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生まれ故郷と病床の祖母

久々に「生まれ故郷」に行った。生まれてから小学生の最後まで過ごした、まさに生まれ故郷と言うべき場所だ。
故郷の地に降り立って時間を過ごすのは、本当に数年ぶり(もしかしたらもっと長いかもしれない)。前にどこに行って、何をしたかも定かではないくらいだ。

目的は祖母に会いに行くことだった。御歳92。誰がどう見たって長生きだ。
その祖母が、現在入院している。
脳に病気を患い、少々前から施設に入っているのは聞いていた。そこからまた色々とあって、施設から病院への入院となったらしい。

母や叔母は、合間を見て都度祖母のもとへ足を運んでいた。3~4日間泊まりがけでいくこともしばしばで、状況はそこまで思わしくないのかと感じていた。
今回はたまたま休みが合って、会いに行くことに決めた。

会いに行く決断をするのは、実は相当に迷った。ただでさえ新型コロナウイルスの脅威がある現在。面会は可能なものの、何人もこぞって会いに行って、万一のことがあったりしたらどうしようか。本当に行っても大丈夫なものか、かなり考えた。

それでも今回会いに行ったのは、行かないことを後悔すると思ったからだ。
縁起でもない話だが、
「次に会えるのはいつか」という考えでなく、
「次に会える機会はあるか」という考えの方が先立った。
正直今回を逃しては、祖母の年齢や状態を考えると、容易に会いにいける感じでもなさそうだ。移動のリスクは承知しつつ、家族とともに祖母のところへ向かった。

途中で叔母をピックアップし、生まれ故郷へ向かう。山口県は周南市。20年近く前に合併してできた市だが、自分は合併する前の新南陽市で生まれ、幼少期を過ごしてきた。
隣の旧徳山市は、市役所の庁舎が新しくなっていたり、駅の施設も新しく図書館ができていたりと、パッと見変化を感じさせた。が、基本的な街の感じは変わっていない。

新南陽は更に変わりのなさを感じさせた。工場などが新たに建てられている港湾部の方に行っていないのも、その感じに拍車をかけた。店は少々変わっているが、目立つ施設などはしっかり覚えていて、小学生の時のままの街に戻ってきたような気すらした。

祖母は旧徳山市の田舎で暮らしていたが、今回の入院は新南陽の病院だ。少々個人的にノスタルジーを感じたまま、休日用の入り口から病院に入り、体温を測り、病室へ向かった。
4人用の病室の一番手前の区画に祖母はいた。

ベッドに寝ている祖母は、今まで見ていたよりも小さく、頭上には胃に直接食物を入れるための管が伸びていた。
「誰か分かる?」と聞くと、一瞬きょとんとした顔でこっちをじっと見る。
少々して自分のことを認識したようだ。

「よく来たね」

もうその声すら、ベッドの横に立っている自分でも聞こえるか聞こえないかくらいの、か細いものだった。
明らかに以前の元気な姿はなかった。

会いに行った全員が一箇所に集まるわけにもいかず、入れ替わりでそれぞれが祖母の姿を見て、話をする。
何度も
「よく来たね」
「お盆には家に帰るから、そしたらまたおいで」
と言う祖母に、自分は「そうだね」としか言えなかった。そう言うのが精一杯だった。

田舎の一軒家で、1人で暮らしながら、昼は畑の世話をして、自分のご飯も作り家事や身の回りのことも自分でする。
自分の足でしっかりと歩き、ハキハキと喋り、笑う。
生まれてからずっと、祖母にはそんな印象しかなかった。今その祖母は、ベッドの上で動くことも出来ず、天井を見つめて過ごしている。
今までの印象とかけ離れた祖母の姿に、気持ちを追いつかせるだけでいっぱいだった。

病室を出ては入ってはを繰り返しているうちに、あっという間に帰る時間になった。
祖母は最後にも、
「お盆には家に帰るから、またおいで」
と言った。
「じゃあね」と言って、短いながらも祖母への対面と、生まれ故郷への偶然の再訪を終えた。

行っておいて良かった。移動は少々辛かったが、祖母に会えてよかった。
もし行ってなかったら、今回の祖母の状況を直接的に知らなくても、どこかで絶対に後悔したと思う。ショックに似たような気持ちを覚えもしたが、会えた事で何かつかえたようなものが少しスッキリした気にもなった。

今の状況で、祖母に頑張れと言ったらいいのか、励ませばいいのか、それも分からない。
自分はまた、休みが合ったら会いに行くと思って、まずは自分のことをやっていく。
また「生まれ故郷」に戻れたらと思う。

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