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ライブハウス考

 ライブハウスに通うようになったのは高校生の時だ。薄暗くてタバコ臭くてちょっと怖いお兄さん達がいる地元のハコ。今でこそ小奇麗だが、僕が通い出した時は本当に「…本当に、ここ、やってる……?」ってくらい怪しげな雰囲気を感じていた。それでも、バンドが集まってライブをして、友達ができ、先輩に仲良くしてもらい、気づけば自分の居場所の一つになっていた。

 学校という閉鎖的空間に辟易していた自分にとって、ライブハウスという言わば外界での居場所を作れたことはとても幸せな事だった。「学校の世界が全てではない」という単純な事実は、学校生活で悩めば悩むほど気づかなかったりする。そんなときに飛びこんだライブハウス、もといバンド。じっくりじっくりと俺の軸の一つになっていき今の自分がある。

 生憎、私の高校は(当時は)バンドというものに対して余りイメージを持っていなかったようで、私自身の親もあまりいい目で見てはくれなかった。初めてバンド組んでライブをすると言った時、母親に泣かれたのは今でもなかなかにトラウマである。高校の学園祭では「吹奏楽部は体育館で演奏してもいいけど、君達バンド有志による演奏はダメ」という訳の分からない指示を食らったこともある。それでも「なんでや!」とギャーギャー喚きながらも皆で出来ることを出来る範囲で一つ一つ作り上げていく感触はとても楽しかった。高校2生生の冬、定期的にライブハウスで行っていたライブに100人を超すお客さんが見に来てくれた喜びは今でも覚えている。(あ、目当ては全然俺じゃないけど)(コピーバンドが主だったけど)

 要は、どんな環境であっても何言われても「これが俺らのやり方じゃい!」で通用していたのだ。しかし時代はそんなに甘くない。コロナの猛威は文化を根こそぎ奪おうとしている。圧倒的「悪」と決めつけられ「不要不急」のハンコをおされてしまったもののひとつにライブハウスは挙げられるだろう。もちろん、その物理的に閉鎖された空間だったり密な環境は感染を助長させる面もあるかもしれない。しかし、多くのライブハウスは各々対策を取り安全なライブを行えるよう努力をしている。それは多くの犠牲を伴うにもかかわらず。それでもライブをしたいという演者と、それを見たいという観客の思いをつなぐために。「不要不急」なんていったい誰が決めてやがるんだと、俺らにとって音楽は必要不可欠以外なにものでもない。

 自分語りが少し長くなってしまったが、高校生当時の私はただ目の前の楽しいことを全力で楽しんでいた。今自分が高校生だったら上記の記事みたくここまで考えられたかな、、、と思う。少なくともライブハウスにこんな未来が来るなんて微塵も考えていなかった。社会に疑問を呈し発信するその行動にまずは敬意を表しつつ、こんなに真剣に考えてくれる若者がいる限りライブハウスに未来はあると信じたい。

 「ライブハウスに!恩返しを!」などというバンドマンがたまにいるが、私は微塵もそんなことを思わない。むしろまだまだお世話になりたい。ライブハウスにとっての恩返しは、ライブで小手先の言葉を並べるのではなく「○○のライブハウスで育てられました」と胸張って言える様な一端のバンドマンになることだと思っている。だから、これから頼むぜライブハウス。



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