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「日本画革命〜旧・山本憲治コレクション 展」京都 福田美術館

毎年2月の帰郷時には、火廼要慎のお札を更新すべく愛宕さんにお詣りします。「阿多古祀符 火廼要慎」と万葉仮名で端正に記され、真ん中に朱印が捺されたお札はビジュアル的にも好きですし、幼い頃から自宅の台所や料理屋さんでよく見かけて親しみもあり、戒めとしても良い、と言うことで東京の住まいにも貼っております。
往路は京都駅から参道入口の清滝までバスに乗りますが、帰路は清滝から嵐山行きのバスとなる為、必然的に観光地嵐山に訪れます。いつもは下山後に軽く湯豆腐を食べてから洛中の寝床に向かうのですが、今回はもう一つ目的がありました。それがこのnoteの主題である美術展でした。前置きが長くなりました。

福田美術館は、2019年に開設した比較的新しい私設美術館で、私は今回が初めての訪問となります。嵐山は観光客で溢れるので、愛宕さんの帰路以外では敬して遠ざけ、愛宕さんの折も湯豆腐を食べたら速やかに嵐電で離脱するのを常としていました。その為、小さな美術館ながら江戸から近代に至る日本画を1,500点も有するのに未訪のままに。しかし今回は、事前の情報として、大好きな菱田春草さんと東山魁夷さんの作品が企画展で展示されると知り、必須行程に組み込みました。結果、菱田春草さんの二作品、十数点の東山魁夷さんの作品を堪能しただけではなく、期待していなかった(失礼)、加山又造さん、前田青邨さん、横山大観さん、川合玉堂さん、奥田元宋さん、小野竹喬さんなどの作品群に惹き込まれ圧倒されることとなりました。
甘く見ていました。ごめんなさい。好きな作品を少し見てカフェにも寄ってと思っていたのですが、三部屋に分かれる展示室の滞在時間がすっかり長くなり、予定の時間を大幅に過ぎて、カフェに寄れずに去ることとなりました。危うく夕方の別の約束に遅れるところ。

以下にいつもながらの、絵の良し悪しも技巧も分からぬ素人の主観に基づく感想ですが、つらつらと自身の備忘も兼ねて特に惹かれた作品について書いて見ます。尚、一部の作品を除いて撮影が可能となっています。(※iPhoneで撮った写真達は、文章の拙さを補う補助として、雰囲気が伝わり易いよう水平や台形の補正をして加工しています。)

○菱田春草 氏作 「群鷺之図」

お目当ての菱田春草さんの二作品
左 群鷺之図  右 春朝

まずは当初の目的の一方であった菱田春草さんの二作品。
その中でも惹きつけられ、何度も戻って見入っていたのが左の鷺の絵でした。

全体を見てお軸の世界の中に浮かぶ、その横長の画面の斬新さに惹きつけられ、少し寄って楽しげな小さな鷺達の姿に心が緩み、近づいて鷺達が立つ大地の描写に嘆息することとなりました。当たり前なのかもしれませんが、永青文庫蔵の大好きな枯葉と同じ作者とも思えない、全く異なる(と私には思える)画風。怪しげに思われるほど食い入るように見入ってしまいました。この作品に触れて、さらに菱田春草さんが好きになってしまいました。夭折してしまわれたのが惜しまれます。あと10年さらに作品を生み出す時間があれば、さらに全く異なるいくつかの画風の日本の宝となる作品群を生み出されたのではないでしょうか。

大好きな東山魁夷さんの作品。事前の確認が浅く、こんなに作品点数が多いとは想像できていませんでした。嬉しい誤算。
そんな中でも、今回私が特に惹かれたのは次の二作品。

○東山魁夷 氏作 「山峡朝霧」

以前、下記のnoteでも書きましたが、私は東山魁夷さんの作品の中でも、特に唐招提寺障壁画の内の「山雲」が好きです。

その山雲の後に描かれた作品とのこと。山雲とは異なる小さな作品であるにも関わらず、遠くからでも山の霊気が漂っているように感じられ吸い寄せられます。 絵葉書で構わないので、仕事のデスク脇に飾りたくて欲しかったのですが、売店で用意されていなかったのが残念。

東山魁夷 氏作 「夕雲」

東山魁夷 氏作 「夕雲」部分

氏の作品は、翠系の作品が好きなのですが、この繊細であり深みと奥行きがあり、温かみもあるそらと山肌の色調も好きです。
山の中に分け入ると、東山魁夷さんの絵のような世界!と喜ぶことがありますが、そんなバリエーションがまた増える作品でした。

○加山又造 氏作 「冬林」

この作品、なぜかは言葉にするのも難しいけれど、とにかく好き。なかなか絵の前から離れることができません。おい、ちゃんと説明しろと言う非難に対しては、ではそれができるような語彙と表現力を私に下さい!と返したい(笑)。雪の中にある冬枯れの紫陽花のドライフラワーや雨露の滴る冬の楓の枝、冬の湿原にある凍った枯葉などに、最近妙に惹きつけられる私ですが、それと近い心の奥の何かが共鳴するような作品でした。
現地で実際に作品を見て頂き、絵の空間を感じてみて頂きたい。

○加山又造 氏作 「凍林」
一番上の今回の特別展のポスターの下の作品が加山又造氏の「雪の朝」と言う作品。そちらはそちらで好きなのですが、より吸い寄せられたのは、その左隣にあった「凍林」と言う作品でした。

左 「凍林」  右 「冬の朝」
加山 又造 氏作 「凍林」部分

くどいですが、ここに書いているのは美術の知識が全くない素人の感想です。ですので、「冬の朝」より「凍林」が優れていると言うわけでは決して無く(技巧や優劣を判別する能力は私には無い)、私個人の好みです。お前は要は山や森が好きだし、その中でも雪が好きなんだろ?問われれば、その通りです。でも同じ雪の季節の、「雪の朝」の方が厳冬期の雪山で、「凍林」はその名には反するけれど、むしろ残雪期の趣のようにも思えるのですが、こちらの世界の方が目が離せなくなるのですよね。自分でも不思議なのですが。

○前田青邨 氏作 「紅白梅」
こちらは撮影禁止の作品。
名前の通り紅白の梅花が咲き乱れる様子を描いた作品なのですが、写実では無く荒々しくも大らかで優しげな抽象。尾形乾山さんの器のような、近代であれば北大路魯山人さんの作品のような画風。心に好ましい余韻と共に残る作品でした。

○川合玉堂 氏作 「瀑布」

私でもその名を知っている著名な作者ですし、山種美術館初め美術館所蔵の作品も多く、よく目にしていました。しかし、正直、綺麗だなとは思うものの、私の心の奥にはあまり響いた作品はありませんでした。東京国立近代美術館所蔵の巨大な渓流の作品であっても。
ただ、この瀑布と言う作品は構図に惹かれたせいかとても強く印象に残りました。周囲に涼やかな湿気を帯びた風を感じた錯覚と共に。

○奥田元宋さんの作品群

最後の三番目の部屋に飾られている奥田元宋さんの赤い作品群。遠くからだとあぁ、綺麗な風景画かなと見流してしまいそうになったのですが、立ち止まって見るとそう言うわけでも無い深みもありそうな。ただ、私の感性ではそれを捉えきれない。。そんなもどかしさを感じる作品群でした。

○小野竹喬 氏作 「新冬」

こちらも見流しそうになりながら、立ち止まってしばし見入ってしまった作品。

取り止めもまとまりも無く長々と書いてしまいました。お伝えしたいのは、現地を訪れて実物をご覧になって感じて頂きたい、それだけです。
京都近郊にお住まいの方、京都を訪れる予定のある方は是非に。嵐山はすでにインターナショナルなカオスの趣ですが、美術館の中は静かでゆったりと鑑賞できました。
通期展示のものが多いですが、前期と後期で展示替えもあるようですのでご注意ください。
この展覧会の図録が用意されていれば欲しかった。。

いろいろと社会問題を起こした消費者金融創業者による美術館ですが、絵画に罪はありません。

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