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子どもの初入院を体験して。

2021年12月27日(月)

6時前。4歳児の娘は良く寝ている。雪も降っていて寒いから、布団は気持ちいい。

あまりに娘が気持ちよく寝ているせいで、この日が私にとっても娘にとっても、長い一日になることなんて想像もできなかった。

今日は仕事だ。気持ちよく寝ているが、仕方なく娘を起こす。お気に入りのぬいぐるみを近くに置くと、機嫌よく起きてきた。

娘はすぐトイレに向かうが、少しふらふらしているなぁと思った。まだ起きたばかりだからかなぁと、あんまり気にしていなかった。

私が食事の準備をしている時、娘が本を読むのを疲れた、と言ってこたつにもぐりこんだ。たまたま近くに行くと、目がくるくる回っている。娘も、天井がまわっていると言い、布団に寝かせようとすると、そのぐるぐるした目はすぐに落ち着いた。

いつもはご飯の朝食にするのだが、久しぶりにパンにした。パンにジャムが塗ってあると喜んで食べてくれるのだが、今日は食べたくないと言って、布団で本を読み始めた。

いつもある、食べるより遊びたい欲が勝ったのか…と思ったけど、少し様子を見ていたら吐いてしまった。

飲み物を少し飲ませたが、胃液なども含めて大量に吐いてしまった。保育園に休みの電話を入れ、8時過ぎに、おばあちゃんに病院に送ってもらうことにする。

病院に行く前のトイレでも、少し吐いてしまった。娘の顔色がすごく悪い。熱はなくても、これはかなり具合が悪そう…と思った。車の中で、ポケモンの話をしても元気がない。病院まであるく元気すらない…。

熱が少しあったとしても、食べるし、少し食欲がなくてもジュースくらい受け付けるのだが、今日の娘は何も食事や水を受け付けないのだ。

こんな症状は、はじめてだ。

小児科の診察は2番目で、早めに回ってきた。めまいがした、といったら血圧や血糖値を測ってもらうことになったが、特に問題はないようだ。
それでも、先生は心配して下さった。

「一番いいのは、入院して、点滴して様子を見ることですが、どうします?」

外は大吹雪だ。そんな時に体力のない娘と帰らない方がいいと思った私は、即入院の手続きをお願いした。娘は、診察室で黙っていたが、待合室に着くと、力いっぱいの声で泣いた。

「いやだー!!お家に帰れないなんてイヤだーーーー!」

と泣いた。でも、お茶を飲もうとしなかった。相変わらず、顔色は悪い。

しばらくすると、病室が確保できたらしく、手続きをして、病室に向かう。この時期でも、私だけ付き添うことができた。コロナワクチンを2回打っているという条件だったが。

ベットに、リラックマのかわいいパジャマが置いてあった。手作りだろうか。すぐに着替えてと言われて着替えると、優しそうな看護婦さんが2人。点滴をつけるんで、席を外してくださいと言われ、保育園に電話し、売店でパンなど私の食べるものを少し買う。幸い、子供用の雑誌も売っていたので、娘の為に買っていくことにした。

しばらくすると、病室に戻るよう言われて戻ってみると、娘は元気のない声だったが、看護婦のお姉さんとポケモンの話で打ち解けていたようだ。

点滴をしばらくすると、娘の顔色はすぐに戻った。でも、何も言わずにずっと持ってきた本などを見ていて、黙っていた。点滴をしながらのトイレが不安だったが、自室にトイレが併設されており、助かった。それでも、娘も点滴をしながらのトイレなんて、大変だっただろう。

昼食が運ばれてきた。小さなお粥と肉団子の野菜スープのようなものだ。娘の好きなゼリーもあったのに、ほとんど食べない。

それでも、部屋の壁に書いてある文字が読みたいと言って、少し笑った。歩きたいとも言って、点滴をしながら少し歩いた。

(壁に可愛い野菜たち。優しい看護師さんたちの配慮なのだろう)

しばらくすると、お腹が痛いと言って、泣いた。あんまり痛いようで、ナースコールを押したが全然繋がらない。夕方15時前、娘は自然と寝てしまった。

スマホの充電器を持ってこなかった私は、おばあちゃんに最低限の連絡をし、スマホの電源を落とした。
娘もよく寝ている。

点滴の機械が、少しカチャカチャと鳴っていて、外は大荒れだった。夕方楽しみにしていたEテレも、テレビカードを購入しておいたが見る必要はない。さて何をしようかと、持っていた小さいメモに、今日の事を書き留めておくことにした。

廊下で、お年寄りが何か会話をしている。
「年寄りだからねぇ、お嫁さんの世話にはなりたくなくて…。誰も来ないのよ。あなた、お正月どうするのよ?」
「帰れないですよ。ここで過ごすつもりです。」

後で調べたのだが、この娘の入院している2階には、大人のガン患者と小児急性の子たちが混ざって入院しているのだそう。今まで病院で年越しするなんて考えてもみなかった。田舎で雪が降るからと、毎年外出もあまりしない年末を過ごしていたが、病院に比べれば自宅の方がどんなにいいものか、なんて考えたことがない。

娘は、どうなるのだろうか。年越しまで具合は戻らないんだろうか。…親が不安に思っても仕方がない。

娘がよく寝ている途中で、あの優しそうな看護婦さんが様子を見にくる。

「自分から水分を取らないので、ジュースでも大丈夫ですか?朝リンゴジュースのんで大量に吐いたのでダメかなぁと思って、買ってきませんでしたが。」
と話す。看護師さんはジュースでもなんでも取らせてほしいというので、売店で買ってきた。

…1時間半くらい、寝ただろうか。

テレビカードを入れ、テレビをつける。なんと、キッズステーションという有料チャンネルがあった。ちょうど、クレヨンしんちゃんをやっていて、娘はずっと見入っている。

リンゴジュースを飲んだけど、吐かなかった。テレビを見て、少し笑った。今まで気づかなかった。娘が笑っているところを見るって、本当に幸せなことなんだと。

やがて、夕飯が運ばれてきた。お粥と具なしの味噌汁、煮魚と里芋の煮物といった典型的な病院食だ。また食べないのかなぁと思い、今度は私が食べさせてやることにする。
すると、思いのほかたくさん食べた。普段たべないお魚も、里芋も、お粥に混ぜてたくさん口にした。お腹すいたんだよ、という。

遅くなりましたと、主治医がやってきた。

「血液検査もしたんですが、ミネラルのバランスも良いですし、さっきより顔色もだいぶ良くなりましたね。胃腸炎の初期かもしれないです。食欲も戻ってきたし、最短で明日退院できるかもしれません。」

子どもの回復力って、すごい。あの夕寝ですべてを回復したんだろうか、というくらいに食欲も戻ってきていたし、その後もずっとクレヨンしんちゃんを見て笑っていた。

21時に寝ようとするが、「怖いよう」と言ってなかなか眠れなかった。22時ごろ点滴が切れて音が鳴ったから、余計に。
22時半頃寝てくれた。私は隣に用意してあった、キャンプで使うようなベットに寝た。寝れないかと思ったが、疲れたどっと出たようで、すぐ寝てしまう。

夜、看護師さんが見守りに来たようだったが、出ていくところしか気づかず、私もよく寝てしまった。

2021年12月28日(火)

娘はトイレと言って、5時に起きてそのまま本を読むなどして、起きていた。体調は良いようで、朝食もそれなりに食べたし、退院の許可が出てホッとした。
午前中に退院の手続きをし、恥ずかしがり屋な娘は、日勤の看護師さんに挨拶すらできなかった。

自宅に帰ってきた娘はピョンピョン跳ねて、元気が戻ってきたようだ。

私は病院で菓子パン2個しか食べておらず、お腹が空いて仕方なかった。帰ってきてからお腹のすき具合と、自分の目にクマが出来ていたことに気づいた。私もただひたすら、娘の回復にしか興味がなかったんだと思う。

まとめと思うこと。

たった一泊の入院だったのに、こんなに長い一泊を思いすごしたのは初めてだった。病院で過ごして思うことは、何より健康が一番だけど、病院で昼夜とわず働いている人がいて、それはお医者さんも看護師ももちろんなのだけれど、除雪をする人だって、食事を運んだり作る人だって、昼夜なく働いているのだ。色々な人のお陰で、娘は回復して、無事に帰ることができたんだと思うと、病院の関係者には頭が上がらない。

それから、長い間病院で過ごしている人もいるのだ。中には、いつ治るか分からない人だっているだろう。そんな人たちの気持ちって、計り知れない辛さがあるんだなぁと感じた。それでも、すれ違ったら笑って頭を下げてくれたりもしたのだ。

今、健康であること。それから自宅で過ごせることに感謝しなくちゃと、深く思った入院体験であった。


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