大いなるものへの憧憬
夜空に輝く星々をつぶさに見つめても
それが動いていることはわからない。
ぽとぽとと落ちる水滴に目をこらしたところで
それがほんの少しずつ岩を穿ちていることは気づかない。
人間の観察力は
その微差を捉えることはできないのだ。
いつまでも変わらぬように見えるものが
実は絶え間なく動いていることに気づいた時
私は自分の無力さを感じる。
そして同時に、大いなるものの力を見いだす。
微妙玄通(びみょうげんつう):微妙は、あまりに奥深くて見ようとしてもよく見えないことを意味し、玄通は、あらゆることに通じていることをいう。
輿(よ):ぐずぐずしていること
猶(ゆう):警戒して慎重になること
儼(げん):威厳あるさま
渙(かん):固まったものが砕けて散りぢりになること
敦(とん):純朴、篤実なさま
曠(こう):広大なさま
「士」という言葉は中国古典によく出てくるが、現代の文脈に擬えれば、リーダーと解すのがよいようだ。従って、この章はリーダーの条件を縷々述べていることになる。
大人(たいじん)という言葉があり、徳があり、物事に同じない度量の大きな人物のことを言うが、それとよく似ている。訳には、そんなリーダーの条件が具体的に列挙されている。
私は、もう一歩思考を進めて、理想的リーダーが持つ大きさ、広さ、静かな力強さのようなものに、私達がなぜ惹かれるのかを考えてみたい。
それは、人智を越えた大いなるものへの憧憬と言ってもよいかもしれない。
私達が、リーダー像に抱く願望には、大いなる力への畏敬のようなものがあるのではないだろうか。
残念なことに、そういうリーダーは実際には存在しない。
否、存在していたとしても、リーダーにはなれない。それが現実ではある。だからこそ余計に夢見る。そんなものかもしれない。
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