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紅"連"の華よ、咲き誇れ / 『鬼滅の刃』

以下、原作最終巻までのネタバレ有:未読の方はご注意を。


その親和性に改めて感嘆。『鬼滅の刃』原作も最後まで、アニメ版オープニング曲『紅蓮華』になぞらえて観たくなる作品だった。

蓮という漢字は、花を表すくさかんむりの下に"連"。この作品には、沢山の紅の華が連なり咲いていたなと思った。


"ヒノカミ神楽/日の呼吸"
神に祈りを捧げるべく炭治郎の父が舞っていたのは、すべてのはじまりの呼吸を用いた神楽だった。円舞から炎舞へ、演舞。燃え盛る紅い火のエフェクト。代々継承されてきたヒノカミ神楽/日の呼吸の十二ある型を繋げて=連ねて、無惨を攻撃し続けようと炭治郎が決意した最終決戦。"日輪刀"という鬼殺隊士達が持つ刀の名前も、輪を成して型の最終形にしてみせる日の呼吸を彷彿とさせる。

"赫刀"
真に強い刀は赫くなり、ただの日輪刀では倒せない強力な鬼にも致命傷をくらわせることが出来た。自らの手で刀身を赫くした柱も居たが、炭治郎の刀は義勇と共に握ることで色を変えてみせた。そこには炎柱・煉獄杏寿郎の刀の鍔が付いており、念じていたのも彼が遺した「心を燃やせ」という言葉。二人の"兄"と連ねた紅。(きょうだいの絆についてはまた別途改めて書きたい。)

"血"
物語のはじまり、雪山を紅く染めたのは家族の、禰󠄀豆子の、炭治郎の血。鬼達も人間の血肉を喰らい「血鬼術」で鬼狩り達を苦しめた。最初から最後まで無数の血が流され、その自他の犠牲を連ねながら最大の敵・鬼舞辻無惨に辿り着く。

これは重ね過ぎかもしれないが、「桜の樹の下には死体が埋まっている」。桜の桃色は血の色。全ての戦いが終わった後に蝶屋敷の窓から、産屋敷邸の庭で、そして義勇が歩く並木道に舞う桜吹雪はこれまで生きた人たちの証。最終話の現代を生きる子孫達をも優しく見守るように、紅の華が連なりさざめいていた。紅の血を繋いで連ねていきながら私たちは生きているのだと、現実世界に物語がリンクする。


※『紅蓮華』という曲に関して言えばサビの最後、"運命を照らして"という名フレーズにも触れておきたい。鬼は日輪刀で首を斬られるか日光を浴びない限り消えなかった。あの無惨でさえ太陽を克服することはできなかった。それほどまでに心に宿す「希望の光」は運命を、未来を輝かせてくれるのだ。


"生まれてくることができて幸福でした"

最終巻の最終話、このフレーズからはじまる最期の言葉が秀逸。誰が誰に伝えているのか、特定の人に向けているとも思えるし、すべてが作者から現代に生きる我々へのメッセージとも取れる。

吾峠呼世晴先生は愛情を知っている方なんだろう。言葉のひとつひとつにも魂がこもっている。もはや先生が炭治郎なのではないかと思ってしまうし、炭治郎の心の中に棲む光る小人は先生の胸の奥にもきっと沢山宿っている。こんなメガコンテンツを成して尚、謙虚な御心に頭が上がらない。


私たちは遠い昔のだれかが守ってくれた世界で生きているのだと、その命を大事に生きて繋いでいくのだと、その尊さが染みて沁み入る。

哀しき鬼たちが沢山出てきた。一歩間違えば自分もそちら側だったかも知れない、と思わせるバックボーン。人は誰しも鬼になる可能性がある。人を喰ってしまうやも知れない。それでも自分が強く在ろうとする限り、鬼を滅する立場で在ることができる。いつだって"人は心が原動力だから"。

自分の心に潜む鬼を、発現させることの無いように。全集中の呼吸=落ち着いた心で、その鬼を倒す型を幾つも携えて、私たちは前へ進んでいくのだ。秘めた刃は、だれかを守るためだけに振るうのだと強く念じて。

"僕の人生は僕が主人公の僕だけの物語"


アニメで続編、劇場版で無惨との最終決戦(前後編?)まで……勢いの衰えないうちに、待ち侘びています。



(なんか本当に何でもやってて凄い)


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