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人生9回目のフルマラソン~3連覇を目指して「第36回大阪42.195kmフルマラソン大会2014」20歳の挑戦

第36回大阪42.195kmフルマラソン大会
2014年3月。
3連覇できるのは自分しか居ない。
20歳を迎えた私はすでに9回目の挑戦。
フルマラソンの経験は豊富でした。

2014年の始まり
箱根駅伝を毎年のように見る。
あそこに出場している多くは同級生。
または同世代が走り、活躍している。
負けられない!という感情よりは、
自分は今、何をしてるんだ??
このままの人生で良いのか??

先人たちはみんな口を揃える。
「何でチャレンジしなかったんだろう」
後悔しながら死ぬ人が多いと聞いた。
このまま大手企業の会社員を続けたら
自分もその一人になる気がした。

もんもんとする日々が始まった。
2013年、19歳の私は、
人に会いまくり、初めて社会を見た。
サラリーマン or 教師 しか道はない。
道はあったとしても自分には無理。
小学生の時の夢はサラリーマンで
そして結婚して子育てをすること。
それ以外の道が想像できなかった。

2014年1月
感謝、感激の出来事が起きた。
ハナミズキ記録会(現:ATT)にて
5000m走15分51秒で走れた。
高校卒業後、初めての15分台。
めっちゃくちゃ嬉しかった。

その日の晩。
宮里康和さんのランニングチーム
Teamパラオのユニフォームを貰った。
それも、めちゃくちゃ嬉しかった。
このユニフォーム着て一生懸命走って
活躍するぞ!

その想いは自分の為にを越えて
活躍することが恩返しになる!
と捉え、宮里さんの為になる!!
と本気で信じ、パワーが出た。

初着用レースは
信太山クロスカントリー

そして2014年2月。
丸亀国際ハーフマラソン
1時間11分29秒 自己新更新
年代別29歳以下の部 優勝

その翌週に
神戸バレンタインラブラン
1時間11分01秒 自己新更新

その2週間後には
東京マラソン 2014
2時間43分と自己新更新。
(トイレ休憩6分もあったのに)

20歳の無謀なチャレンジ。
それは東京マラソンの翌週に
3連覇を賭けた大会をセッティング。
「第36回大阪42.195kmフルマラソン大会」
in長居公園。

4年連続出場する大会は小慣れていた。
スタート地点に立った瞬間でわかった。
今日は優勝できる。
これまでと違う感覚もあった。
「余裕で」っていう甘さ?緩さ?油断?

スタート直後から独走状態。
誰も付いてこない。ほれ見ろ!!
自分は2連覇してる。余裕だってば。
3周しただけで優勝を確信していた。
そんな態度で走ってしまっていた自分は
4周目の途中で突然、集中力が切れる。
集中力が切れると、余力あるはずなのに
一気にペースダウン。
急に不安と焦り、冷や汗が出た。

そこで何を思ったのか。
トイレに駆け込んで考えた。
「今日は何しに来た?」
「自分は何がしたい?」
「今日は何を果たしたい?」
「3連覇する夢は本物か?」
自問自答をした。
何分考えてたかはわからない。
結構、長い時間だったと思う。

そこで出てきた答え。
優勝したい!!諦めるな!!

感情と願いが一致した瞬間。
本心と本音が一致した瞬間。
これを決断した瞬間と呼ぶのだろう。

トイレに籠っていたから
今何番目で、何位かはわからない。
けど最後まで諦めない走りをしよう。
どんなけ苦しくても耐えられた。

それからゴールするまで。
何も覚えていない。記憶喪失。
けど奇跡は起きた。
2時間49分で完走し、3連覇達成!!

2位とは8秒差程。背中に迫られていた。
この時の2位が沖和彦さん。
OKI RUNNING CLUB の主宰者さん。
その後、Wings for Life World Run で
世界チャンピオンになられた人物。

2014年という1年間
会社と実家の往復しか人生が無かった
私にとって、猛烈に刺激的な1年間。
17時半の定時のチャイムが鳴れば、
すぐさま実家とは反対方向である
大阪に出向き、人に会いにいったり
誘われた勉強会に足を運んだり。
見る景色、見える世界が新鮮で、
20年間、何やってたんだろう??
って感じで、もう毎日楽しかった。

それと同時に会社員に疑問を持ち
別の働き方もあるんじゃないか?
人生一度きり。一旦辞めよう!!
これまで会社員+ボランティア活動で
生活をしていた環境を大きく変えて
ボランティア活動を仕事にしよう!!
もっと人と関わりたいし役に立ちたい。

2013年までは会いに行く方々は
ほぼすべてがランニング関係者。
練習仲間、練習環境を求めていた。

2014年から会いに行った方々は
ランニングとは関係していない
ビジネスマンも含めて会いに行った。
日替わり店長のBAR「週刊マガリ」
には週2日以上のペースで通った。

そして、この時期に決まったのが
『東京オリンピック2020』開催!!
当時は20歳。開催は今から6年後!!
もしかしたら自分も日本代表に!??
日本代表選手になる夢を初めて持った。

6年あれば何が起きるかわからない。
6年間も積み重ねたら成長できる。
6年後の自分の姿に期待を寄せた。


to be continue . . .

松井一矢


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