「思考の構え」と「豊かさへの備え」
こんにちは!あいでんです。
昨日のnoteを見たくださったT先生にお声がけいただき今日はしっかり外出をしてきました。しかもなんとあのスタバへ。
なんとなく苦手としていたスタバですが実際に行ってみるとなかなかにいい空間でした。いつもより1日が長く感じました。
何事もチャレンジしてみるものですね。
▷はじめに
今日も今日とてほぼ日の話から。
「今日のダーリン」がまた良かった。
今回はそのことについてお話をしていこうかなと思います。
じぶんの立っている場所を変えれば、目の位置も変わる。だから、旅をすることは変わることになる。旅の場所で止まってはいられないということもある。小さい変化を、数多く重ねること。それがいいみたいだ。(今日のダーリン 12/17より)
▷思考の豊かさ
先日、思考の構えを持って生活することの意義みたいな部分を自分なりに整理してみた。
しかし、いくら思考の構えを持って毎日生活をしていても狭い視野では入ってくる情報も限られるし、それ故にアウトプットも限られたものになる。
イメージとしては、構えているけどスルーしてしまったり、深めることはできても豊かではないといった感じ。つまり、一辺倒になるということだ。
だから仮にリンゴについて考えるときに、「リンゴはバラ科リンゴ属の落葉高木樹で、その果実のことをさす。植物学上は…」という思考はできても、「アダムとイブの話や白雪姫でも出てくるリンゴは神聖な食べ物かもしれない…」なんて思考にはなりません。
じゃあどうすればいいのか。答えはシンプルでいろんな視点を持つことだ。
いろんな視点を持つためにはどうするか。そのための方法は数多くあるだろうが、代表的なのは旅に行ったりリベラルアーツに触れるといったことになるだろう。
先日とある授業でTM先生がリベラルアーツに触れる意義について言及していた。それを私なりにまとめると、
「文学や絵画や音楽に触れると自分の内在的なもの(感情とか感性とか)に触れることになる。その答えは多種多様で千差万別。さらに明確な正解なんてものはない。そこから炙り出されたものが新しい自分の視点となり、表現力を高めることにつながる。」
というような話でした(多分)。
つまり、誰かの内在的なものから生み出されたものに触れることで自分の内在的なものを呼び覚まし磨きをかける、それによって新しい視点を増やしていくということだろう。
まさに「豊かさへの備え」といったところだろうか。
▷構えと備え
ここで最初の話に戻る。
新しい視点を増やすのが重要なのは分かったが、とはいえ、そんな口で言うほど簡単なことでもない。
だから”じぶんの立っている場所(位置)”を変えてみる、というのが重要だったりするのではないだろうか。視点が少ない、視野が狭いというのなら、その場所から体を動かしてみることで全く違う視界にしようということだ。
そうすれば否が応でもいつもとは違う視点になるし、違う視野になる。おそらくこれが旅をする一つの効用なのだと思う。
それが「今日のダーリン」でいうところの”小さい変化を、数多く重ねること”なのだろう。
しかし、ここで個人的に思うのは、いくら旅に行こうがリベラルアーツに触れようがただそれだけではあまり意味がなくて、構えておくことが大事なんだと思う。
そう、「思考の構え」である。
この「思考の構え」と「豊かさへの備え」みたいなものが相関関係にあって、本当に優れている人というのはこのどちらとも磨きがかかっている人のことをいうのだろうなと思います。
▷おわりに
そういえば、今日は大濠公園でほぼ日のイベントがあってたらしい。しかもシェイクスピアの内容もあったみたいで。
行きたかったなあ…。自分の財力を恨むしかあるまい。
いやいや、こういうのに投資できるように備えておかねばならない。バイトに時間を浪費するのは些かもったいない。
そんな感じで今日は外出したことによるいくばくかの満足感と、バイトという選択肢を取ってしまった後悔に打ちひしがれた1日でした。
さあ、明日は卒論提出日前日。最後の追い込みをかけようと思います。
それでは、また次回!
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