パンツの話。
パンツの話。
大学進学と共に実家を出て、一人暮らしを始めました。
私が真っ先に買いに走ったのは、「パンツ」でした。
身体への違和感を緩和させる為に、私は出来るだけ自分の心と身体が「安心」できる物を身に付けるようにしています。
それは服や靴、整髪料からリップクリームまで多岐にわたりますが、その中でも一番苦痛を感じ、反面一番幸福感と安心感を味わえたモノは「パンツ」でした。
今日はその話をします。
下着。
あまり人目にはつかないけれど、一番肌に近い布。
当たり前に身につけるし、当たり前に存在している、布。
その当たり前の布が、小学校高学年・中学・高校と進むにつれ、系統が弟たちと確実にズレていくのが不思議でした。
服なら買い物に一緒についていって、自分の好みを反映させてもらえますが、下着はそうはいきません。
弟の引き出しにはピカチュウを始めとする、キャラクター物のカラフルな下着が次々と新規参入し、反対に私の引き出しは真っ白になっていきます。小さいリボンやレースのおまけ付きで。
はて?
さらには上の下着も、シンプルなランニングから胸を保護するような形態のものへ変わって行きました。
途中まではナンジャコリャ?と思いながら身につけていましたが、次第に私の下着がブラジャーへの進化過程を辿っているのだと気づき、オーマイガッとなりました。
「したぎ」→「したじゃあ」→「シタジャー」→「ぶらジャー」→「ブラジャー」みたいな。
第四形態、完全態となる前に何か手を打たねばと、中に入っているパットを抜いたり、「したじゃあ」的なやつを積極的に身に付けていました。
しかしパンツに関しては、履かないなんていうデンジャラスな選択は出来ませんし、加工のしようがありません。
泣く泣く、出来るだけリボンやフリルの少ない、スポーティーなものを着用していました。
それでも、肌に触れるゴムの感触が苦痛で、制服から透ける下着の形が恥ずかしくてなりませんでした。
そして何より、女性ものの下着を身に付けているという事実が、耐え難かったです。
一人暮らし1日目、すぐに近所の量販店に走り、メンズのランニングシャツと、Sサイズの3枚入りトランクスを購入。
勿論身体は女体ですから、形としてはフィットするはずもなく、着心地も最良のものでは無かったと思います。
けれど、否が応でも女性の身体を認識させられるゴムの締め付けがなくなり、女性のものを身につけていない!という喜び。赤・緑・青、かっこいい模様!!柄が選べる!!という高揚感と幸福感に勝るものではありませんでした。
たかが下着、されど下着。
地肌に一番直に触れる存在なのですから、自分が一番安心を感じらるものを身につけようと思った日でした。
和田華子
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