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ポメラ日記 3日目

ポメラ日記 3日目

「書けば書くほど孤独になっていくもの」


・昨日は夜中の十二時頃までタイピングしていた。ちょっと寝不足。小説は書けば書くほど孤独になっていくものかなとその夜に考えた。未だに僕は小説という容れ物がよくわからずに書いている節がある。昔は書けば書くほど、自分の苦しみや悲しみが誰かに理解してもらえるようになるのだと思っていた。懲りずに十年ほど書いているが、そんなことはもちろん一度だってない。小説じゃなくたって、僕は誰かの苦しみをわかることはないし、誰かが僕の代わりに負い目を背負うわけでもないだろう。僕たちはいつも隔たれたところにいて、誰かの言葉が届くのを待っている。

 誰にでもわかりやすい文章を書く、ということと、そこに書かれてあることを理解できるか、ということに相関関係はない。誰にでも読める言葉で書かれていながら、理解を拒んでいる文章も存在する。小説は理解したり、読んで何かを了解するために書かれる文章ではない。普遍的にわかるような文章を突き詰めていくと最終的にそれは、数学の公式や哲学の回答に近づいていくだろう。

 文学は解けなくていいし、解けてしまうようならそれは文学ではない。もしそれが誰も書いたことのない新しい小説であったなら、書けば書くほどそのひとは孤独になっていくだろう。小説は「わかる/わからない」という領域を越えたところにしか成立しえない。お前の書いているものは何だかまったくわからないよ、でも面白かった。そう言ってもらえるような文章を僕はいつか書きたいと思っている。隅から隅まで言っていることがわかっちまう小説なんて、面白くはないだろうから。いつでもその中には読み手の理解を拒む謎が含まれていてほしいと思うのだ。わからない、ということが美しい表現になっていてほしいのだ。

「今日から週末、生きてるだけでえらい精神」


・小難しい理屈をこねてしまったが、今日から週末。あまり手放しに喜べるような状況ではないんだけど、それはそれとして、身の回りの範囲で楽しみを見つけることも大事かと思う。コウペンちゃんの「生きてるだけでえらい」精神でやっていきたい。ちなみにこの間、コウペンちゃんコースターを買わされる羽目になった。なぜだ。

「チェスセットを引っ張り出してきた」


・昔、趣味でチェスを指していたんだけど、久々にチェスセットを引っ張り出してきた。小ぶりの卓上サイズのものだ。「本を書く」(アニー・ディラード著)の中で、図書館の一室にチェスが置いてあって、毎日その駒が動いているので、誰かわからない相手と対局をする、というシーンがあって、それを思い出して僕も久しぶりに駒を動かした。

 ちなみに文豪のトルストイはチェス好きで知られていて、激しい手や相手が驚くような手を探すのではなく「すべての駒が調和するように」動かすことが大事だと言っている。なんなら「チェスの本質は人生と同じ」とまで言っている。僕はサクリファイスみたいに、自分の駒を犠牲にして相手の大駒を狙ったり、戦局を傾かせて乱戦になるのを見るのが好きなので、大先生とは真逆ですな。Netflixの「クイーンズ・ギャンビット」、気になってます。

「ループもの大当たりの予感、サマータイムレンダ」


・僕の好物はループもの(「時をかける少女」「シュタインズ・ゲート」「僕だけがいない街」)なんだけど、「僕だけがいない街」以降はいい作品が見つからないなと思っていたところ、何だかよさそうなものを見つけてしまった。サンプルだけ電子書籍の漫画で読んだけど、面白そうな展開だ。なんでループものってこんなに惹かれるんでしょうね(自分がやり直したいから?)

「ポメラDM250の日付と時刻の変換が便利」


 この記事を締めるときに思ったんだけど「今日」って打って変換押したらちゃんと日付が出てくるし、「いま」って打って変換押したらちゃんと現在時刻が出てくるので、この子は優秀だなあと思いました。前から優秀だったけどね。

 2022/08/05 17:24 kazuma

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。