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サくら&りんゴ#144 <日本人>と<外国人>

じゃあ、10時にね

隣の隣の隣に住むスーからテキストメッセージが来た。

彼女の家は湖ビーチの一番端にあって、プライベートビーチのゲートに隣接している。

一年半前、彼女は夫のダッグと引っ越してきたばかり。そして私はすぐ彼女の事を気に入った。面白くて笑わせてくれる。私にもわかるように(笑)長年子どもの教育に携わって来た人で、そして彼女の中では物事がはっきりきっぱりしていた。気持ちいいほどに。

天気のいい日は二人で、ご近所ウォーキングをするようになった。10時と言うので隣の隣の隣にきっかり10時に伺うと(日本人らしく) 彼女もきっかり10時に黄色の扉を開けて出て来る。(ヘッダー写真)

この辺りの人にしては珍しく(失礼!)時間にきっちりしていると言おうとしたら、そう言えば彼女は英国人だった!(単に彼女の性格?)

そんな彼女から、その買って間もない家を売って再び引っ越しをすると聞いたときはたまげた。それも歩いて10分の場所へ。

好きな家が見つかったら引っ越す、そうしてきたの今までも

スーは説明を続けた。なんでも湖が目の前と言う立地を気に入って買ったのだが、ビーチのゲートが近いだけでなく知り合ったご近所さんがやたらおせっかいでプライベートが確保できないと。

彼女はウォーキング中に、誰にでも声をかける性分である。HiやGood morningだけではない。話しかけるのだ。そのカメラ素敵ね、何処のブランド?とか。だからてっきり誰にでもオープンな性格だと思いこんでいた。だがプライベートはまったく別らしい。
もちろん日本ではカナダのように買ってすぐの住宅を売ることはできないから、そう言う人と出くわしたことはないのだが、スーとダッグの軽い身のこなしには驚くばかりである。イギリスに居ながらにしてカナダの家を買ったこともあると言う。

今時みんなオンラインでできるのよ!

驚いたのはそれだけではない。ウォーキングの途中で彼女が言った。

ある時私、覚悟を決めたの。私は夫を失うかもしれない。いや夫は死んでもう帰ってこない、そう言う前提で、子供たちの事も、自分のこれからの事も備えておこうと。

死んで戻ってこない?スーとダッグはもう40年近い婚姻生活だったはず。

フォークランド戦争って知ってる?ダッグは英国で軍人だったの
その後湾岸戦争にも行ったわ

私は言葉を失った。
夫はベトナム戦争に行ったがそれは私が夫をまだ知らない時である。夫の帰りを待つ妻は映画の中の話だとばかり思っていた。
なんてオトボケな私だろう。
今だって世界では戦争はあって、戦争に行ってしまった夫を彼を父を息子をあるいは娘を姉を妹を待っている人がいる。生きて帰ってくることを毎日願っている人がいる。

一度ばかりか二度も夫を戦地に送り出して、毎日が不安との戦いであったはずだ。それを凌駕しての覚悟が彼女を精神的に自立した人間に育てたのに違いない。

ウォーキングで外からだけ立ち寄ったスーたちの新居は軽く森の中であった(笑)ちゃんとプライベートが確保されそうな立地。
玄関ポーチに飾り付けがあって、これはクィーンエリザベス女王の即位70年のプラチナ・ジュビリーに合わせてのものである。

私たちは共に週違いくらいで、それぞれの故郷からカナダに戻っていた。戻って来たあとは時差のため数日は死んでいるとか、すっかり忘れた単語があって故郷で訂正されてしまったとか 国は違えどあるある話で盛り上がった。
1時間ほど歩いて私たちはまた湖の前の黄色いドアの家に戻った。

別れ際彼女は
新居が片付いたらプラチナジュビリーのティーパーティを開くから来てね
と誘ってくれた。
イングリッシュ・ティーパーティ、今からわくわくするではないか!


私の頭の中でやっと人々の括り方が変わってきた。
日本にいるときは<日本人><外国人>。それがもう体に沁みついて、ここカナダに来てからも<日本人><外国人>。いや、いったい誰が外国人なの?夫はカナダ国籍を取っていないからアメリカ人で。カナダ人からしたら外国人?スーはカナダ国籍があるけど英国人で。
日本では当たり前のように括っていた<日本人>そして<外国人>。しかし夫も、長く日本に住んだある知り合いのアメリカ人も、それを差別だと感じていた。特に18年日本にいたという彼は、何年住んでも自分は外人としてしか扱われなくて、地元のコミュニティや日本人の輪に入っていけないと。夫も僕たちは”Gaijin”と自虐的におどけて言ってたっけ。日本にいて日本人の括りにいるとそれが差別だとは考えもしなかった。だって外国人なんだから当たり前だろうと。
でも私が日本でいうところの外国人の立場になるこの国では 移民であっても外人と言う分類はなくて。
でも悲しいかな私の身に付いた<日本人><外国人>と言う括りはどうやっても拭い去れなくて。
この間リタが、
ねえ、いい水道工事屋さん知ってる?
とかローリーが
ビーチクラブの選挙のこと、あなたなら知ってるかと思って
と連絡してきた時は
え?それ外国人の私に聞くの?とやっぱり思ってしまったのである。彼女たちは私が日本人だと知っているが、日本の<外国人>と言う括りにして私を見ていないわけで。

気付けばスーだけでなく仲良くなったローリーやレノアも私と同じ
<子供に関わる仕事>に携わってきた人
私の中でやっと、人々に対する括りが、その人となりや経験の方が国籍を上回るようになった。

日本にしか住んでいなかった二十代の頃にはわからなかったことである。






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