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[小説 23時14分大宮発桜木町行(5)]パンチボレーを決める瞬間(とき)

 地下道で手を振る僕の心は、少しだけれど曇りが取れていた。
 改札の奥へ駆けていく、蛍光色と黒のラケットバッグが揺れる亮輔の背中が大人っぽく見えた。

 階段を抜けた先の歩道。駅へは向かわず茶色のガードレールにもたれ掛かって、急ぎ足の人たちに目を遣ってみた。

 今、僕の目の前を通り過ぎる人はどんな人なんだろう?
 亮輔が言ったことの意味を理解したい…

 双子が並ぶ赤いベビーカー。

 エコバッグ一杯の食料品。

 立ち止まって僕を見返すフワフワシルバーのトイプードル。

 緑のマークのカップかコンビニカフェか。

 カラフルなランドセルに地味色スーツ。

 それと、同じ制服の楽し気な生徒たち…

 

 「そんなに気にしてないよ、誰も。勝手にオドオドして自爆するの、損じゃない?」

 いくら凝視したって、見た目で分かる情報しか分からない。スマホで誰かに喋っている声を聞いたって、表面的な言葉と感情しか、どうやったって僕には分からない。

 はぁ…疲れた。亮輔の言う通りだ。こんなこと好きでやる人が信じられない。僕に対してこんなことやる人、いる訳がない。

 陽の射すほうは気付けば真っ赤。すぐ傍のビルの陰には、うなだれる僕。

 

 いつもなら躊躇なく裏をかいて決めるラリーで、澤田先輩に振り回された。圧倒的にキャリアの浅い先輩に。フットワークがばらついて軸が決まらず、いつになく脂汗をかきバテる僕を見て、いつもと違うと亮輔は思ったのだろう。

 できる限り早い地下鉄に乗るためにいそいそと帰ったはずの亮輔は、グズグズ着替える僕が部室を出るのを待ち伏せていた。

 

 私学の中高一貫校に通い始めて、もうすぐ半年。小学生の頃と全く違う環境にも、ようやく慣れた…そう自分自身に思い込ませていたけれど…

 小学校を卒業するまで生まれ育った街で過ごした。八景島まで連れて行ってくれるAGTが走る街。海辺には工場群、山側には住宅街。街並みも友達も、そこにあるもの全ては当たり前にあるものだと思い込んでいた。

 同じクラスの子の誰ひとり、同じ塾の子の誰ひとりも、同級生にならなかった。受験して入る中学校だからこそあり得ることだと分かっていたのに、いざその通りになると気持ちが現実についていけない。

 学校の雰囲気はとてもいい。都心の中心にある、住宅街とは種類の違うパリッと引き締まった治安の良い街。そんな場所を拠点に活動する人たちはとてもスマートな立ち居振る舞いで、この学校や近くの学校にに通う学生もまたそう見えた…
 …そこに放り込まれた僕は心穏やかじゃない。校舎を囲む煉瓦の塀は僕の心にまで立ちはだかってくる。

 自分はなんでここにいるんだろう?同級生たちが今でもなお、触れ合ったことのないものに感じる。口にする話題さえ違うようで…場違いなパーティーに紛れ込んだ貧相な部外者みたい。時に泣きたくなる。

 僕が周りに感じるよりも、もっとみんなは僕に違和感を感じているはず。クラスメイトとして付き合ってくれているのは表面的だけで、本当は何を考えているのか…僕は誰にも言えず、一方的に卑屈になっていった。

 今日はそんな感情を、いよいよ隠せなくなったのかも知れない。ストレスで爆発寸前の僕に気づいたのが、亮輔だった。

 

 「分かるけどさ。そう考えるの、僕はもう止めたよ」

 彼は僕に向けた顔を狭い通りの上空へ逸らし、心底吹っ切ったように言った。

 亮輔は岡山で生まれた。その後大阪、名古屋、仙台と、父親の転勤に合わせて環境がコロコロと変わる十二年だった。

 

 「だってさ、雄大にこんなこと聞いたの、他にいた?それが一番の証拠っ」

 ねっ、と人差し指を立てた亮輔の笑みが、僕の頑なな心を少しだけ動かし始めた。

 「興味がないわけじゃないけど、土足で踏み込んでいくほど暇じゃないよ、ここにいる人たちは」

 そうなの?と聞き返す。

 「何か目指すものがあるから、ここの誰もがここにいるんだよ」

 その目標のためにならない行動は無意味だし無駄でしかないと、そんなありもしないことを気にすることも無駄だとも言った。

 そうだよな。僕だって…

 鉄道好きだけど、ロボット研究をしたい。人間を物理的に助けるだけでなく、人間と気持ちを通わせるロボット。

 お母さんは検事か弁護士になってと言う。まったく、息子の実力を盛り過ぎている。

 お父さんが言った「選択肢は多いほうがいい」との言葉は、そんな二人の行き違いを上手に取り持っていて理に適っていた。

 僕はその提案に素直に応じてこの学校をダメもとで受験し、想定外に合格して、今こうやって下校している。

 夢が叶うのか、違う道に心変わりするのかはまだ分からない。だけど、お父さんの言う通り、選択肢が多くなるフィールドに、こうやって地元の誰よりも早く立っている。

 

 同学年なのにここまで悟っている亮輔のことを、もっと知りたくなってきた。これまで敢えて触れないようにしていた、転校前のことを訊いてみたくなった。

 「意味なく何か言ってくるヤツ?いたよ。でもそいつら大体ヒマそうだったし、逆にいろいろ可哀想だったなぁ」

 亮輔も転校先で嫌な目にあったみたい。そんな経験があるからこそ、ようやく落ち着ける場所にたどり着いたと、晴れやかに言えるんだ。

 「でも、分かる。周り気になるよな」

 「うん。しんどい」

 「しんどいよー。でもさ、ここに入ったってことは、もう転校しなくていいってことだから、すっげー楽になった」

 そうか。彼の両親も、転校することが前提で中高一貫校には息子を入れないよな。亮輔は本当に気楽になったんだと分かる程に表情を緩めた。

 自販機前のベンチでダベる僕らの前を先輩たちが通った。二人で素早く立ち上がり一礼し彼らが通り過ぎると、亮輔は屈んだままで僕のほうをニヤっとして見上げた。

 「折角この学校に入ったんだから、この学校の空気を纏うのも、面白いと思うんだ」

 「なり切ってみるってこと?」

 「そう。僕も雄大と似たようなもん。僕ができるなら、できるって」

 亮輔も千葉の住宅地から通っている。贅沢三昧できる家庭事情でもないのも同じ。僕らをここに通わせるために、親が結構無理しているのも知っている。そこまでしなくてもいいのにって思いも、今まで正直あった。

 僕は考え過ぎていた。そして、似たことを違う視点で考えていた同級生がここにいた。

 なってみようかな。この学校に相応しいと思える人間に…

 大学正門を通り過ぎて、数車線もある渋滞気味のT字路を渡るとそこは、大人びた先輩達で賑わう二世代前の雰囲気が漂う仲通り。

 亮輔は立ち飲み屋の前で立ち止まり、ねぇ、と僕を振り向かせた。
 えっ?と無頓着な僕の首元にビチッと締まるネクタイを引っ張り緩めて、またもや策士の眼差しを僕に向けた。

 「肩肘張らずにいこうぜ」

 

 もうすぐ帰宅ラッシュ。階段を駆け上がりたくなった。
 駅前に広がるグラデーションの夕空が昨日より明るく見える。改札を通ると逆方向に押し寄せる人の波を滑るようにシュシュッとすり抜ける。
 黒赤の大きなラケットバッグを肩から下ろし、既に混み始めた電車に乗り込んで、乗車口の人溜まりを避け通路の空間に辿り着いた。

 「ははっ、楽しみだー。これから雄大と少なくとも5年半、こうやって一緒にいられるもんなぁ」

 サンキュ。僕も楽しみになってきたよ、亮輔。彼とは長い付き合いになりそうだ。

 ふぅ…揺れる車内でついた一息と一緒に、僕の心のざわつきはすっかり消えた。

 

 「な、ダブルス組まない?あの瞬時の判断すげえよ。雄大が前衛だと安心できる」

 「うん、いいよ。亮輔のグリグリなストロークと組めば、一年生のうちに1回戦突破できるかもな」

 「なに言ってんの?準決いけるって!」

 ちょっとビッグマウスなのも僕より大人ってことなのかな。乗車口を抜ける瞬間、亮輔の言葉を思い出す。

 そうだな。おまえの強烈なヘビースピンと僕の会心のボレーで、ジャイアントキリング決めてやろうぜ。もちろん折角もらったチャンスも、違う道だけど一緒に掴みにいこう。

 クスっと笑って磯子行き各駅停車を降り、12番線に向かって階段をダッシュで駆け上がった。


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