見出し画像

大学生活最後のテストが終わりました


こんにちは!あいでんです。

最近Uber eatsをやろうと思うたびに雨が降りそれを激しく拒まれます。今日はすでに外出していた段階で降ってきたので濡れながら帰る羽目に。

風邪をひかないようにと久々にお風呂に入りました。うん、シャワーばかりじゃダメだな。

画像1

くまちゃんらぁめん にて


▷はじめに


今日は大学生活最後のテストでした。

にも関わらずテスト15分前に起きるという大寝坊をしでかしてしまいました。危うく最後のテストを寝坊で放棄するところでした。

これで余程のことがなければ大学生活にもひとつのピリオドを打ったのかと思うととても感慨深いものがあります。


これまでもテストは私のいいネタになってくれました(笑)。
ソーシャルイノベーションとは何か?続
表現力を鍛えるためには
今日のテストはまるで〇〇のようだった

今までありがとうございました。


▷テスト


テストを受けるのは正直なところ少しめんどくさい。テストを喜んでいる人はそんなに多くはいないだろう。

しかし、その講義における自分の理解度をその道の”プロ”から直々に評価していただける機会でもあるというのはかなり貴重な機会でもある。

そういう意味ではテストは嫌いではない。


4年生になって単位に余裕が出たことで受けたい講義だけを受けるようになった。そのためテストにある種の”面白さ”を求めるようになりました。

面白さというのは「難易度」の話です。以前までは論述系は大嫌いで暗記系が大好物だったのですが、今は論述系が大好物になりました。

というのも、普段勉強しているとき以上にテストを受けているときの理解の深まり方というか、整理されるというか。とにかくあの60分の時間が好きになりました(笑)。


テストとは講義内容に対する理解度を数字によって指標化するものだと思っています。

しかし、卒論を書いていても思うことなのですが、満点を取ったとしても本当にその内容を理解しているといえるのだろうか。

テストで満点を取れれば確かにある程度の理解があると言っても過言ではないのでしょうが、果たして本当に理解できているのかといつも考えてしまうわけです。

何故ならテストで求められているのは極めて限定的だからです。


で、おそらく結論を言えば「不可能」だろうと私は考えています。

完全に理解をすることができないからこそ勉強を続けていく必要があるのだと思います。つまりテストはゴールではないわけです。

むしろ、やっとスタートラインに立ったといってもいいのかもしれません。


それに「大学」という場所はまさにそういう場所だと思います。永遠に(完璧には)理解できないものを理解しようとするための場所だと。

そして、大学のテストは自分の理解度をその道のプロに判断してもらう機会であると同時に、自分がどこは理解が及んでいてどこが曖昧なのかというのを知る機会でもあると思います。

そのため私はテストを「自分との戦い」「自問自答をする場所」だと最近は表現しております。講義が学ぶためのきっかけであるなら、テストもまた学び続けていくためのきっかけといえるでしょう。


まあ、そんな感じで、最後のテストを終えた私はまさにスタートラインに足を揃えた状態であります。

当たり前のことですが、テストが終わったから大学が終わったからと「学ぶ」ということを止めることなく続けていく所存であります。

ご指導賜りました諸先生方、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
卒業までの残りの期間もよろしくお願いします。


▷おわりに


テストが終わってしまい、今日からめでたく最後の春休みが始動しました。

おそらく大学へ足を運ぶのも残りわずかでしょう。下手すると卒業式までってこともありうるかもしれません。

ちょうど1ヶ月後はゼミの卒業旅行中。その1ヶ月弱後には卒業式と追いコンというおそらくあっという間の日々になることでしょう。


良くも悪くも大学生気分を味わえるのは2ヶ月強くらいということで、最後の大学生気分を春休みは味わいたいなと思います。

それでは、また次回!


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは魔材代として活用させていただきます!!