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今日のラリアー「Australia day」

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく特に働く予定もなし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


今日、1月26日は「Australia dayーオーストラリアの日」ってことで祝日で、祝祭日というもの少ないラリアっ子は、ビーチでパーティをしたり花火を上げて騒ぐってのがこの日の過ごし方。らしい。へ〜、知らなんだ。

んで、その「Australia day」とはそもそもナンジャラホイ?と思って調べたら、

「1788年1月26日、植民を目的としたイギリスの艦隊がシドニー・コーブに到着した」とういうことで・・・。

あり?ウィキにさえこーゆー説明があるのに〈ビーチでパーティをしたり花火を上げて騒ぐ〉の?お祭りなの?という懸念は、沖縄県民であるアタスだけでしょーか?と思っていたら、夕方のニュースでやってた。

〈近年、パーティデイという意識は少なくなり、逆に「侵略の日、悲劇の日」という認識が高まっています〉

という話を聞いて、なるほど・・・と。

〈以前はオーストラリア国旗を掲げて馬鹿騒ぎのお祝いする習慣も、最近はアボリジニや先住民族の旗を掲げてお祝いではなく、人権問題を考える日になりつつある〉

旨のことも言ってる。

生前の親父はよく言っていた。「お前が喜び浮かれている時、その為に必ず何処かで誰かが悔しい思いをして涙を流しているということを忘れるな」

それは友人関係内の時でもあるし、社会や組織に属している時もある。それはよくわかる。

でも、歴史という漠然とした中でその「何処かの誰か」をイメージすることはなかなか難しい。国民の祝日なんだからハッピーでいいじゃん、って単純に思ってしまいがちだけど。

歴史由来の「祝日」だからこそ、そこに疑問を持つことって大事だよね。使い古された言葉だけど「歴史は征服者が作る」ものだから。現在2600万人のオーストラリアの人口のうちアボリジニは100万人。全体の4%弱なんだけど、それでも100万人もいるんだよ。「Australia day」はその100万人にとっては「祝日」じゃないってことだよね。

うん、色々考えるよね。シンパシーさえ覚える。

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