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十三年経て饒舌な祖父の夢

高校生の頃に亡くした祖父は、夢に現れても言葉を発することは無かった。ただ、病魔に蝕まれる前の柔和な微笑みを浮かべていただけだ。

それが最近、祖父はよく喋る。私や妹と楽しそうに会話をするのだ。私たちは大抵、祖父の運転する車に乗っているか、炬燵を囲んでいる。

故人と話すのは良い夢であるらしい。

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だけど本当は解っている。祖父への後悔が残っているのだ。

亡くなる直前の祖父は入退院を繰り返していた。今思えば、病院での治療が限界だったのだ。身を潜めた優しさの代わりに牙を剥く短気さを恐れ、祖父を避けていた。ある日の夕食時、台所に居た私に居間から祖父が声をかけてきたが、私は顔も見ずに適当な返事をして自室へ戻った。

その2日後に祖父は家で死んだ。棺の中、最後に見た祖父の顔は穏やかだったけれど、もう二度とその目に見守られることは無いのだと悔やんでも悔みきれなかった。

あの晩、取り乱す祖母と声をかけ続ける母に代わり、人生で初めて119番へ電話をした。AEDの無機質な声と、開きっぱなしの玄関から入り込む冷たい空気を今でも思い出せる。

"AEDは必要ありません"

あのとき手はまだ暖かかったと祖母は言っていたが、祖父は恐らく既に息を引き取っていた。それでも最後、入院先でなく何十年も住んだ自宅で生涯を終えて良かったと思っている。実際、数日前まで病院に居たのだから、その為に戻ってきたのかもしれない。

それから十三年の間、祖父は幾度となく私の夢に登場してきた。ほぼ喋らずに微笑んでいただけの祖父は、最近ようやく会話をしてくれるようになった。いつまでも私のみならず、母や妹のことを案じている。その時の私は夢と気づかないくせに、取り戻すかのように祖父の顔を見つめて、笑い合っている。


好きなエピソードがある。

祖父は生前、妹の習い事の送り迎えをしていた。亡くなったすぐ後のレッスン日、母が代わりに迎えに行くと、先生は不思議そうに言ったという。レッスン中、人の気配で点く玄関のライトが、何度も点滅していたのだと。

死の直前は運転する体力も無く、送り迎えはしばらくしていなかった。迎えに来ても車から出る訳ではなかったはずだが、心配して覗いたりしていたのかと思うと、愛情の深さに微笑ましくなったものだ。祖父は妹を特に可愛がっていた。

小学生で終戦を迎え、中学生の年齢で自分の母を亡くした祖父は亡くなる間際、祖母と手を繋いで寝ていたらしい。何年も経ってから祖母がこっそり教えてくれた秘密。祖父が心穏やかに休んでいることを願い、気づけば旧暦七夕と盆の季節。未知の感染症のおかげで祭りは無くなり、覆水でもないのに盆にかえれないのだけど、せめて祖父がまた夢に出てきてくれるのを待っている。


『プレバト!!』を観ながら書いたので、私の脳内では夏井いつき先生がこのタイトルを読み上げてくれています。笑
季語も無いし、この気持ちにもっと似合うよう添削されたいなんて思いつつ。

"十三年経て
 饒舌な祖父の夢"



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