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生理との向き合い方①

生理との向き合い方


私にとって生理とは「自分の身体が女体である事を再確認させられる強制イベント」である。残念ながら今でもそうだ。生理からくる頭痛や腹痛などの身体的苦痛と、肉体を強く認識せざるを得ない精神的苦痛のダブルパンチが、月に一度の頻度で訪れるのだから堪らない。

初めて生理になった日、母に「コレはいつ終わるのか。」と尋ねたら、母は「60歳くらいかな」と答えた。
子供にとって「50年」は永遠とほぼ同義語で、一生こんな事が続くのかと思うと暗澹たる気持ちになった。自分でコントロール出来ない股からの出血と腹痛を、今の医学ではどうすることも出来ないのか。風邪を治す薬はあるのに、盲腸は取り除けるのに、これをどうにかする方法を考えていないなんて、大人や医者はバカと違うか。最優先事項やろ!と大真面目に立腹していた。

しかしいつまでも立腹していてもしょうがないので、(と言っても30代に手が届きそうになってやっと)「生理」にまつわる苦痛を無視せず、自分の出来る範囲で向き合うことにした。(人間、遅いなんてことはないよね!)
一言に「生理の苦痛」と言っても、それは様々な要因が絡まっている。生物学的性と性自認が一致していない事が起因っぽいものもあるし、女体を有している人なら誰でも体験し得る類のものも。
それらを解きほぐして考え、コツコツ生きやすい状態を見つけていく過程の話を数回に分けて書きます。

「生理」の話。

① 知識を持つ事の壁
私は生理についての基礎知識を有した時期がとても遅い。
小学校高学年のある日、学年中の女生徒だけが体育館に残された。女子だけに必要な保健体育の知識を教える時間という事だったので、既に自分は女子ではないという確信を持っていた私は「ああ、ならば僕が聞いてしまっては女子に悪いな」と女子を気遣い、保健室の先生のすべての話を完璧に聞き流した。なんて僕はジェントルマンなんだろうと思いながら。最後に前から順に配られてきた、ピンクのハート柄のポケットティッシュのようなモノも、席が近い女子にあげた。
そしてある日、股から出血して大パニックを起こした。

その後、母や伯母や祖母が生理について根気強く話してくれたが、頑なに聞く事を拒否した。
何故か。
それは「生理の話」が「女子だけが知る知識」だったからだ。そのことが、私が生理の知識を有する事を徹底的に拒ませていた。
私は女子ではなく男子なのだから、生理の話は絶対に知る必要はないと固く信じていたし、知識を有する事はすなわち、自分が女子である事を認める事のように感じられてそれも怖かった。
コレは私が知る必要のないものだ。お腹が痛いのも頭が痛いのも急に眠くなるのも胸が張るのも、原因は生理だとわかってはいつつも、対処法を知る事を避けた。
体育も休まず参加した。だって生理が来るのは女子だけで、生理は女子だけが知る知識だ。知識を有している事が誰かにバレて「ああ、やっぱお前女子じゃん。」と言われてしまうのが怖かった。
実際、生理について話している男性を目にした事がなかったし、男性の前で生理の話をする女性もあまり見た事がなかった。それを目にして改めて、私は生理について知る事を放棄した。


「生理の知識を持つ」事に強い抵抗感を感じていた理由の1つは、この教育に起因していたと思う。
数年前、さあ「生理」と向き合うぞと腕まくりした時も、「生理の知識を持つ事」に対しての拒絶感を払拭するのは相当骨が折れた。本当に大変だった。注射を拒否してギャン泣きする子供レベルの拒絶感があった。それでも知識を持つ決意をした私は超偉い。
 しかし小学生の時、もし体育館に全ての生徒が在籍して「全ての人が知っておくべき知識」として「生理の話」が取り上げられていたら、あそこまで頑なに生理の知識を持つ事自体を拒まなかったと思う。生理が身体にもたらす様々な現象への嫌悪感は拭えずとも、知識を有する事自体は、他の女の子への思いやりを持つために必要な事であると感じられただろう。


 FtMトランスジェンダー にとって、自分の自認に反する身体を許容する事は難しい。知る・認識する事すら厭わしいと思う事がある。
しかし「生理」に関して言えば、男女関係なく、全ての人が有しておくべき人体の健康についての話だ。年齢性別問わず、誰もが有するべきものだ。
そしてトランスの子に言いたいのは、生理の知識を有する事は、自分の性自認、アイデンティティを損なう行為ではないという事。知識があれば、具体的に人を思いやる事に繋がる。勿論自分の身体も含めて。


 現在は自分に苦にならない程度に、何故生理痛は痛いのか、何故気持ちの浮き沈みが起こるのか、身体が浮腫むのか、胸が張るのか、どうすれば軽減出来るのかを、ネットベースで調べ、出来る範囲で実践している。
人にとっては平坦な道でも、私にとって生理と向き合うことは、舗道されていない獣道を歩く事に等しい。多少大げさに思えるかもしれないが、また定期的に書くので、見てもらえたら嬉しい。

華子

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