【旅行記】私と旅⑦「私とフランス~パリⅡ」
トゥガン・ソヒエフ指揮のトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲第8番が素晴らしかった。定期演奏会はもちろん本拠地トゥールーズで行われるが、私はパリで聴いた。
冷え冷えとした空気の第1楽章
まず5番とよく似た第1楽章の序奏はゆったりと落ち着き払っており、この演奏が些かのコケットリーとも無縁であることを宣言している。
その後に来るヴァイオリンによる主題は驚くほどの弱音でどんどんと闇の底へと沈んで行く。それらを支える低弦は足を引き摺るように重く、濃い陰影を与える。
序奏同様に決して慌てず騒がずの展開部を経て現れる再現部もすごい。主題を歌うコーラングレは、広い雪原にただ一人佇むような寂寥感がある。激動の後に来るこうした冷え冷えとした空気はショスタコーヴィチならではであり、聴く者に強烈な印象を与える。
恐怖の中間楽章
当然、中間楽章もオーケストラが技巧を凝らす音による一大スペクタクルになるはずはない。
第2楽章では、弦楽器が幽霊のように不気味なレガートを奏で、木管がまるで「英雄の生涯」の敵のようにさえずる。
第3楽章も始めは極めて抑制された調子で進めていくが、徐々に緊迫感が増していき、圧倒的なカタストロフを築き上げる。凡百の演奏ではこの楽章に入ると、待ってましたとばかりに弦を唸らせ、金管を喚かせ、打楽器をガンガン鳴らすが、そんなことをしてもこの曲の真髄には到達できないのである。次第に追い込まれていく恐怖を感じさせなければ嘘だ。
長い長い沈黙のラスト
終楽章のパストラーレはカラッとした明るい響きがかえって不気味である。ヴァイオリンのソロなど、あまりにも悲惨な出来事を受け入れることができずに、虚脱状態でケラケラと笑っている人間の姿が見えてゾッとした。
最後は穏やかな和音で静かに結ばれるが、それはようやく訪れた安息=死のようでもある。それに低弦のピチカートが付き纏い、ミステリアスな含みを持たせる。そして、最後の一音が消えるのを確認するように長い長い沈黙が会場を支配した。
それより前にウィーンでフェドセーエフによる同じ作曲家の15番を聴いたときも異常な沈黙が会場を支配していた。ショスタコーヴィチには聴衆を沈黙させる力があるように思う。
ショスタコーヴィチと「自由」
ショスタコーヴィチという作曲家は、その背景にある社会や歴史といったものと不可分である。もちろんモーツァルトやベートーヴェンだってそうだが、この作曲家の場合はもっと特別な意味合いを持つ。彼の音楽からはその生い立ちや人となりよりも、まず当時のソ連に横溢していたであろう空気に思いを馳せることになる。さらには、それを演奏する者や聴く者のおかれた社会も問題となるのである。
今まで以上に「自由」が瀕死の状態にある現代において、ショスタコーヴィチは非常にアクチュアルな存在であると思うのである。コロナ禍直前のパリで彼の音楽を聴くことができて、本当に良かったと思う。
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