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「無花果の花」

母の日におけるカーネーションのように、父の日を象徴するものはあるのだろうか。

「姉ちゃん、」
「なーに」
「今日、学校で課題が出たんだけど。ゆたかさとは何か考える、っていう」
「ゆたかさ?」

嫌な顔をする美里に、しまった、と焦る宏人。

「好きじゃないのよ、その言葉。私たちがゆたかさと縁遠く育ったの、父親運が無かったせいなんだから」
「あいつの名前が『ゆたか』だったからだろ……。離婚してもう十年以上会ってないのか」
「あんた、そのおかげで来年から奨学金を借りなきゃ大学に行けないのよ、私と一緒で。だから……必要なことに必要なだけお金を使えるのが豊かだって、子供の頃は思ってたかな」

時が経ち「あたらしいくらし」が見え始めてきた今でも、お金や物はあればあるだけ良いと美里は思っている。最低限の衣食住だけでなく、無くても生きていける「必要の無い」ものにお金を割けるのは、世界的基準で見れば裕福に分類されるのだろう。映画、舞台、旅行、ネイルサロン、グルメ。

「……最近はね、お花との付き合い方が、心の豊かさの象徴かなって思ってる」
「姉ちゃんの彼氏、花くれるらしいね」
「そう、しかも誕生日だけじゃなく記念日とか、何でもない日にもたまにくれるの。しつけた甲斐があったわ……」
「(し、しつけ……?)良い奴だよな」
「あんたも見習いなよ。勿論、何かプレゼントしてもらうのはそれだけで嬉しいよ。でもお花って特別嬉しいの。貰う度に一生枯らしたくないって思っちゃう。私たち、身近にあった花といえば庭に植えてあるのとか、ばあちゃんが仏壇に供えてるものくらいでしょ。だから一人暮らしをして、初めて部屋にお花を飾った時の幸せな感じ、今でもずっと覚えてる」

大抵の花は腹の足しにもならないし、単純に息をするだけの行為には必然性の無い存在だ。それでもたまに花を挿し、水を替えては愛でてみる時、心に余裕、ゆとりを感じる。お祝いにお花を贈ることも多くなったなと思い返す美里。

「俺、実用的じゃない花なんて無駄だから、贈っても喜んでくれないって思ってたんだよ。でもこの前の母の日、母さんはちゃんと喜んでくれたし、嬉しそうに活けてくれた。その時に、心の安寧の為というか、役に立たなくてもただ存在するっていうのが許せるのは心にとって良いことだなと思ったんだ」

「……花言葉が『裕福』の花って知ってる?」
「俺が知る訳ないだろ」
「ふふ。あのね、無花果なんだよ。花が無いって書くのに不思議だよね。ちなみに、あの食べてる部分が花」
「え、そうなの!? そういえば、ばあちゃんちの庭にあったよな、無花果の木」
「全然裕福じゃなかったのにね。……ねえ、お母さんに、無花果でも贈ってあげようか? 父の日」
「父の日、やったことないもんな」
「私たちの為に働いてくれたんだもん、母の日も父の日もお母さんに感謝したって良いよね」

そう言うなり美里は手元のスマホの画面に指を滑らせ始める。我が姉ながら、思い立ったら即行動。早速「美味しそうなのあったよ! 農家直送!」なんて嬉しそうにはしゃいでいる。宏人は呆れながらも、そんな姉を昔から慕っている。

「だからね、」

唐突に美里は話し出す。

「私は、ゆたかさってゆとりとか余裕のことなんだなと思うし、それって言い換えたら『余白』のことで、そこに他人を受け入れられるか、繋がりを増やしていけるかが別のゆたかさにも繋がるんだなって」
「まあ、特別に裕福じゃなくても、それがきっと有福ってことだな」
「上手いこと言ったみたいなドヤ顔してないで、早く課題やりなさいよ」
「そうだな、いまの会話を書くよ」
「そう? 原稿料もらおうかな?」
「おい、心のゆたかさは何処いった?」


#ゆたかさって何だろう

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