかったのは、またしても生きる目的を失ってしまうことを恐れて、心の防衛反応があえてそうさせたのかもしれない。
まあもしそうなっていたら、この映画は始まらないんだけど。


新しいことをすぐに忘れてしまうレナードは、今この瞬間を生きることしかできない。
それにも関わらずレナードは常に自らが作り上げた過去の幻影に囚われ続けている。
「サミーを忘れるな」という刺青を目にする度に、その偽りの記憶はより一層、強化されていく。

でも記憶をすぐに失うということは、裏を返せば今この瞬間に変わるチャンスが常にあるということでもある。
過去のために生きるのではなく、今という現実に生きていることを受け入れることができたなら、この終わりのない繰り返しの悪夢から抜け出すことができるかもしれない。
それがレナードにとって真の救いになるのだと思う。




【衣装と車と部屋】

レナードは劇中のほとんどの時間、ちょっとガラの悪い(吉本新喜劇の借金取りみたいな)スーツを着ている。
レナードを演じるガイ・ピアースの鋭い目つきと逆立ったブロンドヘアも相まって、目的のためなら手段を選ばない恐ろしさを感じさせる。
愛車はジャガーで身体には無数の刺青。
完全にそっち方面の人の出立ちである。


でも、これがノーラン監督の仕組んだ罠だと分かるのは物語の終盤。

モノクロ場面のラストで、廃屋へ向かうレナードは全く違う服を着ている。
チェック柄のシャツにベスト、ジーンズというカジュアルな服装。
車もジャガーではなく荷台付きのトラック。

これが元々のレナードなら、彼はどこにでもいるごく普通のアメリカ人だったということが分かる。
振り返ってみれば彼の元々の仕事は保険会社の調査員で、回想シーンでもネクタイを締めて働く姿を見せている。
モーテルの受付前でスーツのシャツを整える仕草はどこかぎこちなく、サイズが合っていないように見える。
ナタリーの部屋で目覚めて服を着るシーンでは、間違えてナタリーの白いシャツを着てしまう。本来なら、選ばない服を着ていた証だ。


レナードは真面目で、仕事にも真剣に取り組み、家族を大切にする優しくて愛情深い男だったのかもしれない。
元来の真面目さやこだわりの強さが、記憶障害になった後にも残り、メモや写真、刺青をきっちりと整理して行動につなげることの役に立った。
それと同時に愛情の深さが執念深さという形で現れてしまって、過去を手放すことができなくなった。
そんな風に想像を膨らませていくと、レナードはとても繊細な心の持ち主という見え方ができてくる。

しかし、モノクロとカラーが出合う場面、テディに唆されて麻薬取引に関わる男ジミー・グランスを殺害したことでレナードは変わる。
それまでのレナードは妻を殺した犯人を探して彷徨う男だったが、ここからは実質的にはテディを狙った殺人者に変わる。

新しい服、新しい車、新しい部屋。
前後の対比からレナードの闇堕ちが視覚的に見えてくる。



【サミーを忘れるな】

改ざんされる記憶について、ノーラン監督は映像描写としても巧妙に潜ませている。

サミーとレナードが同一人物であることを明確に示すショットが実は劇中に存在する。(初めて観た時は字幕に気を取られて気づかなかった。)

モノクロの場面で語られるサミーの話。
妻を亡くして精神科病棟のような施設に入ったサミーが椅子に座っているショット。
カメラの前を人影が横切った直後、サミーがいるはずの場所にレナードが座っている姿が一瞬だけ見える。


序盤から中盤にかけての間にも暗示的に描写されている箇所がいくつかある。
一つはナタリーの部屋でTVを見るレナードがふと手に書かれた「サミーを忘れるな」の刺青を見たシーン。
直後に注射器を指で弾く短いショットがカラー映像で差し込まれる。
(インスリン注射の描写はここまではサミーのシーンにしか出てこない)

ほかにも妻をつねる回想シーンが実は注射する記憶の書き換えだったことが後々明らかになるように、気づいていない暗示的描写がまだあるかもしれない。



【I'VE DONE IT】

もう1つの改ざんされる記憶にまつわるショットが、ラストシーン近くにある。字幕も付かないので見落としてしまいがちだけど、ここがノーラン監督が仕掛けたこの映画最大の謎。

廃屋をあとにしたレナードがジャガーを走らせながら目を閉じる。
このとき、レナードと寄り添う妻の映像が一瞬、インサートされる。
レナードの左胸には「I'VE DONE IT(俺はやり遂げた)」と新たな刺青が。
これは一体どういう意味なのか…?


(ここからは個人的見解が強めです。)
一つ考えられる説として、このショットは奥さんとの幸せな過去の記憶と、復讐を遂げた未来の願望が混ざり合った幻想なのではないか。
だとすると、レナードはこの絶対に実現しない幻想に突き動かされるようにして、存在しない真犯人を永遠に追い続けることになる。

思考の外に現実の世界は存在していて、たとえ忘れたとしても行動自体に意味があるはず。過去の記憶は自分が何者なのかを確認するためのもので、記憶が多少歪んでいたとしても、その自分にとって都合の良い過去に基づいてこれからも行動する。

この解釈では、テディを犯人に仕立て上げて現実から目を逸らし続けることを選んだレナードが連続殺人鬼として変貌していく様子を描いているという風に見て取れる。
その後、実際にそうなるのはご存知の通り。



あるいはそうではなく、このショットは全く逆の意味を持っていたのかもしれない。

レナードはテディに聞かされた、1年前に真犯人への復讐を既に遂げていたという事実を、自身の存在理由を自問するうちに受け入れたということなのではないか。

思考の外に現実の世界は存在していて、たとえ忘れたとしても行動自体に意味があったはず。過去の記憶は自分が何者なのかを確認するためのもので、それよりも重要なのは今この瞬間を生きること。

バスルームに横たわり死んでいく妻の記憶に囚われ続けていたレナードが、復讐を遂げて妻の元に帰ることができたという新たな記憶を作り上げることで、過去の呪縛を断ち切ろうとしていたのかもしれない。
そう考えてこのシーンを見てみると、もしかしたらレナードは左胸に「I'VE DONE IT」の文字を刻み込むために、タトゥーショップの前に車を止めたのではないかと思えてくる。

ところが次の瞬間、それまで考えていたことを思い出せなくなるレナード。
手には捏造された「事実6」のメモが…。
その後に起きる全ての出来事への決定的分岐点で映画は幕を閉じる


二番目の解釈を個人的には気に入っている。
楽観的でかなり穿った見方だという自覚はあるけど。
この解釈だと、1年前の復讐の証拠写真を焼き、テディを恨んで彼を偽りの犯人に仕立て上げた直前のシーンからの心変わりを示す描写がなく、あまりに唐突であるという違和感も残る。

このラストシーンの受け止め方は観客一人ひとりの想像に委ねられている。
レナードが本当は何を考えていたのかは誰にも分からない。
もし答えがあるとしたら、それはノーラン監督の頭の中にのみ存在するのだろう。





以上、今回の紹介した作品は、
クリストファー・ノーラン監督作品『メメント』でした。

この記事を書くために改めて観直して、色々考えていたら6000字を超えてしまった。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次回はもう少し観やすい映画にしよう。

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