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戦う勇気、戦わない勇気

戦争は勇気を問われる。
ペンや鍬を銃に持ち替え、人間に向けて引き金を引くことを強いられた時
人は恐怖に立ちすくんだに違いない。

国家は
その恐怖を乗り越える勇気を持てと教えた。

戦争とは
「戦う勇気」を強制するシステムである。

戦争で、ごく少数ながら
「戦わない勇気」を選んだ人々がいた。

彼等は、非国民と蔑まれ、獄舎につながれた。
命を落とす人もたくさんいた。

家族は中傷や差別を余儀なくされた。

「戦わぬ勇気」は、本人と家族を苦しめた。

戦う勇気が悪で
戦わない勇気が善だとは思えない。

戦うにあたっての恐怖と
戦わないことで味わう苦痛とに貴賤などない。

勇気の優劣を問われるような状況に
人々を追い込んでしまったことが間違いであった。

敢に勇なれば則ち殺、不敢に勇なれば則ち活。此の両者、或は利或は害。
天の悪む所、孰(たれ)か其の故(ゆえ)を知らん。是を以て聖人も猶ほ之を難しとす。天の道は争はずして善く勝ち、言はずして善く應じ、召さずして自ら来り、繟然(せんぜん)として善く謀る。天網恢恢(てんもうかいかい)、疏にして失はず。
『老子』(任爲第七十三)

敢に勇:勇敢 
不敢:ここでは用心深いこと
天網恢恢(てんもうかいかい):天の法網は広大であること

勇猛果敢をもって何事も行えば、自分も相手も殺す危険がある。用心深く危険なことに勇気を振るえば、自分も相手も活かすことができる。
この二つの違いは、一つは利をもたらし、一つは害をもたらす。
天のにくむ所こそ前者であるが、それをよく知っている者は少ない。
したがって「道」を修める人も、この事を難しいことと捉えて軽く扱わない。
「道」を争わないで結局はよく勝ち、強いて言わないでよく応じ、来てくれといわなくても来てもらいたいものが来る。ゆっくりしているようだが、よくよく考えられている。
天の網は荒くて大きいからよく見えない。だから無いようにみえるが、そんな事はない。よい事も悪いこともけっして見逃さない。
『老子道徳経講義』田口佳史

「敢の勇と不敢の勇」の比較論から始まっている章である。
そこで「勇気論」として読んでみたい。

勇気をもって敵に立ち向かえば、生命を落とすリスクがあるが、死して名を残すという美学もけっして間違ってはいないと思う。

一方で、あえて戦わないこともまた勇気であるが、臆病者と誹りを受けるかもしれない。信念をもって非難に立ち向かうのは、実は難しいことである。

勇気というのは、よく考えるといろいろな捉え方があることに気づく。
勇気とは何かという命題とクリティカルに向き合うことを迫られる時が戦争であろう。

「戦う勇気」も「戦わない勇気」も、どちらも善悪ではなく立派なものなのに、そこに優劣をつけてしまうことが戦争の罪であると思う。
 

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