卒業式が中止になりました…
こんにちは!あいでんです。
最近は寝るか動くかのどっちかしかやっていない気がする。何言ってるかわかんないと思うけどそれくらいオンオフが激しい(笑)。
いいのか悪いのかようわからんけど、えぐいくらい寝てしまって寝坊するのはなんとかしたいお年頃。
焼肉 龍園 西中洲店 にて
▷卒業式が中止になりました…
タイトルにもある通り、我が大学の令和元年度卒業式が中止となりました。必然的に追いコンも中止に。
学位記や記念品、卒業アルバム、卒業証明書等については、原則的に郵送する予定のようで(詳細はまた後日)、手続き的なものはこのままいけば滞りなく進みそう。
なんとなくわかってはいたものの非常に残念である。周りの人のSNSをみてもその反応から同じような心持ちであることがわかる。
女性であれば袴など準備をしていただろうから精神的にも金銭的にも大変なことだろう(企業的にも大ダメージだろう)。
しかし、学長の声明にも「苦渋の決断」あるように懲らしめてやろうとしての決断ではないためにその感情の矛先も向けとごろがない。
大学(学校)的には手続きや儀式的意味として卒業式は存在しているが、当の学生(生徒)からすればそっちの意識よりも別れを惜しんだりひとつの節目となるような経験的意味として存在しているように思う。
それっぽく言い換えれば「論理的価値」と「感情的価値」ということになるだろうか。
ここでの難しさは儀式的意味として卒業式が存在するために「感情的価値」は必要としないのに対して、経験的意味として存在するためには「論理的価値」も必要とすることだ。
つまり、一見すると面倒くさいあの厳かな儀式も含めて学生(生徒)は価値を見出している個人的には思う。
それ故、アンオフィシャルに卒業式的なものを開催することができたとしてもやはり少しの侘しさが残る。学位記などの卒業式に手渡される予定であったものも郵送すれば(卒業のための)手続きとしては問題がなかったとしてもやはり味気なさが残るのは同じ話だろう。
似たような事例が私たちの年代の成人式でも起こっている。そう、記憶に新しい「はれのひ事件」である。
自分でも思い出してびっくり。私は被害者ではなかったとはいえ、こんな人生でも数少ない重要な儀式がなくなるという悲しい巡り合わせがあるとは(入学当初は熊本地震もありましたね)。
先の例を見れば、おそらく世の中の優しい誰かが卒業式的なものを開催してくれるのであろう。
しかし、今回に限ってはかなり難しいものがある。
例えば時期(コロナがおさまってからとか)をずらしたとしても社会人に染まりきってから行われる卒業式には抵抗があるし、かといって今の時期に誰かを先頭に多くの人が集まるような何かを開催すれば卒業式自体を中止にしている意味がなくなる。
大学側のメンツを守るための中止という側面があることは致し方ないことだし、学生(生徒)やそのご家族などの安全を重視したというのが一番だろうと思うからこそ、その意思を無駄にもできない。
だがそう簡単に片付けられる問題ではないのも事実。だからこそ難しい問題だ。
人間は感情的生き物である。感情の前には論理や理性は歯が立たない。
やはり卒業する側としては卒業式(追いコンまで含めて)開催したかったというのが本音だ。卒業した感を味わうことにこそ卒業式の意味があるように思うからだ。
この問題はどう落ち着くのだろうか。
それでは、また次回!
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