【スペイン巡礼6日目】大聖堂に泊まって生まれた、忘れられない家族感 Torres del Rio→Logroño
2021/9/7
巡礼6日目。
スペインの7時過ぎはまだ真っ暗で、鶏が鳴きはじめる頃。他の巡礼者たちは、ほぼほぼみんな先に出発してた。
カルロスの出勤は遅いようで、さよならの挨拶はせずに出発。
少し歩くとすぐに街並みは途切れ、同時に街灯も無くなって暗くなる。
今日歩く距離は約20km。
今の我々にはまだ少し長い距離なので、暑くなる午後の早いうちに着けるように、同時に後半疲れ過ぎないように自分たちなりに速度を考えながら歩いていく。
しばらく歩くと登りになり、軽い山道になった。
と、少しひらけた場所でコーヒーや軽食を振る舞っている男性がいた。
一昨日の宿、Oasis Trailsでクリスチャンコミュニティーのボランティアの人たちの温かさに触れたところだったのもあり、嬉しくなって
"Este lugar ayudanos mucho, gracias. Eres un voluntario haciendo esto?(この場所は僕らにとってとても助けになります、ありがとう。ボランティアでこれをやってるんですか?)"
と何気なく彼に話しかけた。
けれど、彼は僕の質問にムッとした様子で
"Voluntario? Porque tengo que hacer todo esto asi? Es un trabajo. Nadie hacen estas cosas voluntario! (ボランティア?なんでボランティアでこんなことしなきゃいけないんだ?これは仕事だ。ボランティアでやる奴なんて誰もいないさ!)"
と詰め寄ってきた。
「ごめん怒らせるつもりはなかったんよ」と咄嗟に謝ったけど、
それには反応せず、あさっての方向に歩きながら
"Voluntario huh? Funny.(ボランティアでだって?バカバカしい。)"
と吐き捨てるように(僕にはそういうふうに聞こえた)言ったのが聞こえて、急に腹が立った。
僕はそのことについてそれ以上何も触れず、バナナを買って "Buen dia.(いい日を)" とだけ言ってその場を去った。
それからの道では、一人でいろいろ考えた。
悪気のない質問に予想外な反応をされてびっくりした自分と、「センシティブな内容やったんはわかるけど、質問しただけでなんでそんな言われなあかんねん」と納得のいかない自分。
深い話を何もしないで立ち去ったので、彼のバックグラウンドは何も知らない。ボランティアについて苦い経験があったかもしれないし、仕事を失った直後かもしれないし、どんなことでもあり得る。
コトが起こったそのとき、自分から見えたり感じたりしたことから直接反応することしかできなかった。
そのまま腹を立てて立ち去ったら、自分は結局モヤモヤして気持ちが上がらないまま数キロを歩いてる。
そしたら、本当に在りたい在り方をした自分ならどうしたか、あのとき何をどうしたら納得がいって今歩けてるか。
自分が落ち着くまで待ってから、彼の目を見て気持ちを込めて謝ったり、正直な気持ちや感覚を落ち着いてそのまま伝えたり...。
何時間も何キロもただ歩く時間が持てるカミーノ、好きなだけ時間をかけて考えたり、考えなかったりできる。
また、いいレッスンをいただいた。
***
今日泊まる予定にしている宿があるログローニョまでは20kmちょっと。
途中でVianaという小さな町を抜け、アップダウンは激しくない山道をひたすら歩く。
(途中で水を補給した教会に描かれていた壁画)
Vianaから1時間くらい歩いたところで、前を歩いていた母娘を追い越した。
お母さんの名前がルフィで、娘さんがノラ。
バルセロナに住んでる2人は、初めて母娘一緒にカミーノを歩いているとのこと。
以前にも歩いたことのあるルフィはいつかノラと歩きたいと思っていて、ノラが12歳になったこのタイミングで実現できたそう。
12歳の子どもと歩くってこんな感じかあ、と妄想しながら2人としばし一緒に歩いた。
***
ログローニョが近づくにつれて、舗装されていない道はアスファルトに。
ワインが有名なラ・リオハ州の州都らしいので、結構でかい街なんやろうな。
足が疲れてきた頃、遠くにその姿が見えてきた。
ログローニョの入り口は綺麗に整備されていて、水場があった。
先を歩いていた巡礼者たちが足を水につけて休憩してた。憩いの場。
昨日の宿Pata de Ocaで一緒だったナイースとマリーナの2人もそこにいて「めぇっちゃ気持ちいいよ!」誘われたが、宿までもうすぐなのにシューズと靴下を脱いで足を濡らすのが面倒で遠慮。
少しだけ喋って、先に進んだ。
***
すぐ先にある長い橋を渡ったらすぐ、ログローニョの市街地に入った。
出発したパンプローナほどではないけれど、しっかり都会。
今日泊まる予定にしているのは、ボランティアの人たちが運営している、ログローニョ大聖堂の施設。
初めてのドネーション制(宿泊代は任意)のアルベルゲで、ベッドに空きがあるかどうかは先着順なのでいっぱいだったら他をあたるつもりで大聖堂へ向かった。
古い門の呼び鈴を鳴らし、出てきてくれたのは黒人のボランティアの2人だった。
名前はペドロとベンジャミン。2人ともアフリカの出身で、挨拶したときからもう何というか、心地いいバイブスが伝わってくる。
静かに落ち着いた、温かい口調で受付をしてくれた。
(↑ベンジャミンは最近来たばっかりなんだと紹介してくれるペドロ先輩)
「ここはベッドは無くて、床にマットレスを敷くスタイルで良ければ空きはあるのだけど、2人は大丈夫?」
と聞かれ、もちろん答えは「大丈夫!」。
床に布団を敷く文化の無い国の人だと、抵抗がある人もいるみたい。
むしろ早い方の到着だったようで、寝床の空きがあって安心した。
寝床までの案内はスペイン出身のボランティア、マリアとローリーがしてくれた。
(洗い場↓)
(↓食堂)
(↓寝床)
まだ誰もいない部屋で、何となく真ん中ぐらいにあったマットレスを選んだ。
***
夕飯は、これまた無償(宿泊費と同様にドネーション制)で、宿泊者とボランティアで囲むことになっていた。
その前に、これまでに100km近く歩いてきてひしひしと感じていた「荷物が重い問題」を解消すべく、更なる断捨離をすることにした。
日本を出る前と、巡礼出発地のパンプローナで自分たちなりに荷物は少なくしようと努めてきたつもりだったけれど、歩きながらポロポロと思いついていた「あれは兼用できる」「もう一枚減らしてもやっていける」というアイデアたち。
カミーノが手放すものを教えてくれるとは良く言ったもんで、選んだマットレスの上で30分くらい試行錯誤した末、これだけのモノを手放せた(写真は僕の分のみ)。
2人で1つを使えばいい、という判断ができたモノは、二人旅の特権。
捨てられるものは少し捨て、残りはログローニョ市内の郵便局に持っていってサンティアゴまで発送した。
選択肢から日数を選んで、サンティアゴの郵便局で保管しておいてくれる。
2人合わせて4kg弱。
これだけ減れば、体感的にだいぶ違うはず。
***
夕食の前に、大聖堂で地元の方と巡礼者のためのミサが開かれるということで、出席させてもらった。
フィジーで仕事をしていた時もたくさんミサには出させてもらっていて、カトリック教会でも異教徒の自分が出席させてもらえるのがとても有難いと思う。
国や文化、教会によっても違うかもしれないので、全員が立ち上がるよう促される時以外は立ち上がらず、聖体拝領時のワインとパンはもらいに行かないように意識してる。
今までの経験から僕なりにちょうどいい気の遣いどころを探って(各場所でカトリックの方の意見も聞きつつ)こうしているため、正解じゃないかもしれないけれど、これからもその時その時で調整していければと思う。
途中で4人がお祈りを読み上げる場面が。
たまたまゆりが一節を読むことになって、こっそり読む練習をしつつ、前に出て行った。
ミサの最後には巡礼者のためのお祈りの時間があった。
巡礼者(希望者)は前に出て横に並び、一人一人の国を聞かれて答えた後、司祭がスペイン語でお祈りをしてくれた。
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部屋に戻って、夕飯の時間に食堂へ。
よかったらそこに座って、と促された長テーブルの席。
正面には、顔馴染みになったナイースとマリーナが。
彼女たちがベジタリアンで、我々もゆるベジなのでちょうどよかった。
長テーブルに3つ置いてくれたスープのうち、僕らの場所にはベジタリアン対応のものを用意してくれた。
右側には初対面の韓国人の2人が。
アジア系の巡礼者を見たのは、2日目のジン以来。
ゆりの右隣の彼の名前はクニョン。バルセロナに住んでいて、なんと我々と同い年だった。
ユーモアたっぷりに冗談を言ってみんなを笑わせるクニョンと、口数少なくマイペースなもう1人の彼(名前忘れた...)が対照的で、でも仲が良い2人。
世界中を旅することが好きな彼らは、カミーノよりも前に旅先で知り合ったらしい。
そして左側には、今日の道中で出会ったスペイン人の母娘が座っていた。
お母さんの名前がルフィで、娘さんがノラ。
ここに泊まることはお互い知らなかったので、偶然の再会がうれしい。
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夕飯を用意してくれたボランティアのメンバーと司祭は、みんな底抜けに優しくて明るかった。
食べる前にやることがある、と司祭が立ち上がってユーモアたっぷりに話し始め、ボランティアのベンジャミンが英語の通訳を務めてくれた。
「はるか昔に、フランス人の巡礼者が作った特別な歌がある」と言って指差した先には、その歌の歌詞が書いてあった。
教会のメンバーにリードしてもらいながら皆で歌ったそれは、『ウルトレイヤー、スセイヤ』という言葉で始まる20秒くらいの短い歌だった。
ラテン語で書かれていて、ウルトレイヤーは『もっと前へ』、スセイヤは『もっと高く』、その後の歌詞は『神様が助けてくれる』という意味。
かつての巡礼者たちは『ウルトレイヤー』とお互いを励まし合ったのだと教えてくれた。
練習も兼ねて、みんなで3回、ゆっくりと合唱した。自分たちで作り出すハーモニーが心地いい。寝そう。
お祈りのあと、食べ始めた。
これがまた、めちゃくちゃ美味かった。
量もたっぷり。
この料理も時間も含めてドネーション制で、誰にもチェックされないドネーションボックスにお金を入れるか入れないかも自由。
料理を作ってくれたみんなもボランティアで、こうやって一晩過ごさせてもらえるのが本当に有り難かった。
みんなでワイワイ食べる途中で「もう身内みたいなもんなんだから言っちゃいなさいよ」という言葉が向かいのマリーナから出るくらい、何というか家族感みたいなものが満ちていた食卓だった。
***
食べ終わったあと、司祭が「秘密の裏口があるんだ」と言いながら皆を隣の大聖堂に連れ出した。
「ここでは、夕飯の後に宿泊する巡礼者みんなでお祈りを捧げるんだ」
そう言う彼から、各々自分の母国語で書かれたお祈りの紙を受け取った。
(なんと日本語もあった!)
「ひと段落ずつ、順番に母国語で祈ろう」
彼に促され、最初に我々が日本語で、次にスペイン語、英語、フランス語、最後に韓国語でクニョンがお祈りを読んでいった。
これがなんとも言えず、優しい、豊かな時間だった。
***
お祈りを終えたあと、話しかけてきたのは韓国のクニョン。
「知り合えてとても嬉しい。偶然に感謝してる」と嬉しいことを言ってくれる。
それから、「同い年だってことも韓国では仲良くなるのにとても大切なんだ」とも。
一緒に兵役を共にするから?と聞いたら、
「それだけじゃない。韓国ではひとつ歳が違えば使う言葉も違うし、距離感が違うんだ。同い年ってのは特別なんだ」とのこと。
彼とは、本当に仲良くなれそうだと思った。
また会えるかわからないのがちょっと寂しくなる。
次に話したのは、同じ部屋で寝るスペイン人のおじさん、ヘロニモ。
日本に行ったことがあって、旅の話をシェアしてくれた。
部屋に一緒に戻ったとき、彼に「帰国前にマドリードでPCRを受けるんだろう?宿は決めたのかい?」と聞かれたので、まだ決めてへんよと答えると、
じゃあうちにステイしないか?マドリード空港の近くなんだとオファーしてくれた(!)
彼は昔このカミーノで日本人と知り合って後に日本で家に泊めてもらった経験があるらしく、今回のカミーノでも誰かにペイフォワード(恩送り)したいと思っていたから是非来て欲しい、とのことだった。
ありがたくオファーを受け取って、泊めてもらうことに。
Whatsappで連絡をとれるように電話番号を交換した。
本当に、有難い。
12歳のノラは最初会ったときは割とツンツンしてたのに、最後に教会に向かう時ぐらいからは、
「私日本語が勉強したい。喋れるようになって日本に行く!(実は日本好きらしい)」と言って様子を見ながら話しかけてくれるようになった。
めっちゃかわいい。
日本に来たら何日でも泊まってってくれ。
***
夕食を共にしたみんなと同じ部屋で寝る準備をした。
荷物を置いて歯磨きに行く時も、洗濯物を取り込みに行く時も、今までのドミトリー泊ではずっと気を張って自分の持ち物に注意を向けていた。
それがこの建物、この空間、このメンバーとでは、全幅の信頼が置けた。
万が一何かを持っていかれたとしても、この皆ならいいとさえ思えた。
仮にこのメンバーで家族としてやっていくことになったとしたら、どんなに楽しいやろう。
そんなことを思った夜になった。
またひとつ、クリスチャンコミュニティーの温かさに触れた。
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Torres del Rio 7:10 出発
Logroño 12:40 到着
5時間30分 20.2km 28,198歩
Albergue Parroquial de Santiago el Real泊
↓この日の動画はこちらから