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子どもが小学生になったら親子で読みたい”学問のすすめ”(1)

初編
(1)

 「運命は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」といいます。

 本当にそうなら、人間は運命から(運で)生まれてくるわけだから、みんながみんな同じはずで、生まれた時にえらい、えらくないという違いはないはずです。それにそういう違いがないなら、人間はみんな仲良く、安心して幸せに生活していけるはずです。

 でもよくあたりを見てみると、頭のいい人もいれば、悪い人もいるし、お金持ちもいれば、貧乏な人もいます。
 それに、親が誰かというだけで生まれてすぐえらくなる人もいるし、小さいころから人にこきつかわれる人もいます。
 生まれた時はみんな同じ人間のはずなのに、なぜこんなにも差ができてしまうのでしょう。

 でも、実はこれはとても簡単なことなのです。
 昔の言葉に、「勉強をしなければ、知識がない。知識がないということはその人はアホだ」という言葉があります。
 だったら、頭のいい人と頭の悪い人との違いはたったひとつ、「勉強をするか、しないか」というだけのことなのです。

 それに、世界には難しい仕事もあるし、簡単な仕事もあります。
 難しい仕事をする人をえらい人、簡単な仕事をする人をえらくない人というふうに言うことがあります。
 頭を使う細かい仕事は難しい仕事、人の体を動かしてする作業のような仕事は簡単な仕事といいます。
 だから、お医者さん、学校の先生、役所の公務員、大企業の社長さんなんかはえらい人といわれます。
 そして、えらくなれば自然とその人はお金持ちになり、普通の人からすごい人と思われます。
 でも、よく考えてみると、それはその人が生まれる前からお金持ちになることが決まっていたわけじゃなくて、その人が学校でちゃんと勉強をしたか、しなかったかという違いしかありません。
 たとえば、「運命はお金をその人が誰から生まれたか、じゃなくて、その人がどんな働きをしたかを見てあたえる」という言葉があります。
 だったら、これは前にもいったけど、人間は誰から生まれるかで決まるわけじゃないのです。
 ただ、ちゃんと勉強をして社会のこととか自然のこととかが分かるように努力する人がえらい人になって、お金持ちになるというだけで、勉強をしなかった人は貧乏になって安い給料でこき使われる生活をずっとしなきゃいけないということなのです。



(2)

 勉強と言っても、ただ難しい漢字を覚えて、難しい文章を読めて、芸術を楽しんで、詩をつくったりするような文学を勉強すればいいというわけではありません。

 小説は確かに面白くて楽しいものだけど、あんまり夢中になってはダメです。

 だって昔から漢字のえらいの先生だって家をキレイに片付けられる人は少ないし、文章がいくら上手な人でも社長として大成功したという話をほとんどききません。
 だからなかには子供が文章や漢字の勉強したいと言うと、お金がたくさんかかるんじゃないかと心配する親もいます。
 その気持もわかります。
 それはつまり、長い文章や難しい漢字の勉強というのはわたしたちの普通の生活にはほとんど役に立たないものだということです。だから、こういう役に立たない勉強は後回しにして、一番生活の役に立つ勉強をやりましょう。

 たとえば、「あいうえお」やきれいな手紙の書き方、ノートの書き方、計算の練習、いろいろな道具の使い方です。ほかにも勉強した方がいいことはたくさんあります。

 自分の住んでいる場所について勉強するのは大切です。
 理科や自然のこと、生き物のことを勉強することもできます。
 昔のことを勉強するのも生活の役に立ちます。立派な人になるための道徳の勉強も忘れないでください。

 こういう勉強をするために、いろいろな本を読んで、自分で勉強したことを書いてみて、ときには英語で遊んで、ひとつひとつの勉強をちゃんとやって、毎日しっかりと立派な大人になるための努力をすべきです。

 算数とか理科とか社会とか英語とか、わたしたちの生活の役に立つ勉強は、みんながみんな必ず勉強したほうがいいものです。
 こういう勉強をちゃんとやれば大人になってから、しっかりひとりで生活することができるし、立派な大人になれます。



(3)

 勉強をする時には、いつも「限界」というもののことを覚えておいてください。

 ふつう、人間はなにかに縛られたり、あれもこれも禁止されるのは嫌がります。
 それは、わたしたち人間がふつうは「自由が大好き」だからです。
 でも、なんでも自由にやっていいというわけではありません。
 わがままはダメなのです。

 ということは、その「限界」は他の人の気持ちを思いやって、他の人に迷惑をかけないようにしながら「自分の自由にする」ということです。
 自由にすることと、好き勝手にわがままをすることとの違いは、他の人に迷惑をかけるか・かけないかということなのです。

 たとえば、自分のお金を使って自分が遊びたいだけ遊ぶというのは、自由でしょうか?
 それは違います。
 ひとりが悪いことをすると、それを見ていたほかの人も悪いことをやりたくなります。
 そうすると最後にはみんな悪いことをやりたくなるかもしれません。
 だから、たしかに自分のお金は自分だけのものなんだけれど、こういうことをするのは間違いです。
 やってはいけません。
 自分のお金で自分の好きなだけ遊ぶことが、ほんとうの自由とは絶対にいえないからです。

 ほかにも、自分がひとりで生活できるように立派に成長する(勉強する)かどうかというのは、自分ひとりだけのことじゃなくて、自分の家族や町、国にも関係があります。わたしたちの住む日本という国はアジアというところの端っこにある小さな国で、昔は外国とおつきあいをしていませんでしたが、今ではいろいろな国となかよくするようになりました。
 それでも、「もうほかの国となかよくするのはやめよう」「外国はいやだ」という人もいます。
 そういうことを言う人たちは、まったく周りを見ていないし、間違っています。

 日本だって、同じ地球の、同じ世界にあるのだから、同じ太陽を見て、同じ月を見て、同じ海で泳いで、空気もみんなで一緒に吸っています。
 外国人だって心も同じ人間なのですから、みんなでなかよくお互いに足りないものを分け合って、お互いにわからないことをいっしょに勉強して、誰かに自慢したり、誰かを嫌いになったりせずに、みんなで幸せになればいいと思います。

 こうやって日本も外国もみんなでなかよくして、どこの国でも困っていたら助けてあげて、もし日本やわたしたち自身がどうにもならずに困っていたら迷わずに「助けてください」と言う勇気を持つことが大切です。

 これがわたしたちが立派な大人になるということ、日本を立派な国にするということです。
 昔の中国人みたいに、自分の国以外は「どうなっても知らない」という態度や「外国人は嫌い」だから外国とはなかよくしないという態度は、国の「限界」を守らない、自由すぎる、わがままし放題の態度なので絶対に間違っています。



(4)

 私たちが生活しているこの日本は、昔の『明治維新』で大きく変わって、今ではたくさんの外国とルールを守って仲良くし、国の中でもみんなひとりひとりが自由に生活できるようになりました。
 これは素晴らしいことです。
 お殿様とか、お侍さんとか、庶民とか、そういうえらい・えらくないの差はこの『明治維新』でなくなったからです。

 なら、日本のみんなは誰でも生まれた時からえらいとかえらくないとかいうことはなくて、ただその人の才能と性格と、その人が何をしているのかということで「えらさ」が決まるのです。

 例えば、市役所の公務員さんに冷たくしないのは当然のことだけど、それはこの公務員さんがえらいからじゃなくて、この人が才能とか努力とかで頑張って市役所の仕事をやって、私たちのためにルールを守ってくれているから、冷たくしないのです。
 だから、人間がすごいというよりは、国のルールがすごいのです。

 ずっと昔の幕府の時代、東北でお殿様のためだけに「お茶」を運ぶ行列がものすごく大事にされていました。
 ほかにもお殿様の「タカ」は人間よりもずっとえらくて、お殿様の「馬」が通る道では歩いている人たちはみんな道を譲らなければいけませんでした。

 そんなふうに、それがなんであっても、ただ「お殿様」という文字がつくだけですごく怖くて、ものすごくえらいものだとずっと昔から思われてきました。
 これは悪いことです。
 こういうことは全部、ルールがえらかったというわけじゃないし、その「タカ」とか「馬」とかがえらかったというわけでもない。
 ただたんに「幕府はすごいんだぞ!」というふうにみんなを怖がらせて、みんなの自由をなくしてしまう悪いやりかたでした。

 今では、日本のどこでもこういう怖くて悪いやりかたはありませんよね?
 だったら、誰でも安心して、もしなにか嫌なこととかつらいこととかがあったら、ずっと黙って隠しておくんじゃなく、はっきりと勇気を出して話し合うべきです。
 それが立派な大人になるための方法でもあります。

 ここまで書いてきたように、人間も国も、自由でいることが一番です。
 だからもし、誰かが自由をなくそうとしたり、無理やりなにかをやらせようとしてきたら、その時はその人が誰であっても怖がらずに、はっきりと「嫌だ」と声に出して言いましょう。
 怖がってはいけません。

 それに今では、誰でもみんな一緒です。
 お殿様もお侍さんもいません。
 だから安心して、自分の正しいと思うことをやってください。
 それでも、人間は誰にでもそれぞれの役割というものがあって、その役割をやりきるための才能や能力を努力して手に入れないといけません。
 そして、才能や能力を手に入れようと思えば勉強するしかありません。
 勉強するためには文字(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット)が読めないとダメです。

 だから今のうちに急いで勉強しないといけません。

 最近の様子を見てると、農家の人や商売をしてる人、工場でものを作っている人はどんどん増えています。
 今ではそういう人たちでもたくさん勉強して賢い人なら公務員になれます。
 だからこそ、自分のことを今のうちにしっかり考えて、悪いことをしないようにしましょう。

 私がこの世界で一番嫌いで、一番かわいそうだと思う人は「勉強をしない人」です。
 勉強をしないということは、恥ずかしいことだし、自分が勉強をしないのがいけないのに、貧乏になると今度は他の人のお金が羨ましくなって、さらに貧乏な人たちで集まって暴れまわったりすることがあるからです。
 これは間違っています。悪いのは勉強をしなかった自分なのです。
 みんなが守っているルールを守らないで、ほかの人に迷惑をかけるなんて、とても悪い人です。

 ほかにも、お金持ちになった人でも、お金をためることばかりして、子供にお金を使ってあげない、子供に勉強させない人の子供がバカになってしまうのはあたりまえのことだと思います。
 その子供が遊び回って、お父さんお母さんがせっかくためたお金を使い切ってしまうこともあります。
 国も、こういうバカなひとたちとは話し合いをすることもできないから、これは悪いやりかただけど、ただ怖がらせるしかないわけです。
 ヨーロッパには「バカな人たちと怖い国はいつも一緒にいる」という言葉があります。
 これは国が悪いんじゃなくて、バカな人たちが悪いのです。
 でも、みんながちゃんと勉強して賢ければ、その国も怖い国じゃなくて良い国になると思います。

 その国が良い国になるか、怖い国・悪い国になるかというのは、そこに住んでいる人たちが勉強をするかしないかで決まるのですから、日本もそこに住んでいる私たちが、良い国にするか悪い国にするかを決めることになるのです。
 だから、もしみんながみんな勉強をしないでバカな大人になってしまったら、日本も悪い国になるし、みんながちゃんと勉強をして立派な大人になれば、自然に日本ももっと良い国になります。
 国がどうなるかは、そこに住んでいるみんなが勉強をしたかどうかで決まるのです。

 自分の国が悪い国になってほしいと思っている人がいると思いますか?
 自分の国が弱くてビンボーになって欲しいと思う人がいるでしょうか?
 外国からバカにされる国にしたいですか?
 当然ひとりもそんな人はいませんね。

 昔と違って今の時代に生まれて、国をもっと良くしたいと思った人は、昔ほど苦しい思いをすることはないでしょう。
 ただ、国を良くするために大切なことは、まず最初に自分が悪いことをしないようにすること、そしてしっかりたくさん勉強して、ちゃんと努力して、お互いに親切にして助け合って、みんなで一緒に「日本を良くしよう」と思うことです。

 これが私がみんなに「勉強」をおすすめしている理由です。



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