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とりとめのないおはなし

とっても、哀しいなぁと、しみじみ思う。
でも、泣けている自分に驚く。私は、泣けないときの方が苦しい。
だから、自分を罰するように苦しい思いをしたくてか、彼の報道や作品を敢えて見ている。そして、彼の不在を改めて感じて、そのたびに涙する。
知り合いでも友人でも親族でもない人がいなくなったことで、こんなにも自分は泣けるのか、と結構新鮮な気持ちだ。

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世の中にはいろんな人がいる。でも、少なくとも日本人で、普通にテレビや映画、演劇を見る人にとって、彼のニュースはまさに「衝撃」だったはずだ。
それでも、私の同僚たちはなにもなかったかのように仕事をしているし、まあ私も一応している。
SNSを見れば、相変わらず日常のつぶやきや愚痴、好きなタレントのこと、映える食事、トレーニングやダイエット、いつも通りの言葉や写真が並んでる。
でもきっと、そういう人たちの中にも、私と同じように哀しい思いを抱えたままの人がものすごく多いんじゃないかと思う。
私は、哀しい気持ちになったらずっと哀しんでいたいので、基本的にどんより重めの気分だし、SNSを更新する気にもなれないけど。
どっちがいい、わるいじゃない、人には人の気持ちがあって、哀しみや衝撃の癒し方があって、癒すのにかかる時間も違う。
大丈夫、ちゃんとわかってる。

でも少しだけ、SNSに変化があったんじゃないかって感じたりもした。
たぶん、好きな著名人やコンテンツに対して、きちんと「好きだ」と好意的なコメントをする人が増えたんじゃないかな、と思う。
「いいね」だけで済ませていたところを、そうじゃなく、きちんと言葉にして伝えること。その言葉の力に改めて気づいた人がいたんじゃないかなって、ちょっとだけだけどね、感じてる。

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彼を、気付けば15年観てきた。
彼が演じるだけでその役が魅力的になり、彼がバラエティで笑うだけで場が華やぎ、彼が歌い踊るだけで心をつかまれ、彼が話す言葉はどれもすんなり沁みてきた。
そんな風に私が彼からもらってきた恩恵、温情、厚情、どの言葉を使ってもふさわしくないような気がするけれど、とにかく「心の温度が少しだけ上がるあの瞬間、あの感情」のこと、私は彼から勝手に受け取っているだけだと思っていた。
それを彼が私たちに与えてくれるのに、どれほど心身を削るような思いをしてきたのか、そこに想いを馳せることはほとんどなかった。いや、正確に言えばもちろん思ったことはある、でも、全く考えが及んでいなかったのだ。ここまでとは。
我々が勝手に甘受してきただけだと思っていた恵みが、彼が命を削って与えてきてくれたのだと思ってしまったら。もう彼の作品を心から楽しめなくなってしまう。

彼を失うことだけでも十分に哀しいことなのに、それが自分たちの手によるものだと考えだしたら、もう私は、何かを、誰かを、好きになること自体怖くなってしまった。
「きらい」「きえろ」「しね」
そんな言葉ではなく。
「だいすきです!」「おうえんしてます!」「これからもがんばってください!」
こんな言葉ですら、私たちは愛する存在を殺してしまうのか。

私たちの期待や憧れや喜びが、彼を追い詰めてしまった結果がこれならば。
私は一体どうやって愛する存在たちを守っていけばいいのだろう。

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「三浦春馬は、本当は死にたくなかったんじゃないかなぁ」
そういう友人の言葉に救われた。

生きていれば、きっと誰もが一度は考えること。
しにたい、きえたい、いなくなりたい。
ものすごく身勝手な、都合のいいことを言うけど、どうか彼もそのくらいの温度で言っていたのであってほしい。本当に死ぬ気なんてなくて、ただ少し疲れてしまって、愚痴をこぼす程度の、そんな軽めの言葉。

「え?俺死んじゃったの?」
って、驚いていてほしい。
「うっかりしちゃった!」
って、あの笑顔でおどけていてほしい。

願わくば
「ごめんごめん、ちょっとやりすぎたわ!」
って、どっきりプラカード持って出てきてほしいけど。

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ただひたすらに泣きたくて、MIUの第4話を毎晩見てる。
何度やり直しても気付けばまた負のループに嵌ってしまっている青池透子。
彼女と私は何が違うんだろう。何か1つでもずれていれば、私だってああなることは十分にあり得たし、なんならこれからの人生あんな風になっていくかもしれない。そうなった彼女と、ならなかった自分は何が違うんだろう。私はそうならないようにするためにふさわしい努力なんてなにひとつしていないのに、こんなにのうのうと生きている。
だけど、わかるよ、最後に彼女がなにか1つでもいいことをしたい、そういう気持ち。どうか、あのウサギの瞳が、彼女が助けたかったガールたちの素晴らしい未来を見守ってくれますように。彼女の代わりに。

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これから私はゆずを聴いて笑えるかな。
でも春馬の分もずっとずっと聴いていたいな。ずっとずっとずーっと。

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もう誰も死んでほしくない。誰も何も失いたくない。
大好きなものが多すぎて、大好きな人が多すぎて、それってとても幸せな人生だってずっと思って生きてきたけど、今、それがとても怖い。

好きなものを好きだって言いたい。大好きだって叫びたい。
それが、私の好きな人たちをどうかどうか追い詰めることになりませんように。優しいシェルターになりますように。

今はまだ、「ご冥福をお祈りします」なんて全然言えない。そういう形式ばった言葉では全く言い表せない。
でも、どうかもう苦しんでいないといいなと思う。
私たちはまだしばらく哀しみに暮れるし泣いてしまう。でもそういう私たちを見て苦しまないでね、胸を痛めないでね。春馬の分は私たちが胸を痛めるから、どうかもう、ただただ笑っていてね。泣くな、なんて、哀しむな、なんて、ごめんけど無理なんだよ。だから、どうか今は許して。

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神様。お願いがあります。
自殺は、自死は、大罪だと聞いたことがあります。
それをした人は、決して天国には行けないと。
でも、どうか、その考えを改めていただけませんか。
自ら死を選んだ人の罪を、生きている我々が受けるので。みんなで分け合ってその罪を背負うので。社会全体で、きちんと考えていくので。
どうか、春馬だけじゃなく、木村花ちゃんや、私の友人のお姉ちゃんや、私は名前も知らない誰かも、みんなみんな、きっと十分苦しんできたので。
せめて冥界では、とびきり暖かく柔らかい日当たりの良い場所で、いい香りがする場所で、のんびりさせてあげてはくれませんか。

いつもは神様なんて信じていないけど。
もし本当にいるのなら、どうかどうか、よろしくお願いします。

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