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[小説 祭りのあと(12)]十二月のこと~ユウジの鳴らすAマイナー(後編)~

 「何、かおるちゃん。ようやくバイトに入れるんか?」
 年末試験がようやく終わり、かおるはマスターにアルバイトのシフトの相談をしたのだった。正月三が日だけ実家の北九州に帰り、あとはアルバイトに入れると言うのだった。
 「じゃあ、年末までびっちり入れさせてもらうで。忙しくなるけぇのぅ」
 年末もまた、商店街が忙しくなる貴重な季節だ。
 クリスマスや歳末バーゲンなどのイベントが押し寄せる。
 それらのイベントに路上パフォーマンスを絡めて、更に盛り上げるのがここ最近の当商店街の恒例になっているのだ。
 もちろんその場に、こちらも試験を無事に終えたユウジも参加するのだった。
 ラジカセを大崎さんから借りて以来、彼は暫く商店街には現れなかった。
 それは試験期間だったという理由だけでないことが、この日に分かった。

 午後六時十五分過ぎ。浅田精肉店の右隣にある旧漬物店のシャッター前に、いつも通りにベージュのダッフルコートを着たユウジは腰を下した。
 僕の貸したラジカセを地面に置き、ギターをケースから出した。
 この日はこの地域には珍しく時折雪が舞い落ち、特に寒さが身に染みた。
 毛糸の手袋を取り、急速に冷え始めた両手をしっかりと擦り合わせ、彼はギターを構えた。
 焦げ茶色のアコースティックギターから、いつもの速弾きが始まった。
 しかしいつもとどうも様子が違う。
 歌っていない。あのラジカセから『傷だらけの人生』を流しながら、彼はギターのみを掻き鳴らしたのだった。

 大崎さんの言っていた「ただのコピーじゃない」というのは、これだったのだ。
 ユウジは昭和の名曲をハードロック調にアレンジしたのだ。
 楽譜がなくても耳で音が聴き取れる彼は、基本のメロディさえ分かればコピーはおろか編曲などお手のものなのだ。
 何だ何だと、あらゆる人が徐々に集まり始めた。
 いつもの客層である若者のみならず、昭和ど真ん中世代の年配の人々も通りすがりに思わず足を止めた。
 当然精肉店からは、営業中にも関わらず幸も彼を見にやってきた。
 「そうかぁ。こういう手があったんだ」
 一番を無事演奏し終わり、二番に入った。
 するとユウジは歌い始めた。
 遂にこの日、彼は人に聴かせることのできる歌声を披露できたのだった。
 呟くような声なので少々聞きづらくはあったが、大崎さんの言う通り声域に無理させることなく彼はスムーズに歌い続けた。
 昭和歌謡路線の哀愁漂う歌い回しと、激しく唸るギターサウンドのミスマッチ寸前の絶妙な調和は、聴く者を思わず唸らせる魅力を存分に放っていた。
 「ありがとうございます」
 恥ずかしそうにユウジは頭を軽く下げた。
 これまでにない大勢の人々からの拍手が彼を取り囲んだ。
 確かな手応えを彼もようやく掴んだのだ。

 間もなく午後十時になろうとしていた。
 鶴田浩二スペシャルとなったユウジのパフォーマンスも終わりに近付いてきた頃、大崎さんが彼の目の前に現れた。
 「大崎さん、CDありがとうございました。とても面白い経験をさせてもらいました」
 弦から手を下したユウジは、心からのお礼の言葉を口にした。
 「そうじゃろ。自分自身の価値を高める方法っちゅうのは、好きなこととは違うことがしばしばあるんよ。色々とチャレンジしてみること。そこじゃね」
 経験者の彼らしいアドバイスだ。
 得意なものに絞るのも大事だが、色んなジャンルの音楽を聴いてチャンスを拾い集めることも大切なのだと、身をもってユウジは知ることができたのだ。

 「やあ初めまして。聴かせてもらったよ」
 白いダウンジャケットを羽織った見知らぬ男性が、大崎さんの背後から現れた。
 ユウジはその人に気付いていた。
 ギターをセッティングし始めた頃から、商店街をうろうろと歩き回っていたのだ。
 そしてギターを掻き鳴らし始めると、彼は歩道を挟んで斜向かいに立ちながら正確にリズムを靴底で刻み続けていたことも、ユウジは気付いていた。
 「おぉ刈谷。今日来とったんじゃなぁ」
 「ええ。たまにはここに来てみんと、案外掘り出し物があるかも知れんのでね」
 「どなたですか、こちらは……」
 その男性は、胸元から名刺を取り出してユウジに手渡した。
 広島のライブハウスのオーナーである刈谷さんという人物だった。
 「歌はとても上手いとは言えないが、パフォーマンスとしては相当な完成度だ。圧倒的なギターテクニックと個性がある。今度ウチの箱でアマチュアだけのライブがあるんだけど、ステージに立ってみないか?」
 まさかのチャンスがユウジの目の前に転がってきた。
 突然の展開に、ユウジは喜びと同時に戸惑いの表情を浮かべた。
 その不安を打ち消すように、大崎さんは彼の背中を押した。
 「大丈夫。彼は私の後輩だ。プロになる直前まで行った人物で、信用できる奴よ」
 大崎さんは、そのライブハウスからメジャーデビュー、インディーズデビューしたミュージシャンの名前を次々と挙げた。まさかという人物の名前まで、そこにはあった。
 「僕、曲も詩も書けるんですが、オリジナルも歌えるんですか?」
 ユウジはギターケースからノートを急いで取り出して、刈谷さんに手渡した。彼は詩も書き溜めていたのだった。
 「……うん。詩もかなりの出来だ。なかなかいい。でもまずはさっきみたいなカバー曲でステージに立ったほうがいい。オリジナルはその出来次第で今後披露するかどうか決めよう。君の音域に合うものを、きちんと考えないとな」
 「はい。是非とも立たせてください!」
 即答だった。リハーサルの日時を伝えた後に去っていく刈谷さんに深く一礼して、ユウジはすぐに大崎さんに曲の相談をした。
 「それじゃあ、今から家に寄ってみーか」
 ユウジは大崎さんに、昭和歌謡のCDやレコードを聴かせてもらうことになった。
 ギターケースを肩に掛けた青年と祖父くらいに歳の離れた老主人。
 この珍妙な組み合わせが、身体の芯まで凍える年も押し迫ったこの季節に、予測不能な化学変化をもたらして、新たな流れを生み出そうとしていた。


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