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チョコレートより干し柿の方が禅


味わう

と言うより、探す

微かな甘みと果実の香り


僕は干し柿が好きです

乾いた風に晒すと
渋柿は甘柿より甘くなる

珈琲にも合うし、ワインにもぴったり

もちろん3時のおやつの時間には
ドーナツやチョコチップクッキーが食べたいし

夜長のワインのお供には
チーズやチョコレートを添えたくなります


だけど最近、干し柿の良さに気づいた
そんな27年目の冬です


僕は本を読みながら珈琲を飲むのが好きなので
自然と珈琲のお供は"ながら食べ"になります

脇役、名バイプレイヤーというやつです

その一小節に集中し"ながら"

合間に珈琲を飲み"ながら"

一口

ぱくり

ドーナツやチョコレートの分かりやすい甘みや
チーズの芳醇な香りとは違って

干し柿の自然な甘みと香りは
あまり読書に熱中しすぎると感じません

探さないと

見つけないと

集中して、センサーを働かせないと

没頭していた文中の句読点で一息ついて
「いま、ここ」の感覚を研ぎ澄ませる

口の中で、出会いを待つ

すれ違った時にちゃんと気づけるように

そうやって初めて
自然な、干し柿の甘さと香りを
ほのかに感じられる


僕はこの感覚が好きです

禅だな、と思います



なんだか、この世界には
強い刺激が多すぎるような気がしています

全米が泣いた映画
人生を賭けた空前絶後の大恋愛ドラマ
日々報道される凄惨な事件
止まらない戦争、なくならない紛争

エンタメもそう、現実もそう

強すぎる刺激に余りにも晒され続けたせいで
僕たち自身の日常の小さな感情の機微が
見過ごされてしまう気がする

そんな事を思ったりします


あまりにも綺麗に、色彩豊かに
とてもとても誇張されて作られる
フィクションの世界に慣れてしまって

この、なんて事はない僕の毎日の小さな感動

朝、本を読みながら珈琲を飲んでいて
ふと窓から入ってくる冬の風の心地良さや

街ですれ違うベビーカーを押す夫婦の
何気ない、幸せな、幸せな横顔や

あの人やあの子の事を思い浮かべて
「人類滅びればいいのになぁ...
 でも、なんだかんだ、人は好きだなぁ」
とほろ酔いで終着点のない思索を巡らす夜の

「いま、ここ」の感覚が
ぼやけて感じられなくなってしまう
霞んで気付けなくなってしまう事が
あるのかなぁなんて思ったりします


あまりにも悲惨で、辛くて
目を背けたくなる世界の現実に目が眩んで

僕は僕が感じている「つらい」という感情を
大切にしてあげる事が出来なくなっている事も
あるのかもなぁなんて思ったりするのです



実際、僕はちゃんと意識をしないと
自分の感情が分からない事がたまにあります

自分が何を感じているのかが分からなくて
ふと気付いたら自分でもびっくりするくらい
ボロボロになっていた事もありました

その時は言語化出来かった
(しようとしていなかった)感情に振り回されて
自分を傷付ける選択をしてしまっていた

あなたにもそんな事はありませんか?


たぶん、僕だけではないはず

もしかしたら誰にでもある事かも知れません



そんな僕が大切にしたいのは
禅の思想の「いま、ここ」に居るという感覚

いま、自分は何を感じているのか

呼吸は、脈拍は、体温は
身体の感覚はどういう状態なのか

思考はどこに流れて
感情は何を感じて、何を求めているのか

外の世界とは独立して存在している自己の内面

歩みを止めて
「いま、ここ」に居るという感覚に
耳を澄ます事で自分自身と対話をする

自分の話を、ちゃんと聴いてあげる

そうやってセルフメンタルケアをするように
いつも心掛けています




強い刺激に慣れると人の身体は
その刺激に慣れるように設計されています

工事現場のうるさい騒音が
ずっと聴いていると気にならなくなってくる
そんな感覚です

でもそれは聴こえなくなっているのではなく
聴こえても何も感じないようにしている

脳で感覚をシャットアウトしているだけで
身体はしっかりその刺激を感じ続けています


ストレスは溜まり続ける

負荷は掛かり続ける

そして、いつか、溢れる

溢れ出したら最後
蛇口を捻っても止まりません

蛇口はもう、捻っても意味がないのです

気付いたら洗面台は水浸し
足元は浸水しています

もう嫌になって、倒れ込む

人は3cmの水溜りで窒息死してしまうそうです


そうならない為に「いま、ここ」の感覚が
僕たちには必要不可欠なのかも知れません


ドーナツやチョコチップクッキーもいいですが
(僕はこのどちらも大好物です🍩🍪)

ほのかな甘み、微かな香りを探して
ゆっくり感覚に集中する

そんな干し柿の禅性が僕は好きです



干し柿一つとっても、哲学が出来ます

日常の全ては哲学に繋がっていますね

かつて哲学者は、彼らが愛した学問を
「禁断の果実」と呼んだそうです

その果実を口にしたが最後

それ以降はこの世界の全てを
「哲学のレンズ」を通して見てしまう

一度かけたら外せない魔(?)のレンズ

それが哲学です


あなたも僕と一緒に
その果実を味わってみませんか?

どんな味がするのでしょうか

甘いのかな?ほろ苦いのかな?

どうでしょう

「いま、ここ」の感覚を研ぎ澄ませて
ぜひ探して見てください☺︎


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