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とりあえずワーッと書いてみた


ゼミの先生から難しく考えるなという指摘をいただいた(私個人にではないけど)。確かに難しく考えていたのかもしれない。ということで、完全に私用のためにもう一度考え直していきたい。

我々ゼミ生求められていることは小手先の技術なんかではないことは承知済み。そこまでの知識はないし、採用の現場にいたことがないから人を見定めるような技術も存在しない。だったら、我々ゼミ生に求められていることってなんだろう。

メモ1

先生ができないことが私たちに求められていることではないのかというのが直感的に浮かんだ考え。顕著なのは、年齢や権威という絶対に越えられない対場での対応。”先生”という壁を壊すことを大抵の人はできない。身構えるので本音を引き出しにくいことは往往にしてある。

次にゼミ生としての体験談。先生はゼミの運営側である以上、現場側のゼミ生の経験を語ることは一生できない。つまり体験談という面においては創P・プロジェクトについて話すことができるのは我々ゼミ生だけなのだ。

最後はゼミ募集においての体験談。これも同様に先生は体験したことがない(この大学という市場において)ので、語ることはできない。これも実際に体験している私たちにしかできないことだと言える。


以上3点をまとめる。

我々ゼミ生のなすべきことは
・フラットな立ち位置から話を聞くこと
・自ゼミの話をすること
・自分のゼミ募集の話をすること

ということは、相手に話すために自分自身がこの1年もしくは2年を振り返ること。その上でゼミに関わる解像度を上げておく。つまり自分自身と再度向き合うということだろうか。まだ難しく考えすぎ?


メモ2

ここで視点を戻して自分の時のゼミ募集がどうだったのかを振り返る。といっても、残念なことに思ったよりも苦労した記憶がない。もともと先生の講義を受けていたこともあってざっくりではあるものの人柄的な部分は理解していて(はず)、他のゼミへの迷いというものがなかった。選択肢がなかったともいえるが。兎にも角にも先輩たちに恵まれ、比較的早い段階でゼミに受け入れていただけたと認識している。

まあ、そんなこと言っても始まらないので少しばかり昔話を。当初、研究室へ行った私は速攻で追い返される。ポケーっときたからだ。その後、他の研究室を回るように言われ、数ゼミを巡回。私のめんどくさがりという側面と自分の納得 or キリのいいところまでやらないと終われない側面が相まって、夜の9時くらいまで残ったような記憶がある。

そこで一冊の本、稲盛和夫さんの『生き方』という本を渡され、読んで来いと言われた。詳細までは覚えていないが、かなり刺激を受けたのだけは覚えている。あと、家に帰っている時から「なぜなぜ攻撃」に頭を悩ませていた。ない頭なりにそれらしいことを考え、後日答えた気がする。


もともとこのゼミへの志望意識が高く、他のゼミを数個見て回っても意思が変わらなかったのもあり、このゼミに入るための試練だと思い頑張ったのを記憶している。

あの頃の自分と比較して考えると、決定的に変わったといえるのは物事を”ちゃんと”考えるようになったということだろうか。俗にいうロジカルシンキング。当時の私は「口だけ達者な中身のない人間」だったので、今もし会ったらコテンパンにしそうな部類。

だが、他の人はどうだろう。第一志望に落ちてきた人、途中で志望が変わって入った人、何も考えてなかったけど入ってきた人などいろいろいることだろう。だが、このゼミの仲間になっている以上は必要なハードルを超えてきた人だといえる。そのハードルってなに?


おそらく自分で考え抜くということだと思う。昨年度において何度もゼミに訪問してくれたが、受け入れることができなかった子がいた。その子らに共通することはすぐに答えっぽいことを求めてしまう、つまり自分の頭で考えることを放棄した子たちである印象が強い。

逆説的に考えても、全員が共通して超えてきたハードルは自分の頭で考え抜くということだと思う。その過程に求められることが言語化。そこまでやることがひとつのプロセス。

ここでのまとめ
・全員が超えた=新2年生にも求められるものは自分の頭で考えるとこと
・言語化はそのプロセスにおける一部であって、全体ではない
・これらの目的は志望動機を書く(かけるようになる)ためである


メモ3

ゼミ募集をゼミ全体で取り組む意義は大体理解ができる。自分の話せる内容には偏りがあるからだ。私は自分が経験したことしか喋れないわけだ。私とは経験をした人がたくさんいて、学んだこと、感じたこと、どう活かしているのか、どう変わったのか、などなど話せる内容が全然違う。

そのレパートリーを確保するためというのがひとつではないだろうか。

つまり後輩は後輩たちが学んだこの1年間のゼミを語ればいいし、私と同期生は2年間分の創P、プロジェクト、ゼミ募集P、その他諸々を語ればいい。あとは社長だとか平社員だとか、ゼミ長とか平ゼミ生とか、その人にしか語れないことを語る。ここは難しく考える必要はないだろう。新2年生が聞きたいのは、それこそ現場の生の声であり、脚色されていない話だろうから。

しかし、長々と自分たちの話をしてしまうと本末転倒にもなりかねない。では自分にしか語れないことを語るための目的は?


やはり考えるための手助けという側面が強いだろう。おそらく自分一人で考えることができる新2年生は多くない。これは本大学のこの年代では起こりうる現象なのかもしれない。それはさておき、自分一人で考えられないなら他人=ゼミ生を使うのがベスト。

その理由は大きく2つ。ひとつは経験者の立場から与えることができる情報があるから。もうひとつは自ゼミにおいて語ることができるのは自ゼミに属している人間だけだから。

つまり、考えさせるための情報を与えるということ。話のタネとでも表現ができるだろうか。「言語化できないのはボキャブラリーが足りないから」そ先生は指摘した。それを補うための役割が我々ゼミ生だということだろう。例えていうならGoogleさん的な感じ?

ここでのまとめ
・いろんな経験談をすることがゼミ全体で取り組む意味
・言語化ができない人たちの手助け役としてゼミ生は存在する
・そのため、なされるべきことは情報と言葉の提供と整理


最後のまとめ

頭の中から出てきたことをワーッと書いてみた。どのメモにおいても共通して出てきたことは『自分自身と向き合う』ということだった。つまり実際の現場(面談)においては自分自身とどれだけ向き合えたが新2年生にとっても後輩たちにとっても重要になってくるのではないだろうか。

それが全てのスタート地点でもあり、集約地点なのかもしれない。

なすべきことを成すためには自分と向き合うことが欠かせないはずなので、そういう意味では自分と向き合うことがなされるべきことなのかもしれない。これがもう考えすぎ?

前回書いた内容と全く変わっていないのだけれども、今はなんだか頭がスッキリしている気がする。G行為にならないようには気をつけたいところだが。

もし、考えすぎだと思われた方は是非ご指摘いただきたい。これ以上は私ひとりでは無理そうなので。

とりあえずいい感じに頭を使ったのでそろそろ寝るとしよう。もし寝たことで再度頭が整理されたら、再びワーッと書くことがあるかもしれない。その時もどうぞお付き合いいただければと思います。

それでは、また次回!

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