城取一成

慶應丸の内シティキャンパス ゼネラルマネジャー https://www.keiomcc…

城取一成

慶應丸の内シティキャンパス ゼネラルマネジャー https://www.keiomcc.com/

マガジン

  • 老子で創詩

    老子はつかみどころがない。首根っ子をつかまえて実体を見極めることができない。そのつかみどころのなさが老子の魅力である。だからこそ多くの人々が老子に心惹かれ、読み、語り、考えてきた。 老子は実在したのかさえ定かではない伝説上の人物である。彼が書いたとされる『老子』という書物も諸説があって、わからないことが多い。 ひょっとしたら、老子は本質的な実在ではないのではないか、とさえ思える。長い歴史の中でさまざまな人々が老子を読み、語り、考える中で、相互作用的に形成され、意味が紡ぎ出されてきたのかもしれない。老子は老子そのものではなく、老子に心惹かれた無数の人々が時間と空間を越えて織りなした巨大な手織り絨毯のようなものではないだろうか。 そんな妄想にかられ、老子に心惹かれた人間のはしくれが、巨大な手織り絨毯に一本の糸を織り込もうと試みたのがこの拙文である。 この夏(2022)の間に52本投稿する予定

  • 映画ノート

    慶應MCC agora講座の課題として書いた映画ノートです。

  • この一冊 本の感想レビュー

    MCCマガジン「今月の一冊」に、私が寄稿した文章の中からいくつかを紹介します。

最近の記事

53日間の御礼 あとがきに変えて

おかげ様で連続投稿53日になりました。予定して『老子と創詩』52本が終わり、きょうのあとがきをもって最終回となります。 最終回は、老子について書き残したこと等簡単にまとめています。 『老子と創詩』はマガジンに編集しておりますので、よろしければそちらもご覧ください。 いつも読んでいただいた皆様、短い間でしたが本当にありがとうございました。しばらくnoteへの投稿はお休みしして、しばらくは一読者として楽しませていただきます。 それではまた会いましょう! ------------

    • 断裂が引き起こす悲劇

      「五千人殺せばインパールは落とせる」 作戦参謀はそう豪語したという。 五千人は敵兵の死者ではない。味方の犠牲者である。 兵士を使い捨ての道具としか見ていない司令官と参謀に率いられた日本軍は、インパール作戦で三万人の死者を出した。 その八割がマリアと飢餓によるものであった。 強引に作戦を押し進めた司令官・参謀、無謀な作戦を許可した大本営将官の多くは、その後の戦争でも、自らは死の淵に立つことはなかった。 かろうじて生き残った兵士達は、終生彼等の名前を聞くと肩を震わせ、怒りを

      • 強さの裏側にある弱さ

        力づくの天下取りを仕掛けた信長は 高転びに転んだ。 英才を集めたはずの陸軍参謀本部が 日本を破滅に追い込んだ。 強きものは脆く 賢いものは過ちを認められない 歴史がそれを教えてくれる。 常勝は人の怨みを買う 賞賛はこころの緩みを招く。 スポットライトが 当たっているように思える時にこそ 危機が迫っていることを 肝に銘じなければならない。 人知れず汗をかき 黙って後始末を引き受け 手柄を人に譲る そういう人間になりたいものだ。 師(し):ここでは軍隊の意 荊棘(けいき

        • 達人の領域

          ほんとうに嬉しい時、喜びは言葉にならない 心の底からつらい時、哀しみは言葉にならない 真理は言葉にできない。 人間にも同じようなところがある。 どこがいいと具体的には言えないけれども 周囲から頼りにされ その期待に応える人がいる。 何をしているかよく分からないけれど 知らないうちに やるべきことをやっている人がいる。 上に立って引っ張るようなタイプではない かといって、ただ従うだけの人でもない いなくなってはじめて気づく 不思議な存在感のある人がいる。 彼らの非凡さは

        53日間の御礼 あとがきに変えて

        マガジン

        • 老子で創詩
          61本
        • 映画ノート
          10本
        • この一冊 本の感想レビュー
          13本

        記事

          セルフマネジメントの難しさ

          人間の五感は外に向けて開かれている。 目で見て、手で触れて 相手が何者かを理解することができる。 一方で、自分を知ることはやっかいである。 自分の姿を見ることはできない 自分に触れることはできない 五感を使って 自分を理解することが出来ない。 人間同士の戦いは、半分が勝者である。 勝者が強いとするならば 半分の人間は強者ということになる。 一方で、自分との戦いはやっかいである。 勝ったはずなのに敗者はいない 敗けたと思っても勝者はいない 勝負の結果をもって 強者か否かは

          セルフマネジメントの難しさ

          大いなるものへの憧憬

          夜空に輝く星々をつぶさに見つめても それが動いていることはわからない。 ぽとぽとと落ちる水滴に目をこらしたところで それがほんの少しずつ岩を穿ちていることは気づかない。 人間の観察力は その微差を捉えることはできないのだ。 いつまでも変わらぬように見えるものが 実は絶え間なく動いていることに気づいた時 私は自分の無力さを感じる。 そして同時に、大いなるものの力を見いだす。 微妙玄通(びみょうげんつう):微妙は、あまりに奥深くて見ようとしてもよく見えないことを意味し、

          大いなるものへの憧憬

          広く、遠く、遍く

          陽光は善人にも悪人にも 分け隔てなくふりそそぐ。 雨粒は富める者にも貧する者にも 分け隔てなくふりそそぐ。 一方で 人は目の前のことばかり考えてあくせくする。 誰が偉いか、何が得か、何処が心地よいか・・・ 百年後に誰の名が残るのか 何が尊ばれるのか 何処に人が集まるのか 答えは誰にもわからない。 訳知り顔で未来を語るのを止めて あらゆる可能性に心を開いてみよう。 芻狗(すうく):祭り用の草で編んだ犬人形 百姓(ひゃくせい):あらゆる姓の人、つまりどんな人にとっても、と

          広く、遠く、遍く

          女性の力

          私達は母の胎内から生まれ出たが 胎内にいた記憶を何ひとつ持っていない。 しかしながら 子供が母親を慕う気持ちは けっして尽きることはない 無尽蔵に湧き出てくる。 母が子にそそぐ愛情が けっして枯れることがないように。 谷神(こくしん):谷に宿る神のことで女性器を暗示している。 「谷神」は女性器を暗示していると言われている。老子は、「道」の働きを、女性の生殖力に擬えたのかもしれない。 「玄牝」の理解にあたっては、體道第一の「玄の又玄、衆妙の門」という一節を思い出しても

          女性の力

          混沌の力

          神話が語る原初の世界は混沌であった。 あらゆるものは、混沌から生まれた。 聖書に刻まれた終末の世界も混沌である。 あらゆるものが、再び混沌に戻っていくのかもしれない。 宇宙に輝く星々も 生命の根源である原子も 混沌から生まれ、混沌に戻る 悠久の循環システムに組み込まれている。 人間も同じ 胎内という混沌の中から生まれ やがて朽ち果て 大地という混沌に戻っていく。 大いなる循環システムの ひとつの要素でしかない。 しかし 歯車に生じた小さな亀裂が 大惨事を引き起こすよう

          混沌の力

          テーマ7.人間を考える

          最後のテーマ名をどうするか、正直に言うとかなり悩んだ。 最終的に「人間を考える」と付けたが、人間について考えただけで結論は書いてはいない。これからも人間について考えていきたいという思いを込めて付けたテーマ名である。 老子には、人間観というべきものはない。 彼の思索視野は広大で、宇宙の根本原理に向けられている。人間もその原理に沿って「無為自然」であれというだけである。 むしろ人間が自然の原理に逆らうことで起きる弊害を指摘している部分が多い。人間かくあるべし、といった教訓とい

          テーマ7.人間を考える

          やせ我慢の矜持

          ガリレオ、ゴッホ、宮沢賢治 彼らに共通するのは 生前の不遇と死後の評価であろう。 生涯をかけて打ち込んでいることを 他者に理解してもらえない。 社会から認めてもらえない。 そんな人生の中で 彼らは何を思ったのであろうか。 世の中への恨み 我が身の不運に対する嘆き どうせこんなものさという諦観 いつかかならずという確信・・・。 今となっては本当のところは 誰にもわからない。 たった一つ間違いないのは 彼らは、いま現在の評価を得んがために 信じた道を曲げることはなかった

          やせ我慢の矜持

          赤ん坊の生命力

          アマラとカマラの姉妹は オオカミに育てられたという。 容姿の異なる人間の赤子を オオカミが守り育てたのはなぜか。 二人が全身で放っていた 生きようとする「気の力」のおかげ ではなかったか。 二人は、ひたすら泣き、ひたすら乳房を探し、ひたすら温もりを求めた。 そこには無心で真っ直ぐな精気と和気が 満ち溢れていたに違いない。 アマラとカマラは 慈悲深い神父に救われ、人間社会に戻ったが 長く生きることはできなかったという。 その理由はよくわからないが 人間社会の中で二人の精

          赤ん坊の生命力

          不完全の妙、未完成の美

          スケールが大き過ぎるものは 凡人には理解できない。 それは、視覚に収まらない部分が 欠けているように見えるからかもしれない。 翻って 不完全の妙、未完成の美というものもある。 ミロのヴィーナス サグラダファミリア 漱石の『明暗』 欠けている部分にいったい何があったのか。 欠けているものを補えば いったいどうなるのか。 欠けているものの存在が 人間の創造力を駆動させる。 いや、ひょっとしたら 大き過ぎて欠けているように見えるのではなく 欠けているかのように思わせるために大

          不完全の妙、未完成の美

          戦う勇気、戦わない勇気

          戦争は勇気を問われる。 ペンや鍬を銃に持ち替え、人間に向けて引き金を引くことを強いられた時 人は恐怖に立ちすくんだに違いない。 国家は その恐怖を乗り越える勇気を持てと教えた。 戦争とは 「戦う勇気」を強制するシステムである。 戦争で、ごく少数ながら 「戦わない勇気」を選んだ人々がいた。 彼等は、非国民と蔑まれ、獄舎につながれた。 命を落とす人もたくさんいた。 家族は中傷や差別を余儀なくされた。 「戦わぬ勇気」は、本人と家族を苦しめた。 戦う勇気が悪で 戦わない勇気が

          戦う勇気、戦わない勇気

          真理は内側に眠っている

          千利休は たった二畳の茶室に宇宙深奥の景色を見いだした。 秀吉は 黄金の茶室を作り、あらん限りの名器を手に入れても満足できなかった。 捨てて、省いて、削いで、梳いた者と 欲して、加えて、足して、殖やした者との 違いがここにある。 真理は外にあるのではなく、内側に眠っている。 牖牖(よう):窓 情報を得るために視野を広く持たなければならない、積極的に現地に足を運ばねばならない、というのが一般論だが、老子に言わせれば、それは所詮「目に見える」情報に踊らされているだけであ

          真理は内側に眠っている

          天の道理と人の道理

          「たまたま運に恵まれただけです」 と人はよく言う。 人生の運の量は決まっており いつか自分にも逆風が吹くことを知っているからだろう。 天の道理には、必ずバランスが働く。 よいことの後には悪いことがある。 「やればやっただけ評価されるべきである」 とよく言われる。 成果に見合う報酬があるのは当然で、努力は報われなければならないと思っているからだろう。 人の道理では、成功は努力の結果であるとする。 天の道理を忘れ、人の道理だけで突っ走ると 社会は転覆する。 人の道理が天

          天の道理と人の道理