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「仕事」って、なんなのか?

あなたの仕事はなんですか?

こう質問されたら答えるのは簡単だ。自分の職業を言えばいい。しかしそれは仕事の職種であり、社会における機能でしかない。

この質問に対する私のシンプルな回答は、「銀行員です」だ。

しかし銀行員と言っても様々な職種がある。窓口担当、バックオフィス、商品開発、市場調査、法務、トレーダーetc etc。だから私は「銀行で法人営業をしています」と具体的に回答するようにしている。


では、違う質問をしたい。

あなたにとって「仕事」ってなんなのですか?

こう質問されたらシンプルに答えられるだろうか?しかも小学生くらいの子どもから質問されたとしてみよう。分かりやすい回答が求められている前提で考えてみてほしい。

ちなみに「働くこと」は回答にはならない。仕事と働くことは意味としてイコールであり、言葉を変えたに過ぎないからだ。「仕事の本質」とはなんなのだろうか?


まず、仕事をどう思っているかが重要だ。仕事を辛いものと多くの人が認識してるように思う。「仕事=自分の時間とエネルギーを犠牲にしてカネを貰う行為」だと思ってる人がほとんどではないだろうか。そうじゃなければ、日曜の夕方から憂鬱になる「サザエさん症候群」なんて言葉は生まれない。

仕事を目的面から考えてみたら、どうだろうか。

「何のために仕事するのか」は漠然ながらも誰もが考えたことがあるだろう。それについて書かれた記事がこちらだ。

カネを得るため。自分のため。家族のため。職場仲間のため。お客さんのため。社会のため。

どれもが正解だし、目的は人によって違うものだ。

今、仕事の目的は昔と比べると多様化している。昔は「自分と家族の生活のため」が日本人の共通認識だっただろう。しかし、日本の生活水準は半世紀ほど前から世界最高クラスだ。もはや生活のためだけに仕事に人生全てを捧げなくても、生きていける世の中になっている。

そうなるとエネルギーのある人ほど、仕事の目的の対象がカネや自分だけでは物足りなくなってくる。カネよりも精神的な充足の価値が上がっているように思う。

脇道に逸れてしまったが、仕事の目的とは「(自分を含めた)誰かのため」だ。ここに仕事の本質のヒントがある。


仕事とは役割分担でもある。

人類史から見ると、狩猟時代から役割分担としての仕事は存在していた。すなわち男は狩りに行って食料を調達し、女は子どもを育て家を守っていた。どちらが優れているという話をしたいわけではない。単純にお互いが得意とする分野で役割を果たしていた。

人類の発展とともに仕事は細分化されていった。家を作るのが得意な人は大工となり、料理するのが得意な人は料理人となった。偉大な発明家が生まれ、イノベーションが何度も生活を向上させた。その生活を維持するために新たな職業も生まれていった。

普段意識できないが、身の回りには誰かの仕事の痕跡で溢れている。

私たちが食べているもの、着ているもの、住んでいる場所は誰かの仕事の結果だ。電気や水道をいつでも使えるのも誰かのおかげだ。車や電車などの交通手段やインターネットだって誰かがいつも働いているから、その恩恵を受けられている。


あなたにとって「仕事」ってなんなのですか?

この質問への私の答えは、「自分の得意分野で誰かの役に立つこと」


私は料理もできないし、家を建てることもできない。
しかし銀行という組織の中でなら、融資を実行することができる。

カネを借りた企業は、それを元手に事業を拡大したり従業員の給与を払うことができる。給与を受け取った従業員は生活を維持するためや、何かを買ったりしてカネを支払う。そのカネは企業や誰かの手に渡り、循環していく。

会社という「器」がなくても、自分の得意分野で誰かの役に立つことはできる。それは働きながら得た知識やノウハウが元になる。

私には自分なりの知識とノウハウはいくつかある。

1.経済や金融知識
マクロ的な経済知識、マーケット知識、融資・運用・デリバティブなどの商品知識。個人投資家としての経験。銀行の実情。

2.分析力や論理構築力
何百社もの決算書を見てきた財務分析、事業分析及び考察、稟議作成のためのロジック構築、資料作成、内容を正確に伝えるための文章構成。

3.コンサルティング力や交渉力
営業畑を歩み続けて磨いたコミュニケーションや提案方法、分析し仮説を組み立てた経営課題の解決。経営者との距離の縮め方。

これらの得意分野をnoteで公開している。noteでカネを取る気はさらさらないし、プライベートの趣味の一つでることに違いない。でも広義で言えば、仕事に近いと思うこともある。あえて報酬があるとすれば、読者からの信用や共感だ。前述した精神の充足のために、記事を書いている。


SNSでコメントしたり、noteの記事を書いていく中で最近、自分の中で仕事とプライベートの境界線が曖昧になっている。

勤務時間の大部分は仕事に集中しているが、休憩中やふとした時に「このネタは使える」とか「この情報をアウトプットしたい」と考える癖がついてきたのだろう。

私はそういうアイディアを大切にしている。「そんなことより仕事の方が大事」とは思えない。どちらも大事で優劣は無い。逆のパターンもある。本で読んだ内容を仕事で実践したりもする。だから仕事とプライベートの境界線が曖昧なのだ。

これからは、仕事とプライベートを分けられない時代になっていくのではないだろうか。ベーシックインカムが導入されたら、生活のための労働から人々は解放される。導入されなくても、間違いなくAIやロボットが人間の労働をどんどん引き受けてくれるようになる。

「仕事が奪われる」、「職を失う」という危機意識ばかりが世間で高まっているが、AIやRPAに取って代わられる仕事の価値は低いと考えた方がいい。電卓が生まれたことで暗算の価値は無くなった。インターネットが生まれたことで、物知りの価値も薄れている。

結局は適材適所だ。事務処理のスピードと処理能力と正確性で、人間はどうやったってコンピューターやAIには敵わない。であれば、その分野はAIに働いてもらう方が合理的だ。

相対的に価値が高まるのは、アイディアやインスピレーションといったクリエイティブな分野だ。これはAIには真似できない。得意分野をクリエイティブな次元に引き上げて、誰かの役に立てれば仕事を奪われることは無い。


極論になるが、私は「仕事はRPGのようなゲームだ」と思っている。暇潰しを兼ねた本気のゲームだ。

仕事での夢=ゲームクリア、もうちょっとで手が届く目標=ボス、成長する=レベルアップ。何よりもゲーム(仕事)は面白いものだ。

楽しみながら自分の得意なことで誰かの役に立つ。

これが私が考える仕事の本質だ。

#コラム #エッセイ #仕事 #ビジネス #哲学 #熟成下書き #私の仕事

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宇宙旅行が夢の一つなので、サポート代は将来の宇宙旅行用に積み立てます。それを記事にするのも面白そうですねー。